諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

笑む 野の仏

2020-01-31 14:21:23 | 日記・エッセイ・コラム

 運命を 肯(うべな)いゐるか 野の仏

         草に埋もるも  笑みを絶やさず   夢蔡

 

 野仏の横を通り過ぎ、300mほど行くと、利根川水系の河川に当たる。

 川幅200m程、普段の水量は、余りない。

 戦後間もない頃のこと、キャサリーンと名付けられた台風が、この地を

 襲った。川は氾濫した。

 しかし、地形が幸いしたのか、村の一部の床下浸水程度で収まった。

  野の仏は、村の西の外れのの墓地にあったものだという。

 野の仏を境にして、川までの桑畑が、水にさらわれたのだ。

 農道が低くなっている。

 「野仏は、村を洪水から守っているんだで~~!」

 と言った、古老は、もういない。

戦後まもなく、川の土手が、高く作られた。

親戚の、"少年兵”として動員から帰った青年が、土方として働いた。

新しい土手は、川底の砂を挙げ、芝生で丁寧の土留めされた。

子供たちの格好の遊び場となった。春から夏のはじめまで、

土手下は、狭いが、少年たちにとっては、格好の野球場だった。

夏は、水浴び場であり、農耕”牛”の牧草を提供していた。

 

 産業構造が大変化した。人口移動が起こった。

 農業の機械化がすすみ、かつての農村は無くなった。

 上流は、工業化が進み、排水で、汚染された。

 川は、近郊の生活者とって、利用価値のないものとなった。

 完全に、生活の場から消えた。

 

 河原は、ブタクサなどの外来植物が繁茂している。

 水辺にも近づけない。荒れている。川底も上がっている。

 

 土手の上は、市が、大型の除草機で荒草群を刈りはらう。

 一応の遊歩道である。

  かろうじて、菜の花の群落が、春の終わりまで咲いてくれる。

 

 早咲きの 菜花 手向(たむ)けしは 誰なるか

       野仏に添(そ)う 杖の足あと  夢蔡

 

         -------<了>----

    

 

 

 

 

 

 

 



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