諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

夏椿 はかない美しさ

2020-06-18 18:30:28 | 日記・エッセイ・コラム

 

   - それは、ある僧侶の勘違いから始まった ー

 

   沙羅双樹(さらそうじゅ) 探(さが)し探(さが)して 奥山へ

    釈迦(しゃか)の導(みちび)き  *沙羅の木のあり

                                    群 峰   

 

   お釈迦さまが、入滅の時に四方に繁った ”沙羅双樹”が、

  ”日本のどこかで”も、きっと白い花を咲かせている。と

   信じて疑わなかった僧侶は、山奥で”夏椿”を見つけた。

   「あった~# これぞー これぞ沙羅の木である。」 

   

 以来、本堂前に、夏椿が植えられた寺院を、いくつも見つけられる。

  そこにあるのは、”沙羅の樹”なのである。(夏椿ではないー

 

       祇園総舎(ぎおんそうじゃ)の鐘の声

       諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色

       生者必滅の(ことわり)あらわす。

  

   「平家物語」の七五調美文の広まりで、”寺と夏椿”の風景は、

   ますます、”寺と沙羅の木”として庶民の間に定着する。

 

    ---< かくして・・・・こんにちでは、

   ”花木センター”などに行っても、夏椿は、人気がある。

   この村内でも、数件が、庭先に植えこんでいる。

 

 

 

 

  なつつばき 幾重(いくえ)に白く 幾重(いくえ)にも

         落ちて錆(さび)いろ  ぬし逝(ゆ)きし家  

                                夢 

  

   植木好きの大工の源さんは、早朝に、花木の手入れをして、

   仕事に就いたものだ。

   

    ある朝のこと、かれは、起きてこなかった。

    急ぎの仕事で、その晩遅くまで、がんばった。

    一杯飲んで寝たのだが、それが最後であった。

 

      生者必滅   ああー! 無情ーーーーー

           -----<了>-------

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 


土砂降りに耐えてーー!

2020-06-13 11:28:09 | 日記

 

  雲の峰 崩(くず)れ西の端(は) 黒く染む

           鷺群れ白く  風に乱(みだ)るる

                               夢 蔡

  

   沼の中央にある”弁天様”( 小島のこと)は、

   青鷺・白鷺(小、中、大)が、子育ての真っ最中である。

   いま、鷺の夫婦は、食いしん坊の”子鷺”のために、

   2キロほど先で、”蛙・”雑魚”獲りの最中でした。

 

      浅間山から榛名山辺りに立ち上っていた”入道雲”が、

   黒雲となって、崩れ始め、あっという間の出来事ーー!

   横なぐりの強風と激しい雨です。

   狩りの途中の親鷺は、”弁天様”まで帰れません。

   

   巣にいる子鷺たちの事は、運を天に任せるしかありません。

   激しい雨風は、1時間ほど続きました。

 

 

 どうやら雨風は、おさまったようですが、びしょ濡れであります。

 乾くのを待つしかありません。----

 

 お前のところの、母ちゃん・父ちゃんは、まだかねーー

 「見てくれヨ~! 足元の ”小 鷺”の”子鷺”が、頼ってる感じ」ー

 

  「 オーイーー   なんとかしてくれ~

  【子アオサギ】と【子ゴイサギ】の「 助けて~!」の合唱です。

  子アオサギ  「俺が、叫ぶから、お前少し黙っていなー❕」

  子ゴイサギ  「 ってやんで~‼ 親が違うんでェ~#  」

  まこと、 五月蠅いのですが、”生きてる”証拠です。

  

  強い雨風は、一過性であります。

  もう、晴れ間がのぞいてまいりました。

 

  最初に帰ったのは、あまり、遠出をしなった”小鷺”でした。

  それから、他の親たちも、次々帰ってまいりました。

  本日のところ、弁天小島の騒ぎは、一応おさまりました。

  

  鷺の子供達も、後2~3週もすれば、巣立ちです。

  そうして、それなりの試練が、待っております。

    「 頑~張ろう~ 翼を広げ~#」

 

   強き雨に 生きることは 耐ゆること

       葦叢(あしむら)に伏し 過ぐを待ちゐる

                               無 才

 

 

             -----<了>-------

 

  

  

  

 

  

 

 

 

   

 

  

 

 


あぢさいは濃き 淡く

2020-06-11 09:54:50 | 日記・エッセイ・コラム

 

  あぢさゐの 色濃く満(みつ)る 古る家は

      人みな去りて  玻璃窓(はりど)軋(きし)みし

                                 夢 蔡

 

    

 【 ア ジ サ イ 】 その名の由来は,よく解っていない、という。

 『藍(あお)があつまったもの』 を意味する、

 あづさい=「集真藍」がなまったの説がある。

 アジサイは、その原種は、日本の山野に生える 

 【ガ ク ア ジ サ イ】である。

 写真の様な咲き方は、改良種で、「手まり咲き」という。

  

   *注 (文面は、以下を含め、自分自らの確認のため 

           ウキペディア・参です)  悪しからず・・

 

 かの有名なシーボルト先生は、アジサイの美しさに感動ー!

 日本人の妻 「おタキさん」の名をとって、

   [ Hydrangea  otkasa ]と命名したのは有名である。

 欧米でも人気をははくして、改良される。

 それが、逆輸入されて、さまざまな”花容”のアジサイが見られる。

 上記の写真は、すべてが、「装飾化」の集合であります。、

 従って、自らは、種子を創れません。

 あくまでも、飾りであります。

 植物にとって、【花】は、いかに昆虫たちが来てくれるかです。

 アジサイは、その外側を”豪華な花びら”が取り巻きます。

 しかし、それは「装飾花」で、昆虫へのアプローチが目的です。

    (派手なネオンと言えば失礼かナ~)

 奥処(おくど)には、メシベ・オシベを持った小花たちが、

  鎮座し、待っているのです。

 メシベ・オシベが、子孫を残すために、

 外側から、「装飾花」は、”昆虫誘引”に頑張っているのです。

 いわゆる、「分業」戦略ともいえます。

 

 さまざまな戦略をもって、植物たちは、繁栄をしております。

 

        「 恋においては、ほとんど常に、

         騙(だま)しの手管(てくだ)の方が、

         警戒心よりも一枚上手(うわて)である。」

                   (ラ・ロシュフコー「箴言集」)

 

 

              

               ------<了>-----

       

 

 

 


昭和 遥(はる)けし

2020-06-06 15:42:08 | 日記・エッセイ・コラム

 

     桑の実を 食(は)みて野を駆(か)く 昭和の子等

              悔(く)いることなく 老いを生きしか

                                   夢 蔡

 

 戦後の跡がまだどこかに残っていた、昭和30年以前は、農村は、

 貧しく、子供たちは、いつも野原を走り回っていた。

 消費文化は、まだ遠い将来の事であった。

 

 子供たちは、腹が減れば、”桑の実”を食ったものである。

 実った小枝を、折り取って、頬張った。

 子供たちは、”桑の実”なんて、洒落たことは言わない。

  *【 ド ド メ 】と呼んでいた。

  ”赤痢”なんていう言葉が、実感として、生活の場にあった。

   そういう時代である。

   あたりかまわず走り回りまわり、泥だらけで遊ぶ子供たち。

   そんな姿の子達の食べ過ぎは、親にえらく怒られた。

   それでも、見つければ、かまわずに食った。

   しかし、たくさん食べたことは、すぐにばれる。

   口の周り、前歯が、濃紫色に染まっているからである。

   

   *注 【 ド ド メ 】=「土留め」である。

   「土留め」とは、その昔、”桑の木”を土手の”土留め”にした。

   「土留色」=「ドドメ色」は、「黒紫色」を指す。(関東)

 

  この地方は、養蚕が盛んで、広い面積の桑畑が、

  あちこちにあった。

  桑畑を、”桑原”(くわばら)と呼んでいた。 

  本当に、桑は、原野のように広がっていた。

 

  【 ド ド メ 】は、いたるところにあった。

  桑の実の思い出は、美しく濃紫色に列して実っていた、

  とか言う、情緒感ではない。

  それを、「 おもいきり、食った--」である。

  

  その頃の思い出は、いつも何かが足りなくて、

  どこか貧しさを引きずっている。

  

  それから、数年して、「もはや、戦後ではない」時代が来る。

  あっと言う間に、農村地帯も、消費文明化して行く。

 

    「 過ぎ去ればいつだっていい時代である。」

                    『後退的実体の法則』

            

 

  

            -----<了>-----

  

 

  


匂いたつ花栗

2020-06-05 20:18:21 | 日記・エッセイ・コラム

 

  栗の花 辺(あた)りを払(はら)ひ 匂(にお)ひたつ

       雲(くも)低(ひく)く行き  雨の兆(きざ)せり

                                   夢 蔡

 

 栗の木は、10尺(3m)の三脚があれば、充分に手入れができる

 高さにしておくのが、常識なのでしょうがーー

 我が家の栗は、伸び放題で、2階の屋根を超してしまった。

 栗の花の時期には、滝のごとくに、しだれ咲きます。

 圧巻である。(決して自慢できませんが・・

 

 薄黄色にしだれ咲く花は、全部が雄花であります。

 雄花は、各枝の先に5~6本が一塊りに咲きますが・・。

 長々と花粉を伸ばしております。

 しかし・・・

 その奥には・・・・

 雌花が、鎮座しております。

 写真は、拡大してありますが、実寸は2~3ミリほどです。

 艶ややかではありませんか。

 彼女が、秋には、3~4個の”実”を持った“イガグリ”になります。

 神秘性を感じます。

 匂いに誘われた【ヒョウモンチョウ】が、「おまかせください」と

 たちまちやってきました。

 

 白・黄 菜の花・タンポポ好きな”モンシロチョウ”は来ません。

 もちろん、紫好きのアゲハも来ません。

 

 「ケッコウ」です。

 わが【ヒョウモンチョウ】一族が、秋には立派な”イガグリ”を

 実らせてみせます。

 

   

 小さいながらもお手伝いいたします。

 どなたか存じませんが、

 やがては、ハナムグリ、カナブンもやってきます。

 

 こうして、普段は、細かく見ることもない生物の世界が、

 縄文以来、2万年もの長きにわたって、日本列島の人々を

 飢えから救ってきたのであります。

 

  ~ 栗の実を煮てます囲炉裏端~#

  栗が実った「 里の秋 」のころ現物の写真にて

  また別のご報告できればと、思っております。

 

    

    われわれと、地獄または天国のあいだには、

    この世で最ももろいものである生命が、

    介在しているだけである。(パスカル・『パンセ』)

 

 

           -------<了>-------