諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

残花(ざんか)の趣き

2019-04-15 16:46:49 | 日記

 

   丘の辺の 落花(らっか)真白く 敷きし上

          幼(おさな)走り来(く) 四月の光  夢蔡

 

 

 『 花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。

    ------< 中 略 >-------

   咲きぬべきほどの梢、散りしおれたる庭などこそ、見所おほけれ 』

  

  ご存知、中世の辛口エッセイスト、兼好法師の【 徒 然 草 】の

  ( 第137段 )の一節であります。

 ※訳 桜の花は満開の時、月は満月の時ばかりをを称賛するのは、

    如何なものでしょうか?

   今にも咲きそうな梢、花が散ってしおれた庭などに、思わぬ発見がある。

 

  染井吉野が、散り急ぐ時----

  市民の森公園を散策中に、出会った光景であります。

  西寄りの風が、少し強く吹き、桜の花はほとんどが飛び散りました。

  子供は、散り舞う花びらを追いかけておりました。

  散り際の美しさの思わぬ発見でございました。

  兼好法師さんの言う通りであります。

      -----------<>--------

 

  次の写真にて、今年の【 桜 】終章といたします。

   尚のこる 嶺の桜や 貴船村   いはほ

   

   本編の表題  『 残 花 』につて

   散り残った桜の花を言う。余花と言えば、夏季。

   残る桜(のこるさくら)。残る花(のこるはな)

  

   金山城址は、標高約530mの独立峰の頂上にあります。

   その頂上付近の桜の花は、そのためか、しっかり咲いおります。

   引用した俳句は、「貴船村」と地名が入っており、本編の写真とは、

   一致してはおりません。

   引用は、あくまでもイメージであります。

   

 

       -----------<了>ーーーーーーーーー

  

 

  


四月の初雪

2019-04-10 16:58:44 | 日記

  

   満天星(どうだん)の 蕾 啄む ひよどりの

              つばさ濡らせし 四月の初雪  夢蔡

 

 

  此処、関東平野の北隅は、雪は、滅多に降りません。通常・・・

  南岸低気圧が、伊豆諸島を通過し、寒気団と重なり、東京あたりで、

 すべった・ころんだ、車がスリップ事故やらで、雪の大騒ぎとなりますが、

 こんな時に、ここも雪になります。

  今年は天候が不順で、1~2月頃には、気温が上がり、白菜が成長し過ぎ、

  農家を慌てさせたり致しました。雨も降りませんでした。

  逆に、3~4月には、真冬に近い気温が、何日もありました。

   3月30日の伊與久沼の桜まつりは、3分咲き位で実行されました。

 

  そして、な~んと、本日は、ーーー

 朝から雨でした。天気予報の雨雲の流れ通りでありました。

  そうして、10時ころから【雪】となりました。

  【 初 雪 】であります----

   紫木蓮も蕾がふくらみ、一二輪 開花致しました。

   諸葛菜=ムラサキハナナの群落に、雪が降り注いだのは初めてです。

 

   いわゆる牡丹雪で、2時間程度で、積もることなく止みました。

   雪は、多くても年に2~3回です。

   降れば、ユキだ~❣ ユキだ~!!と騒ぎます。

   多分、雪国の人には、こんなのは、雪のうちにならないでしょう。

 

   山形出身の友人が、こちらへ転勤してきた時のこと・・、

   この季節に、雪景色はなく、菜の花が咲き誇っている風景に、

   カルチャー・ショックを感じたと言っておりました。

 

       --------<了>-------


花の嵐か

2019-04-08 13:02:57 | 日記

 

   桜咲く 人は突然 狂(きょう)となる

           千鳥ヶ淵の よんれつじゅうたい   夢蔡

 

  桜の名所で知られる東京都千代田区の千鳥ヶ淵は6日、ライトアップされた

  幻想的な夜桜を楽しむ大勢の人たちでにぎわった。

  訳700メートルの歩道を彩る約260本のソメイヨシノは、満開を過ぎ・・。

                      朝日新聞 4月7日(日)号より

   

  掲載写真は、上の記事とは,関係ないのでが・・

  マア~ お聞き下さい。

 東京は、久しぶりでした。ここは、最も懐かしい所あります。

 北の丸公園から田安門をくぐると、靖国通りまでは緩い坂です。

 昔よく見慣れた風景で、カメラにそれを収めながら、歩きました。

 千鳥ヶ淵まで歩くつもりでしたが、前方が何だかざわついております。

 その時、大きな声が拡声器から響きました。

  「 大変混みあっております。四列縦隊でお進みくださ~い~ 」

 こうなると、田舎者は、日和見主義であります。

 「す~ぐ や~めた・・ 」ということになります。

 千鳥ヶ淵から漕いできたボートを入れた写真一枚ということで・・・・。

 慰みといたしました。

 

 覚えている田安門は、古びた大木戸の門でありました。かつては、

 この門から入り西奥へ進むと、千鳥ヶ淵が、眼下に見えたものです。

 先の東京オリンピック時の改修後は来ていませんでした。

 田安門をこんな行列が通るのを初めて見ました。

 

 田安門から、靖国通りを渡ると、すぐに神社の境内になります。

 砂利の参道でした。歩くと、ギュ❣ギュ‼と足元がなりました。

 靖国神社は、例大祭など(もっとも一度も見たことなしですが)を除けば、

 1960年代では、静かそのものでありました。

 桜が咲いても、平日は、人影はまばらでありました。

    写真のような、靖国神社をうろつく気にはなれません。

    人いきれに負けてしまいますーー

 

  JR飯田橋からは、細かい道まで、結構知っております。今でも

  駅から歩けば、ふとした角地の風情を覚えていたり致します。

  しかしながら/////

  かなり昔に田舎に引っ込んだ者に、懐古の情を満たしてくれるモノは、

  東京には、最早ないことが、よ~く解りました。

 

   上野駅のエスカレーターの右側に乗りました。(確信犯ですが)

    やはりでした。   「急いでるんだ~!」

   【コップの中にメダカ1000匹】とは、よく言ったものです。

   競争を通り越し、喧嘩の一歩手前です。

 

        --------<了>---------

 

 


花は嵐か

2019-04-06 14:55:47 | 日記

 

  古社(こやしろ)に 桜花 満(み)つれば  騒ぎ立つ

             巣ごもり烏 鳶 追いたつる   夢蔡

 

  若宮稲荷神社 

  昭和20年までは、ただの小高い丘でした。( 洪水後の土石流後とか )

      敗戦直後に、小学校(国民学校)の庭にあった、中身も無くなって

  行き場のない【奉安殿】を此処へ移して、社殿とした。

  ご近所30軒前後が、氏子となり、地域名の若宮から神社名とした。

  【 奉安殿 】とは、【御真影・教育勅語謄本】を安置するために

  学校の庭に作られていたもの。教育勅語は、近頃、有名になった。 

  

   昭和30年代までは、近所の子供たちが集う場所であった。

  子供たちは、神社を【 おとかやま 】といっていた。

   来歴を知らない子供たちは、屋根に上ったり、鳥居に小便かけたり、

  野放図に、神社を遊び道具にして、遊んでいた。

    ※★【おとかやま】→稲荷を音読みにすれば、"と う か”、

    故に、おとかやま。

  -----<あれから、数十が経った・・・・・

  桜は、成長して見事な花をつけるようになったが、老木化も進んだ。

  三本の杉は、そうとう高く成長した。子供たちの声は途絶えた。

  杉の頂上付近は、カラスの住処・巣営の場となっている。

  一時、トビが巣籠っていたことがあったが、カラスに負けたようである。

   

  毎月の朔日(ついたち)、15日には、油揚げを挙げた人たちは、

  もうすでにいない。もちろんのこと、集う子供たちもいない。

  そうして・・・・

        過っての ”子供たち” が、いま、老人となった。

  そうして、思い出話をしながら、神社の世話係をしている。

  ようように芽が動い始めた栗の木である。

  キジバトの夫婦が、艶めいた行動をとるようになった。

  窓前の欅は芽吹いた。

  一羽のキジバトが、ケヤキの枝先で、揺れながら芽を啄んでいた。

  「 エ~ ハトって、けっこう何でも喰うのか~ 」

 

   本日の気温は、20度℃、荒草は、どんどん伸び始める。

 

        --------<了>-------