諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

下弦の月 熱夜に思う

2010-08-06 17:33:42 | 映画

 酷暑は続いている。夜も気温が高く、熱帯夜ー熟睡できない。この気違いじみた気候のせいである。「真夏の夜の夢」の如くに、ウツらウツらと思惟が彷徨う。

 蒼白き下弦の月は窓をさす 午前三時の思惟は虚ろに ー夢蔡ー

  *若い頃、学生寮で稚拙な議論をしている時に、君の論旨は、「午前3時の思想だ!」要するに、「薄ぼんやりして訳が解らん」とか、けなしあったものである。

07_002 8月3日 下弦の月 (2:30~3:00AM、撮影) 薄黄色の淡い輝きであったが、シャッターを押す寸前にう薄雲がかかった。雲は、ねず色と少し赤みをおびていた。幻想的な輝きが、人を魅了する。

 その月はのぼりつつ眠たげな光を長々と投げかけている、/ 虚空に、秘域、深遠に。/ そして、照る月と*苦しむ私"との二者は、どちらからも、/ たがいにじっと見つめ合う。  - ビクトル・ユゴー - *「レミゼラブル」の作者ー〈私〉は、1830年代の悪政・暴虐に対し苦しい戦いを続けていた。

 月は、人に感慨をもたらしてくれるものだ。深夜、天空に浮かぶ〈物体の光〉の不可思議。見つめていても飽きない。▼ しかし、大詩人ユゴーのように「苦しみ」を投影して見るなんて、技ありません。

 月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れ吠えているのである。-(中略)-私は、自分自身の陰うつなかげにを、月夜の地上に釘づけにしてしまいたい。影が、永久に私を追ってこないように。ー萩原朔太郎ー

 「月に吠える、それは正しく君の悲しい心である。・・・・天を仰ぎ、真実に地面に生きようとするものは悲しい。」北原白秋が、朔太郎に答えように書いている。時代の悲惨な背景を、批判的に物語る自然主義文学の方法が、行き詰まりを見せている。大正の中頃である。朔太郎は、新しい文学的立場を模索する。・・ ▼今日では、月を見つめながら、自身の生き方を語る人!あまり見かけませんが・・・。

 凡人の出きるのは、唯一つでる。「千載は知る所にあらず / いささかもって今朝を永うせん」(先のことは、解りようもない。今日一日を楽しくやりましょう。)-陶淵明ー

 寝苦しいので、外に出て、椅子に腰掛け、ボンヤリと月を眺めてだけである。ー