諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

▼冬日和スケッチ・ブック 午後

2009-11-28 18:26:47 | 日記・エッセイ・コラム

 週三日は、プールに入ることにしています。ナガシ500m( 200mキックを入れる)+50m×10本〔1分30秒もち)=500m+パドル・プルブイ付け100m×5本=1500m。約一時間。

 プールへ向かう途中に、イサク沼があります。必ず、と言って良いほどに立ち寄ります。此処は、泳ぎをおぼえた所です。我が水泳のルーツであります。学校にプールといった気の利いた施設は、無かったものです。

  枯れ葦の草の筵(むしろ)に羽休め 冬暖かしカモたちの午後 ー夢 蔡ー

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  水泳は、普段使って無い筋肉をも使います。例えば、背泳です。腹筋を力強く使い、身体を延ばし水平に保ちます。キックをいれて、腕は、うしろ回転で水中をかきます。こんな動作、日常生活では、ほとんど在りません。開放感ありです。

  入日射し赤城嶺の陰影くきやかに 存在感に嗚呼好いと思う  -夢 蔡ー

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 愛犬モモタロウは、時間を知っております。午後4時をまわると、しきりに、合図を送ってきます。水泳で筋肉が張っております。歩いて解す。マア、丁度いいか。

  薄暮れる空には白き月ありて 汝は孤独な散歩者なるか  ー夢 蔡ー

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  「私のおかれている境遇にあっては 『自分の気に入った楽しみに打ち込むことは、すぐれた知恵である。・・』 〔孤独な散歩者の夢想)と、ルソーは言っております。また「、金銭的な、商売的なものが、・・清らかな泉に近ずいてきて、その水を腐敗させ、変質させる・・」とも言っております。何かと金銭を介さないと、人は、自然と対話出来ない昨今を言い当てている言葉であります。▼ 愛犬に引かれて、半径200m程の川沿いの散歩道。日々の繰り返しです。マア、手軽と言いますか、金は掛かりません。しかし、それなりに、発見することはあります。

  賢人の言葉は、有り難いものです。凡人・閑人の戯言の恰好の証人=裏ずけとなってくれます。

  、孤独な散歩者とは、単に、「その地域の人口密度の低い結果に過ぎない。」と、皮肉な人は言うかもしれません。、このご近所では、若者は流失する一方です。暮れなずむ頃、全く人影はありません。

  冬日和の一日は、かくて暮れなんであります。

  


冬日和のスケッチ・ブック 午前

2009-11-27 14:57:06 | 日記・エッセイ・コラム

  北関東の一隅は、晴天の暖かい日が続いている。午前8時。

  冬日和 矢車草の返り花 人を恋うるか ひとり華やぐ ー夢 蔡ー 

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  朝夕の愛犬モモタロウとの散歩道である。朝日を浴びて、露をおびた雑草群落が、光る。それに向かって愛犬ひっぱられて歩きます。

     朝日うけ 露おく 草の輝きに 少年の日なら 希望を見るか   ー夢 祭ー

  『 一寸の光陰 軽んずべからず・・ 』 すっかり 軽んじてしまいました。まさに 『後悔先に立たず、提灯持ち後に立たず』であります。

   【・・・・ 階前の梧葉  すでに秋声】

   窓前の青桐の葉 風に舞い 枝にとらわれ 身動きもせず  ー夢 蔡ー

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  窓前の青桐は、手入れを怠っておりますので、枝があばれております。この季節には、役割を終えた枯れた葉が、風に飛ばされ、あちこちの枝に、ひっかかったりいたします。拾い集めて、落ち葉焚きするのにも、手間がかかります。

  廃屋の軒にからまるカラスウリ 主人(あるじ)の留守を守るが如く     -夢 蔡 ー

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  テツさんは、腕の良い大工の棟梁でした。【テツ大工】さんと呼ばれておりました。小学6年の時、夏休みの工作の宿題が間に合わず、テツさんに、手伝って貰いました。見事すぎる本立てが出来上がって、金賞を貰いました。子供ながらに、バツの悪い思いがしました。

  一生 復(ま)た能く幾ばくぞ、速やかなること流電の驚かすが如し。-陶淵明ー

 人の一生というものは、稲妻の走る如くにの、アット言う間の出来事。まあ、身にしみます。

  


五百羅漢の喜怒哀楽

2009-11-25 12:22:33 | 日記・エッセイ・コラム

  川越は懐かしい街である。仕事でも遊びでも数え切れないほど訪れた。しかし、喜多院には、初めてであった。その一遇に五百羅漢が、鎮座している。天明から天保にかけて50年にわたって建立されたもと、言うことである。▼ このころは、幕藩経済体制のほころびは、繕いようも無い時代である。改革は、上手く機能せず、飢饉・天災も起こって、民百姓は、困窮する。反体制の機運も萌芽しつつあり、世情は、不安定であったろう。釈迦を中心に538体を建立した人々は、何を願ったであろうか。

  苔むして 酒酌み交わす 羅漢あり 何語りゐむ 時を忘れて -夢 蔡ー

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  酒は楽しいが、また、『 ♪ こころ~の~ 憂さの~ 捨てどこ~ろ~#』でもある。 これは、時代を超えて、そうであろう。飲むほどに、酔うほどに楽しさ可笑しさとは、裏腹に、一抹の虚しさが漂う。

  木漏れ日の中に笑みする羅漢あり 久しく会わぬ友の面ざし ー夢 蔡ー 

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  5百体間を巡ると、必ず自分の顔を見いだすと言う。話を静かに聞く方の羅漢には、しばらく会っていない友人の面影がある。

  【 一切衆生悉有仏性 】 仏の前では、人々は平等であはずである。従って、己を知り、己を獲得するために修行に励む。信心することは、己のアイデンテティーを確認することであり、世間を渡る方法でもある。

  江戸期にあっては、人別帳管理に代表されるように、寺を中心とした世間法が、存在していた。

  嘆けるか眉あいよする羅漢あり すさまじき世の有らむこと知り  ー夢 蔡ー

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  どう考えても、有り得ないことが起こる。法の前には、平等であっても、現実にはそうではない。【 貪(欲ふか)・嗔(怒り)・痴(馬鹿者) 】の三毒が蔓延る。限り無い修行が必要である。法が完全であれば、問題は、人々の内面なのだ。こうして、修身の教程が発明される。

  まなこあげ身をのりだせる羅漢あり 怒り続けよ世は治まらず   ー夢 蔡ー

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     ▼ 「この国を被う時代の空気は、『 知的不誠実  』である。」〔内橋 克人) 見せかけの正義、偽の正義は最悪・最大の不正なのだ。

  ▼ 「個人が社会に向かって何かを訴えるトレーニングがされていません。」 〔養老 孟司) 【対決する】発想は、どこへ消え去ったのだろうか。  

  人の内面性について語るには限りがある。制度が、機能していない。法が機能していない。既特権を欲しい侭にしている。下手な菜園のキャベツのように、表面は美しいが、その内部は、無数の青虫が深く食い込んでグチャグチャに食い荒らしている。ほって置けば、やがて総ては崩壊するだろう。 

  人間性の剥奪が起こっている。優しさ・作られた美談によって、それが偽装されている。【すべて国民は、法の下に平等である。】 この【平等】に、真の力を与えることが必要だろう。

     

 

  

  

  


小春日の散歩唱歌

2009-11-14 18:42:50 | 日記・エッセイ・コラム

   小春の朝の 空晴れて 散歩にいずる 楽しさよ  /  日は暖かに 照らしつつ のこれる菊の 香も高し~#

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 冒頭の歌詞は、明治34年、発表の『 散歩唱歌 』の一番であります。もちろん、メロデーを知っている訳ではありません。ただ、挿入写真の雰囲気が、ピッタリしていたので、引用いたしました。『 菊の香も高し~# 』なんてところは、時代背景が、色濃く入っておりますが、それは、さて置きます。七 / 五調の韻律は、言葉のリズムとして、日本人の心の中に深く染み込んでいることは否めません。

  朝日うけ 黄色く光る 柚子ありて われはいつしか 「短歌脳」なり ー夢 蔡ー

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  何時もの通り、愛犬を連れて、散歩出かけたました。朝日が当たり、ちょうど黄色く色ずき始めた柚子が、光をおびて眼に飛び込んで参りました。その印象に思わず、「朝日うけ・・・か~」と、言葉が、ついと出てきました。

  短歌形式で表現してみると、何かものすごく沢山の事を言った様な気がいたします。「短歌」・「俳句」人口は大変に多いようです。啄木ではありませんが、手間のかからない表現力を持った方法と日本語のリズム感に、人は魅せられるのかも知れません。

 


立冬の日のモノローグ

2009-11-07 22:07:36 | 日記・エッセイ・コラム

 木枯らし一号をもたらした大陸からの移動性高気圧は、ちょうど関東平野・北隅の真上に来た。風は無く、穏やかな日である。2009年・立冬の日は、小春日和であった。

  ■ 葉先より 立冬の光 もれ来たり  こころよき時を ベンチに過ごす -夢 蔡ー

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 「 だから~、どうしたと言うのですか?ひまですね~!」

    如何せん、短歌については、全くのかけ出しである。語彙についても自信がない。何を詠ずるのか、その主張がない。ただ、閑人の戯言である。

  静愁(せいしゅう) 自ずから是れ詩中の料(かて) / 向使(も)し愁い無しくんば / 詩を得べけんや  -陸 游 詩 選 よりー

  「 愁いは、詩の糧となる。愁いが無ければ詩は生まれない。」 だそうである。南宋の詩人 陸 游は、国の現状を憂う。不正を激しく批判する。その一方では、故郷の風物に眼を凝らし、農村の営みを細やかに謳い上げる。

     日常を無為に過ごしている。冒険もない、挑戦もない。愁いと言えば、自分が何も考えていないことである。詩人の心は、どうも宿りそうも無い。

  枯れ草に 光を赤く 残しつつ 暮れなんとする 小春のひと日 

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   立冬の日も、暮れ行く。昔に比べれば、建物が込み入って、見渡す限りといった眺望がなくなった。しかし、好きな風景の一つである

  人間(じんかん) 万事 消磨し尽くすも / 只だ清香の旧時に似たる有り - 陸 遊ー 

  世の中の事は、いずれ変化し、終わってしまうものである。ただ、風景は、昔の名残を留めている。其処に心落ち着く所がある。安心感に包まれる。