通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

けん玉のまち 廿日市

2011年02月14日 | 広島の話題
「お前、けん玉の発祥の地が廿日市(はつかいち)じゃいうのは、知っとったか?」

「ええっ、ほんまなん!?」

「わしも、今、知ったんじゃがの…」



けん玉発祥の地とされる廿日市市で、半世紀以上手作りの技を守り続けている同市本町の職人西村保宣さん(73)に、同市下の浜、清水木工所の鍋谷一也さん(50)が「弟子」入りした。
「けん玉のまち」復活を願い、技の継承に取り組む。

西村さんは20歳の時に家業の木工玩具製造会社でけん玉を作り始めた。
1998(平成10)年に会社を廃業したが、2000(平成10)年に市産業振興公社の依頼で同市木材港北の市木材利用センターでけん玉作りを再開した。

一方の鍋谷さんは自動車販売会社を辞め、5年前に義父が営む木工所に転職。
市などでつくる協議会が開いた木工デザイン研修を受講し、木製の知育玩具の開発に取り組む。

西村さんへの「弟子」入りは全自動の機械ではなく、手作りの伝統継承を目指す市商工労政課の職員が鍋谷さんに働きかけた。
鍋谷さんも「木のまち廿日市の伝統を残したい」と快諾。
昨年6月に「弟子」入りした。

鍋谷さんは毎週金曜に市木材利用センターへ通う。
作業にはろくろを応用した40年以上前の手動機械を使用。
西村さんの手ほどきを受けながら、サクラやブナの木材から玉、皿胴、けんを削り出す。

市内ではピークの70年代に10社近い業者が年間約30万個のけん玉を製造していた。
しかし、需要低迷で次々と廃業。
現在は市木材利用センターが市内で唯一生産を続けている。

(「けん玉作り継承へ弟子入り」中国新聞 2011年2月12日)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201102120017.html




「けん玉いうても、今のような形を考え出したのが呉(くれ)の人で、それを作ったのが廿日市になるんじゃそうな」

「40年位前は、年間に30万個くらい作っとっちゃったんじゃね」

「今は廃(すた)れてしもうたんじゃが、伝統の技を残そうとしとってんじゃの」





「今日は、「けん玉のルーツ」「日月ボール」「けん玉 復活へ」について調べてみようかの」





【けん玉のルーツ】

「ところで、けん玉のルーツって何なんかね?」



けん玉のルーツは江戸時代、中国から長崎へ伝えられた(オランダからとも言われる)。
フランス語で「ビルボケー」、英語では「カップ・アンド・ボール」と呼ばれ、19世紀にはフランスをはじめ、欧米で盛んに行われていた。

(「けん玉」はつかいち旅ナビ)
http://www.hatsu-navi.jp/spot_info/%E3%80%90%E5%BB%BF%E6%97%A5%E5%B8%82%E3%80%91%E3%81%91%E3%82%93%E7%8E%89




「欧米というのは、意外じゃね。うちは中国あたりかと思うとったよ」

「ウィキペディアによると、けん玉のルーツになるものは、インディアン、エスキモー、そしてアイヌ民族など、世界中に存在するそうじゃ」

「日本には、江戸時代に紹介されたんじゃね」

「最初は、酒の席での遊びに使われとったそうじゃ」



↓けん玉については、こちら↓

「けん玉コレクション」けん玉
http://www.kendama.jp/~shinya/kenndama/collection.html






【日月ボール】

「今のようなけん玉の形を考え出したのが、呉の人なんじゃろ?」



玉と剣の間に皿のある、現在の形のけん玉は廿日市市が発祥の地だ。
1918(大正7)年8月、呉市の江草濱次(えぐさ はまじ)さんが考案。
翌1919(大正8)年に「日月(にちげつ)ボール」として実用新案登録し、1921(大正10)年に廿日市のろくろ木工場に依頼して製造を開始した。
廿日市を選んだのは、江戸時代から木材の集積地として栄え、木工業が盛んだったからだ。

(「広島県ものづくり探訪1 けん玉」広島県のホームページ)
http://www.pref.hiroshima.lg.jp/page/1214966243256/index.html




「木工業が盛んじゃったけぇ、廿日市で作ることにしちゃったんじゃね」

「剣と玉、剣の反対側にある皿だけじゃったけん玉の左右に、大小2つの皿を付けたのが「日月ボール」じゃそうな」

「「日月」っていうネーミングが面白いね」

「玉が日(=太陽)、皿が月というところから名づけられたんじゃと。で、昭和初期にかけて全国的なブームになって、中国大陸や台湾まで販路を拡大したそうじゃ」

「そりゃ、すごいね」



廿日市のけん玉づくりは、戦争により一時中断するが、戦後に復活。
高度経済成長期の観光ブームに乗ってみやげ物として全国の観光地に進出した。
1970(昭和45)年頃の最盛期には市内に6社の製造業者があり、全国シェアの約4割を占めていたほど。
当時は製造会社の前に朝から卸売商の列ができ、商品の争奪戦が起こるという光景も珍しくなかったという。
だが、昭和50年代なかば以降、テレビゲームなどの登場で子どもの遊びが変わると需要が激減。
昭和60年代にはほとんどの会社が休廃業し、最後まで残っていた業者も1998(平成10)年に製造をやめてしまった。

(同上)




「テレビゲームが流行したのって、昭和50年代じゃったかいね?」

「インベーダーゲームが発売されたのが1978(昭和53)年で、ファミコンが任天堂から発売されたのが1983(昭和58)年じゃ」

「うわー、30年くらい前の話になるんじゃね」

「喫茶店に置いてあるテーブル式ゲーム機の上に、100円玉を積み重ねてゲームしよったのう」

「最後までけん玉を作っとった業者も、13年前に廃業しちゃったんじゃね」





【けん玉 復活へ】

「もちろん、廿日市としても手をこまぬいとったわけじゃないんよ」



木工のまち廿日市を代表する伝統玩具であるけん玉作りの灯を消してはいけないという声が高まり、これを受けた廿日市市産業振興公社は30年以上けん玉作りをしていた西村保宣さんに白羽の矢を立てた。

(同上)




「今は廿日市市木材利用センターで、けん玉を作りよってんじゃね」

「新聞の記事にあったように、新たに弟子も取ってのう」



古くから木材との関わりが深く、「木工のまち はつかいち」として発展してきた廿日市市。
この施設では、けん玉体験教室やけん玉作り見学、トールペイント、木工教室など子どもから大人まで木に親しめる体験ができる。
特に、廿日市市は国内におけるけん玉発祥の地。
ここは西日本唯一のけん玉製造所でもあり、けん玉体験教室が人気。
もともとはフランスで貴婦人たちがワイングラスに毛糸玉をつけて遊んだのがルーツというけん玉を、講師がていねいに指導。
館内では生活用品などの木工品や、けん玉をはじめとする木工玩具などの展示販売も実施。
けん玉体験でその魅力にハマッた人たちが、おみやげに買っていくことも多い。

(「廿日市市木材利用センター」廿日市・宮島 体験観光ナビ)
http://www.21-taiken-kankou.com/?cn=100118




「けん玉作りの見学や、けん玉の体験教室があって、展示販売もしとってんじゃね」

「ほいで、プロのけん玉講師としても活躍しとる、日本けん玉協会西広島支部長の砂原宏幸さんという方もいらっしゃるんじゃ」

「ふーん。作る人、教える人が揃うとるんじゃね」

「それだけじゃのうて、通称「けん玉公園」と呼ばれる新宮中央公園が、廿日市新宮(しんぐう)1丁目にあるそうじゃ」

「そりゃ、すごいね」



↓廿日市市木材利用センターについては、こちら↓

「廿日市市木材利用センター」広島県廿日市市
http://www.city.hatsukaichi.hiroshima.jp/kyouiku_bunka/shogaigakushu/i_04_20_mokuzai.html




↓砂原宏幸さんについては、こちら↓

けん玉の楽しさを世界に広めたい~砂原夢企画~
http://www.yume-ken.net/drive.html




↓けん玉公園については、こちら↓

廿日市市 新宮中央公園ナビ
http://www.hatukaichi.com/






「今日は、「けん玉のルーツ」「日月ボール」「けん玉 復活へ」について勉強をさせてもらいました」

「今日もひとつ勉強になったでがんす。ほいじゃあ、またの」
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする