子どもたちの遺言
作: 谷川俊太郎・詩
絵: 田淵章三・写真
出版社: 佼成出版社
税込価格: \1,575
(本体価格:\1,500)
発行日: 2009年01月
本作品は、子供が語る言葉で描かれた谷川俊太郎の詩と、その詩の内容をイメージさせる子供たちの日常風景を切り取った田淵章三の写真で構成されています。
全編を通じた写真の中の子供たちは皆同じではありませんが、谷川俊太郎の詩は子供の産まれた時から成人式までの時間経過の中で、その写真の中に見る成長段階の子供達に相応しい言葉で語られています。
谷川俊太郎はあとがきの中で、自分自身が子供の言葉で語ることを「子どもの身になって」と書いていますが、それらの言葉は、今は大人になってしまった私たちの中で、忘れていたものを思い出させてくれるものではあっても、今の子供たちの中に留まる思いや願いではありません。
何故ならば、それらは通り過ぎた時間の中の言葉であっても誰かが読み返すものではなく、又、読者の私たちがいかに素直に受け止めようとも『詩』であり、実際の子どもたちが遺したであろうと思わせるものでしかないのですから。
それ故にこの「遺言』には、谷川俊太郎の今のこの時代の私たちに向けた多くの思いが込められているのだと思います。
この作品がどう出来あがったかについて触れてみれば、まず先に谷川俊太郎の詩があって、そこからイメージした被写体となる子供たちのシーンを田淵氏が追い求めたものだと思います。
こう書くとこの作品は、詩と組み合わせた写真集かと思ってしまうかも知れませんが、最後の章の「詩・子供たちの遺言」では谷川俊太郎の詩だけを掲載しており、読者は写真のイメージに左右されることなく谷川俊太郎の思いやメッセージを直接受け止めることができるのです。
そう言った意味においては、前半の詩のついた写真集は本来の形である『詩集』のイントロではないでしょぅか。
私はそう思います。
>生まれたよ ぼく
-中略-
>いつかぼくが
>ここから出て行くときのために
>いまからぼくは遺言する
>山はいつまでも高くそびえていてほしい
>海はいつまでも深くたたえていてほしい
>空はいつまでも青く澄んでいてほしい
>そして人はここにやってきた日のことを
>忘れずにいてほしい
私たちは人としての成長の節目で、いくつもの大切にするべき思いを言葉として遺しながら、それを思い出すことなく今を生きています。
しかし思い出さないそれらの大切なものは、子供たちが遺したばかりの心の中の言葉に、私たちが心を傾ければ聴こえてくるのだと思います。
そしてそれはきっと、私たちが最後の言葉を遺す時の後悔とならないためであり、生まれた時から探していた何かに出会うためのものだと思うのです。
作: 谷川俊太郎・詩
絵: 田淵章三・写真
出版社: 佼成出版社
税込価格: \1,575
(本体価格:\1,500)
発行日: 2009年01月
本作品は、子供が語る言葉で描かれた谷川俊太郎の詩と、その詩の内容をイメージさせる子供たちの日常風景を切り取った田淵章三の写真で構成されています。
全編を通じた写真の中の子供たちは皆同じではありませんが、谷川俊太郎の詩は子供の産まれた時から成人式までの時間経過の中で、その写真の中に見る成長段階の子供達に相応しい言葉で語られています。
谷川俊太郎はあとがきの中で、自分自身が子供の言葉で語ることを「子どもの身になって」と書いていますが、それらの言葉は、今は大人になってしまった私たちの中で、忘れていたものを思い出させてくれるものではあっても、今の子供たちの中に留まる思いや願いではありません。
何故ならば、それらは通り過ぎた時間の中の言葉であっても誰かが読み返すものではなく、又、読者の私たちがいかに素直に受け止めようとも『詩』であり、実際の子どもたちが遺したであろうと思わせるものでしかないのですから。
それ故にこの「遺言』には、谷川俊太郎の今のこの時代の私たちに向けた多くの思いが込められているのだと思います。
この作品がどう出来あがったかについて触れてみれば、まず先に谷川俊太郎の詩があって、そこからイメージした被写体となる子供たちのシーンを田淵氏が追い求めたものだと思います。
こう書くとこの作品は、詩と組み合わせた写真集かと思ってしまうかも知れませんが、最後の章の「詩・子供たちの遺言」では谷川俊太郎の詩だけを掲載しており、読者は写真のイメージに左右されることなく谷川俊太郎の思いやメッセージを直接受け止めることができるのです。
そう言った意味においては、前半の詩のついた写真集は本来の形である『詩集』のイントロではないでしょぅか。
私はそう思います。
>生まれたよ ぼく
-中略-
>いつかぼくが
>ここから出て行くときのために
>いまからぼくは遺言する
>山はいつまでも高くそびえていてほしい
>海はいつまでも深くたたえていてほしい
>空はいつまでも青く澄んでいてほしい
>そして人はここにやってきた日のことを
>忘れずにいてほしい
私たちは人としての成長の節目で、いくつもの大切にするべき思いを言葉として遺しながら、それを思い出すことなく今を生きています。
しかし思い出さないそれらの大切なものは、子供たちが遺したばかりの心の中の言葉に、私たちが心を傾ければ聴こえてくるのだと思います。
そしてそれはきっと、私たちが最後の言葉を遺す時の後悔とならないためであり、生まれた時から探していた何かに出会うためのものだと思うのです。