安らぎの里・お絵描き、写真、時々古典

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明治時代-12

2018-03-26 19:24:37 | 古典

明治時代-12

(明治・大正・昭和)

 

 

石川啄木いしかわ たくぼく) 

1886年(明治19年)~ 1912年(明治45年)岩手県に生まれる。

歌人、詩人。 

代表作 「一握(いちあく)の砂」

平明な(へいめいな)言葉で実生活に根差した三行書きの短歌は、歌壇に新風を吹き込んだ。肺結核のため若くして(24歳)生涯を閉じた。

 

24歳、若すぎますね! もったいないです。啄木の短歌はわかりやすくて、覚えやすいです。好きな詩がたくさんあります。

 

東海の小島の磯の白砂に 我泣きぬれて蟹とたわむる

 

たはむれに母を背負いてそのあまり 軽(かろ)きに泣きて三歩あゆまず

 

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買い来て妻としたしむ

 

ふるさとの訛(なま)りなつかし停車場の 人ごみの中にそを聴きにゆく

 

はたらけどはたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る

 

石をもて追はるがごとくふるさとを 出でしかなしみ消ゆる時なし

 

やはらかに柳あをめる北上の 岸辺目に見ゆ泣けとごとくに

 

ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな

 

 

 

斎藤 茂吉(さいとう もきち) 

1882年(明治15年)~1953年(昭和28年)歌人、精神科医。

伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。

 

第一詩集「赤光(しゃっこう)」は、近代短歌集の傑作とされている。青山脳病院の院長を務める傍ら多数の書物を著した。長男は精神科医で随筆家の「モタさん」こと斎藤茂太、次男は精神科医・随筆家・小説家の「どくとるマンボウ」こと北杜夫 

のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて垂乳根(たらちね)の母は死にたまふなり 

 

あかかと一本の道とほりたりたまきはるわが命なりけり 

 

 

今日は暖かかったですね。

今日も見ていただいて有難うございました。

 

 

では又~~  


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