『アエネイスミッション』[Aeneas Mission ]

建国の使命を抱くアエネイスのフアストミッションは自軍団自民族引き連れて炎上壊滅するトロイからの脱出である。

坪内忠太氏の雑学のあれこれがおもしろい!

2021-06-30 06:14:44 | 坪内忠太氏の雑学
ボクシングのリングは四角なのに何故リングというのだろうか?

ボクシングのリングのことであるが、相撲の土俵のように丸ければ、リング(輪)といえる。
がであるが、何故リングというのであろうか、この名称にはちょっとした歴史がある。

ボクシングが歴史上、最初に登場するのが紀元前4000年の古代のエジプトである。
『軍隊で行われていた』と承形文字で書かれているそうである。
その後、ギリシア時代の古代オリンピックでの正式種目となったのである。
ローマ時代になると見世物となるが、西暦476年の西ローマ帝国の滅亡とともに消滅する。
このころまでのボクシングの試合場はただの広場で行われていてリングはないのである。

近代ボクシングは、1718年、イギリスのレスリング選手であった ジェ―ムス フィグ がボクシングのジムを開設する。
この時の試合場は、ローマ時代と同じ地面上である。地面上に輪を描いて、その中で素手で闘ったのである。
しかし、やがてルールが整備される。観客が集まる。観客によく見えるようにと試合の場を高いところに設ける。

試合をする者が試合の場から落ちないようにロープを張るのであるが、
それには円(輪)であることより、支柱を立てて四角のほうがロープを張った方が張りやすく体裁が整うということで現在のように方形の試合の場としたのである。
リングという呼び方は、名称としてそのまま残ったのである。

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2021-06-29 06:22:15 | 坪内忠太氏の雑学
サッカーの試合から戦争になったことがある? これホント!

1969年6月27日
メキシコシテイで行われた サッカーワールドカップ の予選の準決勝試合のプレーオフ
エルサルバドル対ホンジュラスの試合は、
延長線の末 3対2 でエルサルバドルが勝利した。

中南米で隣接しているこの二つの国は、
国境問題などで仲がよくない、以前から戦争の火種のくすぶっている間柄である。

この試合でサポーターの同士の争いが発生する、投石、暴行がおこる。
両国の国民感情が悪化、試合直後の6月末に国交断絶へと一気にエスカレートする。
そして、2週間後の7月10日、エルサルバドルの空軍がホンジュラスの空軍基地を爆撃したのである。
がである、米州機構が直ちに調停に乗り出して、7月29日には停戦協定を成立させる。
なんとか100時間戦争が終わったという次第である。
しかし、多数の死傷者が出た戦争であったのである。

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2021-06-28 06:05:54 | 坪内忠太氏の雑学
トライアスロンの競技種目は、なぜ、マラソン、自転車、水泳なのか?

発祥の地は、ハワイである。
もともとハワイには、ホノルルマラソン。オアフ島1周サイクリングレース(自転車)、
ワイキキラフウオタースイム(水泳)の3つの競技大会があった。
1977年にアメリカ海兵隊において、
この3つの競技大会でこのうちどの大会が精神的に過酷でであるかという論争が起きたのである。
この論争が海兵隊を発信源にして拡散したのである。

『それならいっそのこと、マラソン、自転車、水泳を一緒にした競技大会をやればいいではないか』ということになり、
1978年2月に、15人が出場して、第1回のトライアスロン大会が開催されたのである。
それが世界に広まったというわけである。

競技大会は、水泳、自転車、マラソンの順に行われる。
一般的には、水泳 3.9キロメートル、自転車  180.2キロメートル、マラソン 42.195キロメートルが基準である。
基準があるが厳しい規定はない。まさに鉄人レースである。


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2021-06-25 07:03:21 | 坪内忠太氏の雑学
『匙を投げる』ことが諦めることになる!そのわけは!

『匙を投げる』ことがなぜ諦めることになったにか。
この投げた匙は、食事の時に使うスプーンのことではない。

昔、医者が薬を調合する時に使用した 薬匙 である。
『どのように薬を薬を調合しても、この病をなおすことができない!申し訳ない』
と医者が病を診断して薬の調合をあきらめて 匙を投げたのである。

この用語を一般でも使うようになったのである。

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2021-06-24 05:26:35 | 坪内忠太氏の雑学
蚊取り線香は、渦巻き状に作られているのなぜ?

蚊を『めまい』させるためではない。
蚊取り線香の原料である除虫菊が伝わったのが、1885年(明治18年)である。蚊取り線香が家庭で使わられるようになったのはそれ以後のことである。

蚊取り線香は、はじめ、一般の線香のように棒状であった。ゆえに倒れて火事になることもあったらしい。
1895年ころ、大日本除虫菊(株)の創業者の奥さんが自家の蔵の中でとぐろを巻いているヘビを見て、その話を夫に話した。
創業者である夫が即座に、蚊取り線香を渦巻き状に造ることを思いついたという。

渦巻き状に蚊取り線香を造れば、寝かせて燃やし使うことができる。そのうえ、線香を長く作ることができ、燃焼時間も長くできる。
というわけで、渦巻き状の蚊取り線香ができたのである。

現在の蚊取り線香の長さは、75センチメートルのものと90センチメートルのものが売られているそうである。
線香の太さも考えられて造られており、燃焼時間は、75センチのものは7時間くらい、90センチのものは9時間くらいだそうである。

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2021-06-23 05:49:05 | 坪内忠太氏の雑学
品川駅は日本で一番最初に汽車が発着した駅である!これホント!

東京の品川駅は品川区にはない。それのなぜから!
品川駅のあるのは、東京都港区であって品川区にはないのである。
それの何故は、東京から横浜までが最初に鉄道が計画された。
当時の品川宿は日本橋から出発する東海道の最初の宿場町として栄えていた。
そのような事情で品川宿の宿場の人らが鉄道に客が奪われるのを恐れて駅の建設に猛反対したのである。
その結果、駅は品川宿より北に位置する港区の高輪に建設されたのである。

品川駅の駅舎は明治5年(1872年)1月に完成する。
同年の10月の新橋~横浜間の開通に先立ち、同年の5月に品川~横浜で仮開業したのである。
そのようなわけで日本で最初に汽車が発着したのが品川駅なのである。



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2021-06-22 08:28:53 | 坪内忠太氏の雑学
徳川時代の鎖国政策は、いい政治政策であった!これホント!

徳川時代が始まった頃、西洋の諸国は貨幣経済を武器にして植民地の獲得に乗り出していた。
その頃の日本では銀が産出され、ヨーロッパ諸国の経済侵略の標的にされる恐れがあったのである。

一例をあげると、メキシコの前身であるノビスパンという国は、銀を産出していた。それ故にスペインに侵略されて滅ばされている。

徳川幕府は、こうした西洋諸国の支配を排除するために鎖国政策を実施して、
金銀のの流出を防ぎ、貨幣経済の代わりにコメの流通を経済の中心に据え、自給自足とすることにより、
西洋諸国の経済侵略と搾取を防御したのである。
鎖国政策は、大切な政治政策の一つであったのである。


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2021-06-21 07:53:18 | 坪内忠太氏の雑学
徳川時代、幕府の首領は、日常をどのように時間を使っていたのであろうか?

昔は早寝早起きであったから、幕府の首領といえども早起きをしていたらしい。
朝5時ごろには起床していた。
歯を磨き、顔を洗ったあと、袴をつけて先祖代々の位牌を拝んだのちに朝の膳についた。
料理は、ご飯、みそ汁、野菜の煮物、吸い物、魚などであったらしい。
食事が終わると、そのあと、昼まで好きなことをして過ごしたらしい。
読書、剣術等に親しんで、絵を書くこともあったらしい。
為すべき政務は、昼を過ぎてから行った。

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2021-06-18 06:05:24 | 坪内忠太氏の雑学
徳川家康と石鹸。徳川家康が豊臣を撃破したのには石鹸が役立った!これホント!らしい。

徳川家康が2代目将軍の徳川秀忠に合戦の折に使った品物の『送り状』が静岡県久能山の東照宮に残されている。
その送り状の品目の1番目には、『金』であるが、なんと2番目に『石鹸(サボン)』と書かれているそうである。
1番目が『金』であるから、『石鹸』はその次に大切なものであるということらしいが、その真意のほどが不明である。

家康が豊臣攻めに石鹸の効用で関ケ原の戦いで勝ち、大阪の陣で勝利をおさめた。
この時代、ポルトガルからの輸入品である『石鹸』は貴重品であった。
家康は、これを兵士らに提供して、一日の戦が終わった後に石鹸を使わせて身体を洗わせた。
戦場を走り回った兵士らは汗まみれ、泥まみれである、それでは戦意が失われがちになる。
『それでは、いかん!』と家康はそこで考えたと思われる。
汗や泥をながし、サッパリして、『明日もがんばるぞ!』という気持ちにさせて兵士らに戦いに挑ませたらしい。
その結果、徳川方が連戦、連勝したという。
真偽のほどの確証については、歴史に語られていない。

日露戦争の日本海海戦では、戦闘開始前に軍艦に乗り組んでいる乗員らに衛生面を考えて石鹸を使って身体を清潔にしたことは語られている。
負傷とかした場合に清潔な体であればと手当て面のこと考えて指示されていたという。


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2021-06-17 05:49:05 | 坪内忠太氏の雑学
聖徳太子の17条憲法は、15条や20条ではなく、なぜ17条なのか?

第1条の『和をもって貴しとなす』で知られる聖徳太子の17条憲法。
数字的に切りのいい15条や20条であってもいいように考えられるが、
なぜ17条なのか。

その理由は、縁起をかついでいるからである。
『17』なる数字の縁起とはである。

古代の中国では、奇数を陽数、偶数を陰数としていた。
陽数の一番大きな数が 『9』。
陰数の一番大きな数が 『8』。
この『9』と『8』を足した数が『17』なのである。
この陽と陰とを合わせた数が、世界の全てをあらわすと考えての『17』なのである。

家族で話題にしてみた。息子が言う、『理屈と膏薬はどこにでもつく』であった。