『アエネイスミッション』[Aeneas Mission ]

建国の使命を抱くアエネイスのフアストミッションは自軍団自民族引き連れて炎上壊滅するトロイからの脱出である。

[一択!建国の大地へ] 番外編  ハチミツが人類の生活に蜂とともに登場していた。

2021-03-31 07:32:33 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 ハチミツは、2000万年くらいも前に人類の生活に登場したと考えられている。
 ハチミツは甘いだけではなく、医学的特性もあわせもって人類の生活に登場したのである。

 ローマ時代になってブリニウスなる人物がオーバー気味に言っている言葉に
 『10世紀もの長い間、ローマ人は、医師なしで生きてきた!』と彼が記した書き物の中に書き記している。
 ローマ人が結構健康であったのは、ハチミツがもたらした恩恵があったのではないかと考えられる。

 ローマ人は、ハチミツを食すだけではなく、肉、果物、野菜等の保存にも使用した。
 古代のエジプトでは、遺体の防腐に使ったらしい。

 ハチミツが好まれた理由には、ハチミツのもたらす医学的効果があった。
 ハチミツは、毒消しの霊薬として重宝された。
 ネロ帝の侍医アンドロマクスは、ハチミツに少量の麻薬を加えて鎮痛薬として使用したことが伝わっている。
 そのほかハチミツは、創傷や潰瘍をを治すことに使われたといわれている。

 また好まれたスープの一種にワイン、ハチミツ、魚醤、で調味した大麻のスープが好まれたといわれている。
 特殊な作用があったのではないかといわれている。

[一択!建国の大地へ] 番外編  古代のローマ人にとってソラマメは基本的食べ物のひとつであった。

2021-03-30 07:50:09 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 古代のローマ人の基本的な食べ物にソラマメがあった。
 ソラマメの原産地は、地中海の沿岸地方、西南アジア辺りであるといわれている。

 ソラマメには大粒種と小粒種があり、大粒種はアルジェリア周辺地方、小粒種はカスピ海南岸地方で収穫されたらしい。
 イスラエルの新石器時代の遺跡から、その時代のソラマメが発掘されている。

 ソラマメの栽培は、一説によると紀元前6000年ころにはヨーロッパ地域でもう始まっていたらしいといわれている。
 ソラマメを重宝した地域では青銅器時代ころには栽培に着手している。これは史実である。
 ソラマメが日本に渡来するのは8世紀ごろらしいが、紀元前3000年ころには中国に伝わってきているらしい。

 古代のエジプトでは、ソラマメが国民的朝食として食された時代もあったらしい。
 豆類としては大きな部類であるため、古代において重宝した食べ物であった。
 ソラマメを塩汁でゆでて食べる。さやごと焼いて中の豆を食べる。
 ソラマメを煮こんでオリーブオイルと果汁で和えて食したらしい。
 セロリ、コショー、魚醤、ワイン、ハチミツを入れてソースをつくり、そのソースをソラマメにかけて食べたらしい。
 

[一択1建国の大地へ] 番外編  古代ローマ人は料理のために家禽を飼育していた。

2021-03-29 07:43:37 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 古代のローマ人は、料理を楽しむために様々な家禽を飼育していた。
 
 鶏の消費が多くなり、ローマの帝政は、ぜいたく規制法を作って庶民を取り締まる、晩餐一度に鶏一羽とする。
 彼らは規制法を手段を使って回避する。彼らは鶏以外の家禽を飼育する、飼育する家禽には旨いエサを食べさせてまるまると太らせて調理に及んだ。

 彼らが好きであったのは、鶏を丸のまんまハーブ入りの汁で茹でて、ハチミツ、ディル(せり科の一種)、漁醤で液を作り、茹であがった鶏にに塗りつけ火であぶり焼く。
 焼き終えたら工夫を凝らしてソースを作り、コショーをきかせて、そのソースで茹でて焼いた鶏を食した。

 尚、飼育する家禽はというと土鳩、ツル、鴨、さらにホホジロ鳥、ウズラ等々であったらしい。
 調理には、狩りで捕ってきたキジなど多種類のトリを調理して食したといわれている。

[一択!建国の大地へ] 番外編  古代ローマ人のテーブルマナーの鼻つまみの一例。

2021-03-26 05:58:16 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 古代ローマ人が宴会の席でナプキンを使い始めるのは、紀元80年が過ぎてからである。
 それまでの宴会の席ではナプキンがわりに何が使われていたかはであるが、それは『パン』であったといわれている。

 料理が運ばれる、次の料理が音楽が流れるとともに運ばれてくる。その合間に美麗のウツワに香り芳しい水を入れて客席に運ばれてくる。
 その水で手、指を洗い、ナプキンがわりの『パン』で手をぬぐい、料理をつかみ、口へ運ぶ、酒杯の酒を飲んだ。

 それに加えて、宴席の客らの中の食べすぎ、飲みすぎの客らために土器が嘔吐したい客に配られたのである。
 食べ過ぎ、飲みすぎの客がその土器の中に嘔吐して、胃をカラにして、酒か飲み物で口をゆすいでまた食べ飲んだと伝えられている。
 まさに宴会にあるまじきマナーで酒宴を続けたといわれている。

 

[一択!建国の大地へ] 番外編  古代ローマ人は、獣肉を茹でてから焼いて食べた。

2021-03-25 08:41:01 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 古代ローマ人は、豚肉、鶏肉等、肉類を特別の場合を除いて、茹でてから焼いて調理することが一般的であったらしい。
 
 それの何故は、この時代、食する獣肉は少々人が食べるには硬く感じられていたらしい。そのようなわけで茹でてから焼いて調理された。
 また、茹でることによる肉汁を野菜等の調理に、また、スープづくりに使用した。
 
 彼らは、コショー、セロリ、玉ねぎ、その他の野菜、ハーブを使い、ハチミツ、酢、オリーブオイル等々を加えてうまいスープを作り、食事を楽しんだことが偲ばれる。

 *変換ミスをしました。再度投稿いたします。お詫びいたします。 山田秀雄

[一択!建国の大地へ] 番外編  子でおローマ人は、獣肉を茹でてから焼いて食べた。

2021-03-25 08:17:12 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 古代ローマ人は、豚肉、鶏肉等、肉類を特別の場合を除いて、茹でてから焼いて調理することが一般的であったらしい。
 
 それの何故は、この時代、食する獣肉は少々人が食べるには硬く感じられていたらしい。そのようなわけで茹でてから焼いて調理された。
 また、茹でることによる肉汁を野菜等の調理に、また、スープづくりに使用した。
 
 彼らは、コショー、セロリ、玉ねぎ、その他の野菜、ハーブを使い、ハチミツ、酢、オリーブオイル等々を加えてうまいスープを作り、食事を楽しんだことが偲ばれる。

[一択!建国の大地へ] 番外編  古代ローマ人は、養豚、養鶏、養ガチョウ等の飼育は強制給餌でやった。

2021-03-24 07:25:49 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 強制給餌で食材肉がうまくなるかな?で養豚、養鶏、養ガチョウ等の飼育をローマの古代人がやっていたらしい。
 フオアグラは、こうした状況から生まれたのかなと考えられている。

 ローマの古代人は、料理について考えるに十分な時間を持っていたらしい。豚や鳥を飼育するのに特別のエサを与えることで肉の味がウマクなるのではないかと考えたらしい。
 彼らは、どんなエサを与えると肉が旨くなるかを考えた。例えていえば次のような次第である。また、食材にする豚や鳥が肥えていることも大事な要件であると考えた。

 古代人のひとり、アビキュウスの言葉によるとイチジクで飼育した豚の肝臓について書いているし、
 ブリニウスの書いた書物からは、養豚、養鳥に干したイチジクや干しブドウを強制給餌した記述がある、結果についてはふれていないようである。
 紀元前500年ころのギリシア人クラテイノスもこのことについて書いているそうである。
 現代の肉牛や豚の飼育に、その仕事に携わっている方たちの志向がうかがわれますね。

 その目的は、何だあったかは古代のことゆえに定かではない。
 肥えて太った豚や鳥で料理することか、肝臓の味をうまくするためかも不明であった。
 養鳥の脂肪は、ランプオイルに使われていたことは判明している。また、香りのいい飼育した動物の脂肪は調理に使われる。
 肥えた豚の肝臓は、テリーヌ(冷製の前菜料理の1種、肉をペーストにして調味してオープンレンジだ焼いた料理)にして食した。

[一択!建国の大地へ] 番外編  古代のワインの味は?甘みが強かった。

2021-03-23 09:14:54 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
  古代のワインの味は、アルコール度も高く、甘みの強い代物であった。
  製造方法が現在のワイン製造方法とは全く違っていたらしい。
  古代においては、ワインは飲み物に位置付けられており、アルコール度も高く、甘みも強くワインの原酒を水で薄めて飲んでいた。
  ワインを調味料として使う、医療の療法薬としても使用したと伝えられている。

  古代のワイン製造工程は、難しく油断が許されない状態でつくったらしい。発酵がうまく進まなければワインが酢になってしまう。
  ワインの製造に携わる者たちは、ブドウを存分に日光にあてたりして、ブドウが熟しきって使い、ハチミツやナシ等の果汁を加えて糖分を増やす製造方法でワイン造りをしたらしい。
  そして多種のスパイス類を使ってワインの風味を高めてワイン造りをしたらしい。

[一択!建国の大地へ]  番外編  古代ローマ人の魚とシーフードが大の好みであった。

2021-03-22 05:51:28 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 古代ローマ人は、魚、シーフードが大の好みであった。
 紀元前1世紀の頃、海の近くに居住している裕福なローマの市民は1年中、新鮮な魚、貝類といったシーフードを食べれるような家ツクリをしていたらしい。
 家の別棟に海水を入れる水槽を備えて、インフラ的に都市設備とした水道設備で別棟の水槽に海水を運び入れていたことが解っている。
 
 帝政期のローマは、貿易港オステイアからローマまで海水を水道を使用して運ぶことができたのである。
 また魚の販売については、大量のマグロを切り身にして塩漬けにして、海水を入れたアンフオラの中にいれて各所の市場施設に運んだり、売ったりした。
 こうして運ばれた魚は輸送コストがかかり高い値段で取引されたといわれている。

 市場の一例としては、紀元100年ころにつくられた『トラヤヌス帝の市場』が有名である。
 建物が半円形の5階建ての建物(一部が壊れているが遺跡として現存している)であり、早朝から正午まで市が開かれていた。
 建物の上層階には、魚を入れる大水槽があり水道で運ばれた海水が満たされていた。
 此の市場には、150有余の店舗があり、倉庫があり事務所も存在していたといわれている。
 また、此の市場はローマ市民への食糧の配給所としても機能し、貧困にあえぐ市民に食糧を提供したといわれている。

[一択!建国の大地へ] 番外編  古代ローマの宴会のカタチとナガレはこんなであったらしい!

2021-03-19 04:54:32 | 使命は建国。見える未来、消える恐怖。
 古代ローマにおける宴会のカタチとナガレはこんなであったらしい。

 宴会に提供された料理のデイッシュは次のようであったらしい。
 第1のコース オードブルデイッシュ タマゴ類の料理 シーフード、貝類の料理等々。
 第2のコース 第1のメーンデイッシュ 肉類及び家禽類を調理した料理、魚類シーフード料理
 第3のコース 第2のメーンデイッシュ 多種類に及ぶロースト肉及び狩猟してきた獣類、鳥類を調理した料理。
 第4のコース デザートのデイッシュ ケーキや菓子類が供される。
 料理には、多くの材料、多くのハーブ類を使って調合されたソースが配されて食事が楽しまれた。
 宴会のナガレとしては、コースから次のコースに到る間にダンスやゲームが催される。
 料理が運ばれ、供する、食する時には音楽が奏された。

 富裕な市民、名士、友人等々大勢の客を招くのが伝統であったらしい。宴会の主催者はこれでもか、これでもかと料理を調理して、美味を尽くして豪勢に客をもてなした。
 とはいうものの、客の態度に頭に来た給仕係は、残り物を出したり、いたんだフルーツを出すということも時たまあったらしい。