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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~長浜市 己高山 石道寺~

2016-12-13 19:19:19 | 御朱印蒐集
 滋賀県湖北地方の東に位置する己高山(こだかみやま、923m)は近江国の鬼門にあたることから、古代より霊山・修行場であったとされています。
寺伝によると、元々の石道寺(しゃくどうじ)は己高山の山中にあり、奈良時代の726年に延法上人が開基。
その後、さびれるものの平安時代初期の804年に伝教大師(最澄)により再興されて、比叡山の別院として栄えたそうです。

「己高山仏教文化圏」として栄えた己高山一帯にはかつて多くの寺院が存在したとされ、奈良の興福寺の資料(1441年)には、己高山五箇寺として「法華寺」、「石道寺」、「観音寺」、「高尾寺」、「安楽寺」が存在していたようです。
紅葉で有名な「鶏足寺」や「飯福寺」は、「観音寺」の別院であったとされているそうですから、この地に大きな仏教文化圏が栄えていたことが分かります。



その後、再び荒廃していってしまいますが、1354年には京都護国寺の僧源照上人が、山門・三十六坊を興して再興し、真言宗豊山派に改宗したそうです。
戦国時代になると1575年に織田信長の兵火により全焼してしまいます。1605年の再興後、明治時代の中頃まで寺院は名刹として維持されてきたそうです。



しかし、明治の後半になると、焼失・大水などの災難が続き、ついに無住の寺となってしまったようです。
大正3年(1914年)に里人の手により、ここより東1㌔の己高山山中にあった旧石道寺を現在地に移築して現在の石道寺となったそうですから、里人の方々の労力には恐れ入るものがあります。



ところで、石道寺は、距離数百mに隣接する鶏足寺と並ぶ紅葉の名所ですが、すでに紅葉シーズンが終わってからの参拝でしたので人気(ひとけ)がないかと思いきや、かなりの方がわずかに残る紅葉見物に訪れておられました。
この界隈は、紅葉のシーズンに一時的に観光客は増えるようですが、駐車場のすぐ近くを大きな猿(ボスザル?)が悠々と歩いていたり、川縁にはカワガラスの姿が見られたりと自然の豊富な場所です。
『クマ注意!』の看板もありましたが、大勢の人が歩いていましたから、さすがにクマも出てはこれませんね。



そんな経緯があって石道寺は移築された本堂だけになっていましたが、現在も石道寺は無住の寺で地域の住民の方によって管理されているようです。
本堂に入った時は、ちょうど前の方々への説明が終わってしまった後で、一人で仏像を見ていると、次の団体の方(大阪からのバスツアー)が来られて、一緒に説明を聞かせていただくことが出来ました。
堂内は人で満杯状態でツアーの方の中でポツンと座っているのは微妙な気分でしたが、説明は非常に丁寧なもので分かりやすく話して頂けたと思います。





石道寺で見たかった仏像は「木造十一面観音立像 (平安時代中期・重要文化財)」だったのですが、唇に紅をさしたかのような穏やかな表情の観音様でした。
仏像は、欅の一木造りで像高173.2cmとされ、右足の親指が上を向いていますので、本当に歩きだしそうな感があります。
また十一面観音の修復時に、胎内仏として金剛界大日如来一万躰の印仏(200体×50枚)が収められているのが見つかり、修復後に胎内に戻したそうですが、その中の1枚だけは堂内に展示されていて来場者の注目を集めます。


(十一面観音立像 平安中期作 重要文化財・・・購入写真)

作家の井上靖は、『この十一面観音様は村の娘さんの姿をお借りになって、ここに現れていらっしゃるのではないか。
素朴で、優しくて、惚れ惚れするような魅力をお持ちになっていらっしゃる。 野の匂いがぷんぷんする。』 とこの像について評されているそうです。


(十一面観音立像 平安中期作 重要文化財・・・購入写真)

逗子の中の十一面観音立像の右隣には旧高尾寺の「十一面観音立像」(藤原時代)が並び、さらに厨子の外側には「多聞天」と「持国天」(ともに平安時代作・重要文化財)が安置されていますので、四天王2躰の迫力と十一面観音像3躰の柔和さに見惚れてしまうこととなりました。
やはり仏像は内陣に入って、近くから厨子や須弥壇に安置された仏像を見ることが出来ると感慨が深まりますね。


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