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“男のためのガーデニング”改め

「酒波寺の行基桜(エドヒガンザクラ)」~滋賀県高島市~

2020-04-09 18:22:22 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 地元でソメイヨシノが満開となっていますが、コロナ自粛の影響により花見客はまばらになっているようです。
桜の花が咲き、散るといよいよ春も本番という気持ちになりますし、咲いたと思ったらあっさりと散ってしまう姿も日本人の好みに合うとされますが、今春は控えめにということになります。

一言で桜といっても、日本には約600種ともいわれる種類の桜があり、よく見かける桜としては“染井吉野・八重桜・枝垂桜・山桜・大島桜”といったところかと思います。
ソメイヨシノは生活圏にもたくさん咲いてはいるものの、高島市には推定樹齢500年とも600年ともいわれるエドヒガンザクラが「酒波寺」にあるといい、参拝に訪れました。



「酒波寺」は740年、聖武天皇の御願により行基が千手観世音菩薩を本尊として建立したと伝えられており、七堂伽藍・四十九坊の大寺院だったとされます。
中世には浅井長政の庇護を受け、天台・真言の兼学道場として栄えていたようですが、1572年に織田信長・信忠によって焼き討ちされて寺領が没収されてしまったといいます。



本堂は江戸時代の1662年に再建されてはいるものの、現在は本堂・寺寶館・護摩堂と鐘楼・山門のみとなっている。
朱大門は、2015年に442年ぶりに再建されたといい、鮮やかな朱塗りがよく映え、阿吽の金剛力士像も安置されていることから、再建への道を進んでいる寺院といえます。



朱大門から続く参道の両側は桜並木に彩られ、石畳にかぶるように咲くソメイヨシノが美しい。
雨が降ったり一瞬晴れたりの不安定な天気ではあったが、そのおかげで誰も来ない寺院は貸し切り状態の花見です。



「山門」へと続く石段の左側にそそり立つ木が「酒波寺の行基桜(エドヒガンザクラ)」。
幹径4m・樹高21.5m・樹幅22mという長身の大木は、大きすぎて桜の木とは思えない。



酒波寺のエドヒガンザクラは平成15年の大雪で大枝が2本裂けて半分の姿となったといいますが、横に並ぶ杉と比べても見劣りしないその大きさに驚きます。
桜の幹には祠のようなものが見えますが、ここからは炭が出てきたことから寺院が焼けた時に焦げ、再生したものだとされています。



空洞化した幹の内部は祠に見立てられており、中には五輪塔を彫った石碑が安置されている。
年代等は分かりませんが、中世の最盛期の遺構か江戸期の再建時のものか...。





山門まで来て後ろを振り返るとエドヒガンザクラの見事な姿が望める。
この枝の広がりでありながら、以前の半分になってしまったというと、平成15年まではいったいどんな巨大な桜だったのかと想像してみる。





山門から入山して今度は石垣の上の見下ろす位置からエドヒガンザクラを眺める。
日陰になってしまうため見にくいが幹は苔むしており、古木の良さが伝わる。





境内には「本堂」と「寺寶堂」「不動明王護摩堂」が廊下でつながった形で建つ。
本堂は江戸時代に再建されているといいますから、その建造物が維持されていると思われ、左右に連なる建物はその後に増設されたものかとも思われます。





一番左にある「不動明王護摩堂」の横は歴代の住職の墓となっており、下段にあった石仏には“阿闍梨法印亮深”と“享保?年”の銘があり、他にも幾つか石仏がみられる。
護摩堂も本堂も曇りガラスのため内部の様子は分かりませんが、寺寶堂の中には位牌が並んでいるようだった。



寺院はここまでかと思いきや、「寺寶堂」の下に「大権現参道」への入口がある。
はてさてどうなっているのかさっそく堂の下をくぐって裏山にあるという参道へと向かう。



「寺寶堂」の裏側には古刹感いっぱいの石段が続いている。
少し登った先に「山王大権現」の祠と「小一品稲荷大明神」の祠がある。
「山王大権現」は天台宗の鎮守神であり、日吉大社の祭神で比叡山とは縁が深い神仏習合の神。





先にはまだ石段が続いており、上には朱色の社が見える。
山へと続く石段というのは当方にとっては魅力たっぷりに感じてしまい、ワクワクしながら石段を登って行く。



石段の上にあったのは「愛染大権現」の祠で、横にはプレハブの「行基堂」。
ここが行き止まりかと思うが、まだ登れそうな道がある。
地面から根が浮き出て生命感を感じる古木の大木の横を上へと登って行く。



道の先にあったのは池に面した「善女龍王」の祠。
「善女龍王」は空海の伝説にある“雨を降らせる力を持つ龍王”であり、愛染大権現(明王)とともに真言宗とつながりの深い神。

その奥には「太郎坊」「次郎坊」が祀られた祠があり、「愛宕神社」や「阿賀神社」に祀られる天狗「太郎坊」と、比叡山から比良山移り住んだという「次郎坊」は、いづれも山岳修業の霊山に住む天狗。
「大権現参道」を行くと修験道や神道、天台宗や真言宗の密教色が残り、かつて兼学道場の山だったことを伺い知ることが出来ます。



ところで、境内には苔むした石造宝篋印塔や石造の五輪塔があったのも印象に残ります。
銘は全く読み取れませんでしたが、それなりの年月は経っているものかと思います。





雨が降ってきたら雨宿り、陽が差して来たら石段登り下りと気長に過ごさせて頂き、ゆっくりとした時間が過ごせました。
エドヒガンザクラは“散り始め”の時期だったとはいえ、まだ花には間に合い、ソメイヨシノも満開の見頃でした。



この地域には「いまづ自然観察クラブ」の分布調査によると、138本のエドヒガンザクラがあるといい、名の知れた桜の名木があるといいます。
桜の名木を求めて周辺を散策していた時、田圃の横にあるのを見つけたのは「弥勒堂石塔」の姿。



なんとか持ちこたえてくれていた天気もこの辺りまで来た時に本格的に降り出してきました。
これで撤収となり、琵琶湖の湖西から湖北に向けて車を進めます。
毎年大渋滞を起こす「海津大崎の桜」も今年は雨とコロナ自粛の影響で駐車場の係の方も手持無沙汰な様子です。



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