■歴史に学ぶ戦争回避の施策
日本海へイージス艦、中国四国地方にミサイル迎撃部隊を展開させ、我が国の迎撃態勢は可能な範囲で完了しました、これ以上は軍事力での圧力が必要であり祈るような平和的手段以外、現行憲法施政下では出来ません。
1996年台湾海峡ミサイル危機、今回進行しているグアム八月ミサイル危機は21年前の台湾海峡における緊張以来の極東地域における緊迫した状況といえるでしょう。ただ、1996年台湾海峡ミサイル危機は、中国人民解放軍の台湾攻撃という台湾海峡有事が一歩手前まで迫った文字通りの“危機”でしたが、結果は人命が失われる事はありませんでした。
グアム八月ミサイル危機は現在進行中の事案ですが、現在のところ北朝鮮は火星12型弾道ミサイル四発の発射宣言として検討している段階と発表し、グアム周辺へのミサイル攻撃は行われていません。そこで、今回の危機が核戦争に直結する朝鮮半島有事に発展させない選択肢を、1996年台湾海峡ミサイル危機という歴史から学びとれる点はないでしょうか。
1996年台湾海峡ミサイル危機は、1995年7月7日に中国人民解放軍の弾道ミサイル部隊である第二砲兵が台湾海峡の台湾領澎湖諸島沖において弾道ミサイル実験を行うと、新華社通信を通じ発表した事で突発しました。背景には台湾の中華民国台北政権が国家元首たる総統を初の民主選挙により選ぶと発表、台湾独立民意が反映される事を警戒した為です。
台湾は中華民国台北政府であり、国民党南京政府統治時代の中国において1927年に端を発した中国共産党による革命運動と鎮圧する国民党政権の国共内戦の結果、途中に日中戦争を挟み一時は共闘した国民党と共産党の内戦を経て、1955年に国民党が大陸側最後の橋頭堡たる大陳島を台湾島へ撤退し、台北へ臨時政府を移し、現在のところ維持されています。
一つの中国、と中華人民共和国は繰り返し主張していますが、これは台湾の中華民国政府が国是として“大陸反攻”を掲げ、台湾島において兵力を再編成しいつかは中国大陸を共産主義勢力より奪還する、という立場を示している為、結果的に形而的内戦状態が継続しており、中国は一つであるとの認識を、同床異夢でありつつ、北京と台北が共有している。
第二砲兵が台湾海峡へ弾道ミサイルを撃ち込む決定に至ったのは、当時の中華民国総統が台湾出身の李登輝氏であった為です。中華民国第二代総統蒋経国氏が病没する際、当時台北市長であった李登輝氏を次期国民党党首に指名しましたが、当時は戒厳令が長く続き民主政権への移行を果たせていません。そこで信を問おうとしたのが中国を警戒させました。
東風15型弾道ミサイル部隊を第二砲兵は台湾海峡に面する福建省へ移動させます。民主選挙を台湾が行う場合、一つの中国を堅持するならば中国大陸でも選挙を行う必要があります。国民党は中国大陸撤退の際に大陸全土の国民戸籍書類を移動させており、北京が同意すれば不可能ではありませんが、実行したならば共産党への民主化要求に繋がりかねない。
中華民国総統選挙は結果的に台湾島を中心として中華民国国内に限定し選挙を行うほかありませんが、これでは大陸反攻という国是を放棄し、専守防衛という事実上の台湾独立宣言に繋がりかねません。民主選挙を阻止する事を主眼として、中国国家主席江沢民氏は台湾海峡へのミサイル実験、警戒範囲設定により事実上の台湾海峡閉鎖を目指したのでした。
江沢民主席はアメリカがこの問題へ関与しないと前提していました。アメリカは1972年のニクソン訪中に伴う米中国交正常化により台湾より米軍が撤収、1975年のヴェトナム戦争終結によりヴェトナム全域より撤退、1991年のピナトゥボ火山噴火に伴いフィリピン撤収、残るは在日米軍と朝鮮半島有事に備える在韓米軍の他はグアムまで下がっていた為です。
1995年8月15日に第二砲兵は最初の弾道ミサイルを台湾海峡へ発射、複数を同時着弾させる飽和攻撃演習を含め多数の弾道ミサイル部隊を展開させました。1995年11月には弾道ミサイル演習に加え水陸両用部隊を含めた三軍統合演習に発展、事態を重く見た中華民国政府は領域である中国大陸沿岸部離島の住民疎開を開始、戦争の可能性が高まりました。
アメリカのクリントン大統領は、中国人民解放軍の行動を台湾島嶼部への侵攻準備に着手したと判断、即座に予防外交を展開すると共に中国軍の軍事行動が台湾上陸へ発展する事を強い決断で阻止する方針を発表しました。弾道ミサイルにより台湾海峡上空は国際航空航路が迂回し飛行しており商船も航行の自由を阻害され、台湾海峡封鎖危機という状況だ。
中華民国総統選挙は1996年3月23日に予定され、アメリカは中国による台湾海峡へのミサイル演習を中止するよう粘り強く呼びかけ続けましたが、中国政府は新たに3月8日より演習を実施するとして台湾北部基隆沖25マイルと台湾南部高雄沖25マイルを新たに演習海域に指定しました。クリントン大統領はこの決定で中国が一線を越えたと判断します。
空母インディペンデンスを中心とする第5空母任務群は母港横須賀を出港し太平洋をフィリピン海へ、台湾海峡へと展開します。同時に原子力空母ニミッツを中心とする第7空母任務群も台湾海峡へ展開、2個空母航空団と巡洋艦やミサイル駆逐艦、駆逐艦やミサイルフリゲイト等数十隻の艦艇を台湾海峡へ遊弋させ、海峡封鎖を許さない姿勢を誇示しました。
中国空軍はJ-8戦闘機等を福建省に集結させ、アメリカ艦隊への威圧を図りますが、F-14戦闘機は射程150kmのフェニックスミサイルによりJ-8戦闘機の攻撃力を遥かに上回り、J-8戦闘機は追い回される形でアメリカ空母を視認する事さえ出来ず、衛星放送のCNNやAFP通信とロイター通信配信画像によりアメリカ艦隊の陣容を把握する事しか出来ません。
第5空母任務群と第7空母任務群が台湾海峡に遊弋している中、台湾北部基隆沖25マイルと台湾南部高雄沖25マイルへ東風15号弾道ミサイルを連続発射する事は、中国軍とアメリカ海軍の全面戦争に発展する危険性を孕みます。それで中国海軍と中国空軍が総力を挙げアメリカ空母二隻を撃沈できないか、江沢民の問いに対し軍は不可能と回答しました。
張連忠海軍司令員は中国海軍の総力を挙げれば海軍は台湾海峡に面する南海艦隊のみならず全ての主要艦艇を失い制海権を完全に喪失し、空軍も保有する戦力は2000機以上あるが旧式機主体、千機近くの戦闘機を同時管制する能力は無いばかりでなく、空軍の半数を喪失する可能性があり、実行すれば次のアメリカとの戦闘に対応出来ない、と伝えたという。
結果的に中国軍はミサイル演習を中止しました。圧倒的な力を誇示されては、万一の場合に取り返しがつかない為です。中華民国総統選挙は1996年3月23日に行われ、李登輝総統が当選しました。ニミッツとインディペンデンスは戦闘を行う事なく海峡を去りました。中国の李鵬首相は同年11月、モスクワを訪問し海空軍強化へロシアの協力を要請しました。
さて、グアム八月ミサイル危機を目の前にして21年前の1996年台湾海峡ミサイル危機が戦闘に至ることなく終息した歴史を見ますと、空母展開は平和的手段とは言えぬものの、より平和的ではないミサイル演習を封じ込め、21年後の今日に至るも台湾海峡の平和と安定を継承させました。力への決断は、平和的ではないものの、戦争を回避させたようです。
北大路機関:はるな くらま
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日本海へイージス艦、中国四国地方にミサイル迎撃部隊を展開させ、我が国の迎撃態勢は可能な範囲で完了しました、これ以上は軍事力での圧力が必要であり祈るような平和的手段以外、現行憲法施政下では出来ません。
1996年台湾海峡ミサイル危機、今回進行しているグアム八月ミサイル危機は21年前の台湾海峡における緊張以来の極東地域における緊迫した状況といえるでしょう。ただ、1996年台湾海峡ミサイル危機は、中国人民解放軍の台湾攻撃という台湾海峡有事が一歩手前まで迫った文字通りの“危機”でしたが、結果は人命が失われる事はありませんでした。
グアム八月ミサイル危機は現在進行中の事案ですが、現在のところ北朝鮮は火星12型弾道ミサイル四発の発射宣言として検討している段階と発表し、グアム周辺へのミサイル攻撃は行われていません。そこで、今回の危機が核戦争に直結する朝鮮半島有事に発展させない選択肢を、1996年台湾海峡ミサイル危機という歴史から学びとれる点はないでしょうか。
1996年台湾海峡ミサイル危機は、1995年7月7日に中国人民解放軍の弾道ミサイル部隊である第二砲兵が台湾海峡の台湾領澎湖諸島沖において弾道ミサイル実験を行うと、新華社通信を通じ発表した事で突発しました。背景には台湾の中華民国台北政権が国家元首たる総統を初の民主選挙により選ぶと発表、台湾独立民意が反映される事を警戒した為です。
台湾は中華民国台北政府であり、国民党南京政府統治時代の中国において1927年に端を発した中国共産党による革命運動と鎮圧する国民党政権の国共内戦の結果、途中に日中戦争を挟み一時は共闘した国民党と共産党の内戦を経て、1955年に国民党が大陸側最後の橋頭堡たる大陳島を台湾島へ撤退し、台北へ臨時政府を移し、現在のところ維持されています。
一つの中国、と中華人民共和国は繰り返し主張していますが、これは台湾の中華民国政府が国是として“大陸反攻”を掲げ、台湾島において兵力を再編成しいつかは中国大陸を共産主義勢力より奪還する、という立場を示している為、結果的に形而的内戦状態が継続しており、中国は一つであるとの認識を、同床異夢でありつつ、北京と台北が共有している。
第二砲兵が台湾海峡へ弾道ミサイルを撃ち込む決定に至ったのは、当時の中華民国総統が台湾出身の李登輝氏であった為です。中華民国第二代総統蒋経国氏が病没する際、当時台北市長であった李登輝氏を次期国民党党首に指名しましたが、当時は戒厳令が長く続き民主政権への移行を果たせていません。そこで信を問おうとしたのが中国を警戒させました。
東風15型弾道ミサイル部隊を第二砲兵は台湾海峡に面する福建省へ移動させます。民主選挙を台湾が行う場合、一つの中国を堅持するならば中国大陸でも選挙を行う必要があります。国民党は中国大陸撤退の際に大陸全土の国民戸籍書類を移動させており、北京が同意すれば不可能ではありませんが、実行したならば共産党への民主化要求に繋がりかねない。
中華民国総統選挙は結果的に台湾島を中心として中華民国国内に限定し選挙を行うほかありませんが、これでは大陸反攻という国是を放棄し、専守防衛という事実上の台湾独立宣言に繋がりかねません。民主選挙を阻止する事を主眼として、中国国家主席江沢民氏は台湾海峡へのミサイル実験、警戒範囲設定により事実上の台湾海峡閉鎖を目指したのでした。
江沢民主席はアメリカがこの問題へ関与しないと前提していました。アメリカは1972年のニクソン訪中に伴う米中国交正常化により台湾より米軍が撤収、1975年のヴェトナム戦争終結によりヴェトナム全域より撤退、1991年のピナトゥボ火山噴火に伴いフィリピン撤収、残るは在日米軍と朝鮮半島有事に備える在韓米軍の他はグアムまで下がっていた為です。
1995年8月15日に第二砲兵は最初の弾道ミサイルを台湾海峡へ発射、複数を同時着弾させる飽和攻撃演習を含め多数の弾道ミサイル部隊を展開させました。1995年11月には弾道ミサイル演習に加え水陸両用部隊を含めた三軍統合演習に発展、事態を重く見た中華民国政府は領域である中国大陸沿岸部離島の住民疎開を開始、戦争の可能性が高まりました。
アメリカのクリントン大統領は、中国人民解放軍の行動を台湾島嶼部への侵攻準備に着手したと判断、即座に予防外交を展開すると共に中国軍の軍事行動が台湾上陸へ発展する事を強い決断で阻止する方針を発表しました。弾道ミサイルにより台湾海峡上空は国際航空航路が迂回し飛行しており商船も航行の自由を阻害され、台湾海峡封鎖危機という状況だ。
中華民国総統選挙は1996年3月23日に予定され、アメリカは中国による台湾海峡へのミサイル演習を中止するよう粘り強く呼びかけ続けましたが、中国政府は新たに3月8日より演習を実施するとして台湾北部基隆沖25マイルと台湾南部高雄沖25マイルを新たに演習海域に指定しました。クリントン大統領はこの決定で中国が一線を越えたと判断します。
空母インディペンデンスを中心とする第5空母任務群は母港横須賀を出港し太平洋をフィリピン海へ、台湾海峡へと展開します。同時に原子力空母ニミッツを中心とする第7空母任務群も台湾海峡へ展開、2個空母航空団と巡洋艦やミサイル駆逐艦、駆逐艦やミサイルフリゲイト等数十隻の艦艇を台湾海峡へ遊弋させ、海峡封鎖を許さない姿勢を誇示しました。
中国空軍はJ-8戦闘機等を福建省に集結させ、アメリカ艦隊への威圧を図りますが、F-14戦闘機は射程150kmのフェニックスミサイルによりJ-8戦闘機の攻撃力を遥かに上回り、J-8戦闘機は追い回される形でアメリカ空母を視認する事さえ出来ず、衛星放送のCNNやAFP通信とロイター通信配信画像によりアメリカ艦隊の陣容を把握する事しか出来ません。
第5空母任務群と第7空母任務群が台湾海峡に遊弋している中、台湾北部基隆沖25マイルと台湾南部高雄沖25マイルへ東風15号弾道ミサイルを連続発射する事は、中国軍とアメリカ海軍の全面戦争に発展する危険性を孕みます。それで中国海軍と中国空軍が総力を挙げアメリカ空母二隻を撃沈できないか、江沢民の問いに対し軍は不可能と回答しました。
張連忠海軍司令員は中国海軍の総力を挙げれば海軍は台湾海峡に面する南海艦隊のみならず全ての主要艦艇を失い制海権を完全に喪失し、空軍も保有する戦力は2000機以上あるが旧式機主体、千機近くの戦闘機を同時管制する能力は無いばかりでなく、空軍の半数を喪失する可能性があり、実行すれば次のアメリカとの戦闘に対応出来ない、と伝えたという。
結果的に中国軍はミサイル演習を中止しました。圧倒的な力を誇示されては、万一の場合に取り返しがつかない為です。中華民国総統選挙は1996年3月23日に行われ、李登輝総統が当選しました。ニミッツとインディペンデンスは戦闘を行う事なく海峡を去りました。中国の李鵬首相は同年11月、モスクワを訪問し海空軍強化へロシアの協力を要請しました。
さて、グアム八月ミサイル危機を目の前にして21年前の1996年台湾海峡ミサイル危機が戦闘に至ることなく終息した歴史を見ますと、空母展開は平和的手段とは言えぬものの、より平和的ではないミサイル演習を封じ込め、21年後の今日に至るも台湾海峡の平和と安定を継承させました。力への決断は、平和的ではないものの、戦争を回避させたようです。
北大路機関:はるな くらま
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そんな事を考えていたら、Defence newsにUS Armyがマイクロ衛星のデモンストレーターを8/14に打ち上げたというニュースが出ていました。
緒戦でのASATを警戒しての事だなあと。
陸軍といえども、情報優位を確立、確保し続けることの重要性を認識し、その手段方法の多チャネル化に自ら腐心している事が垣間見えました。
ASATによる奇襲がStrategy Levelでの米軍の弱点であり、それを狙う組織がいるということを認識している=対策を講じているぞと、ということを示す狙いがこのプレス発表にあったのではないかと推測する次第です。
当分、本件記事にある情報優位は揺るがないようですね…。