北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】第2師団創設63周年旭川駐屯地祭【3】特科・戦車部隊の観閲行進(2013-06-09)

2017-01-15 20:32:59 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■精鋭機甲部隊観閲行進
 第2師団創設63周年旭川駐屯地祭、日曜特集写真集第三回は特科部隊と機甲部隊の観閲行進と、飛行隊祝賀飛行、そしていよいよ開始される訓練展示模擬戦の模様を。

 大隊長乗車の82式指揮通信車率いる最新の99式自走榴弾砲。//第2師団は陸上自衛隊発足前の警察予備隊時代1950年に創設された第2管区隊まで起源を遡る事は出来ます、警察予備隊、朝鮮戦争を契機として日本進駐軍の国連軍転用を前に日本国土の防衛に充てる独自の警備部隊として、占領軍総司令部GHQが創設した組織です。

 第2特科連隊第3大隊、99式自走榴弾砲は40km以遠の目標を砲撃可能とされる。//第2管区隊はアメリカ陸軍の歩兵師団を参考とした編成です。管区隊は師団に当たる区分で、師団司令部に当たる管区隊の司令部は管区総監部、という呼称で呼ばれていました、師団とは一方面の独自作戦能力を付与する編制区分で、管区総監部という呼称は相応しい。

 52口径155mmの長砲身が勇ましい、特科大隊は10門、特科中隊は5門を装備する。//警察予備隊が保安隊に拡大改編された1952年、管区総監部は北日本全域を守る広大な警備管区を有していましたが、朝鮮戦争の拡大と共に東西冷戦構造が急速に形成され、第2管区隊は、警備隊発足と同時に創設された北部方面隊北部方面総監部の隷下に置かれました。

 第2特科連隊第5大隊第14中隊、全般支援委当たる第5大隊は隷下に4個中隊を持つ。//陸上自衛隊が発足した1954年、第2管区隊は隷下に第3普通科連隊、第9普通科連隊、第10普通科連隊、第2特科連隊、第2特車大隊、と徐々にその編成を強化してゆきます、旧陸軍との区別から歩兵は普通科、砲兵は特科、機甲兵は特車科、と改めての部隊編制です。

 第4大隊の75式自走榴弾砲、当時世界でも稀有な自動装填装置を持つ30口径155mm榴弾砲を装備している。//草創期の第2管区隊は隷下に第3普通科連隊と第9普通科連隊と第10普通科連隊、を有していましたが、お気づきでしょうか第3普通科連隊は現在も第2師団隷下ですが、第9普通科連隊は既になく、第10普通科連隊は札幌真駒内の第11旅団の隷下部隊となっている。

 75式自走榴弾砲は200門が生産され北部方面隊に広く配備されたが99式自走榴弾砲へ置き換えられ、この行事が自衛隊最後の参加となった。//普通科連隊も当時は単に連隊と呼称されていましたが、自衛隊草創期の普通科連隊は三個大隊編成で、戦車中隊等も隷下に置く混成団に近い重厚な編成を採用していました。アメリカ陸軍の歩兵連隊に相当する、草創期の連隊は現在の旅団並の規模を有していた訳です。

 第2戦車連隊の観閲行進、併せて第2飛行隊の祝賀飛行編隊が上空に見える。//第一次防衛力整備計画時代、自衛隊発足間もないころの普通科連隊は、第一普通科大隊、第二普通科大隊、第三普通科大隊、第四普通科大隊、重迫撃砲中隊、特車中隊、衛生中隊、以上実に15個中隊を隷下に有しまして、定数上は戦車22両と重迫撃砲12門を有していた。

 戦車連隊は5個中隊編成、最盛期は100両の戦車を装備した。//草創期の連隊は大きな編成であったのですが、警察予備隊が保安隊を経て陸上自衛隊に改編されると共に部隊数の増勢による全国への警備管区の配置、所謂、基盤的防衛力整備が求められ、草創期の連隊を構成する四個大隊が各々普通科連隊へ改編されていった訳です。

 90式戦車と74式戦車を装備する。//日本国土防衛を担う自衛隊は、草創期に管区隊と機械化混成団を基幹部隊としていました、元々は管区隊だけであったのですが機械化混成団は、アメリカ陸軍歩兵師団を原型として編成されていたのに対し、機械化混成団は機械化歩兵部隊を基幹とした小型旅団を目指す。

 荒井正芳連隊長乗車の90式戦車。//大型の普通科連隊は第3普通科連隊と第9普通科連隊と第10普通科連隊がありましたが、陸上自衛隊は第2管区隊から第10普通科連隊を独立させ、第7混成団を編成します。一方、第2管区隊は順次第25普通科連隊と第26普通科連隊を遠軽と留萌へ、隷下に置きました。

 120mm滑腔砲と複合装甲に1500馬力エンジンを備える90式戦車は、目標自動追尾装置や自走装填装置等様々な新機軸を備え現代でも世界第一級の戦車だ。//第7混成団は、第10普通科連隊が隷下に四個普通科大隊を置き、特科連隊は全般支援大隊と直接支援大隊に高射大隊を置く、その上で施設大隊と偵察中隊や通信中隊、後方支援部隊に当たる武器中隊と補給中隊に衛生中隊を置く編成で、後に第7師団と第11師団になる。

 基幹連隊指揮統制システムを採用する第2師団において、90式戦車は高いデータリンク能力を持ち、この搭載により2010年代でも世界第一線級を超える戦車として返り咲いた。//第2師団は、第2管区隊からの改編により誕生しました、師団という編成が自衛隊に導入されたのは1962年です。第25普通科連隊と第26普通科連隊の創設は、第3普通科連隊と第9普通科連隊の普通科大隊を基幹として創設、老舗の暖簾分けと表現できる方式です。

 戦車は通常単一目標しか対応できませんが90式戦車は車長用照準器と砲手用自動追尾装置の併用で二目標連続撃破という器用な戦闘が可能です。//普通科連隊は管区隊から師団への改編により小型化しました。これは、四個普通科大隊と重迫撃砲中隊に戦車大隊まで有していた部隊を大隊ごとに独立させ、四個大隊を三個連隊に暖簾分けしたのですから、ある意味規模の縮小は当然と云えたわけですが、もう一つ。

 第2飛行隊の編隊飛行、祝賀飛行が戦車に続く。//新しい普通科連隊は連隊の下に大隊を置かない編成を採った背景には、1950年代にアメリカ陸軍が導入したペントミック師団編成の影響があります、ペントミック師団編成、言い換えれば五単位編成師団となりますが、この編成は五個連隊戦闘団を基幹部隊としました。

 祝賀飛行編隊の広報には北部方面航空隊の対戦車ヘリコプター隊と方面ヘリコプター隊が帯広駐屯地と丘珠駐屯地から参加。//ペントミック師団は、編成部隊を小型化する事を主眼に部隊を事細かに細分化したのですが、これは当時、米軍師団が大規模な戦闘を展開する場合に核戦争が必至であると考えられ、その為には大型部隊を行動させる事は核攻撃の標的となり易く、分散させる目的から。

 観閲行進は祝賀飛行と共に堂々の終了、旭川飛行場へ着陸する祝賀飛行参加編隊。//五単位編成部隊は師団の規模がそのままに基幹部隊数を増加させるので、連隊の下に大隊を置かず、連隊の下に中隊を配置し、連隊長が多数の中隊を直接指揮する、という視点から導入されました、自衛隊はこの連隊の下に中隊を置く、との編成方式のみ導入しました。

 訓練展示状況開始、第2偵察隊の斥候小隊が駐屯地の一角へ敵部隊が浸透したとの情報を受け情報収集へ出動。//アメリカ陸軍ではペントミック師団編成は1960年代にはROAD師団編成に置き換えられます、三個旅団司令部を師団隷下に置き各種大隊を組み合わせるもので、改編の背景には師団を五単位に細分化すると一戦闘単位あたりに充分な部隊を配置させられなかった、と。

 87式偵察警戒車が25mm機関砲を油断なく前方へ構えオートバイ斥候を超越、威力偵察へ進む。//自衛隊がこの連隊の下に中隊を置く編成を維持させた背景ですが、アメリカ陸軍が問題視したペントミック師団の打撃力と攻撃衝力持続性の限界が、自衛隊では地形と戦闘における正面緊迫や火力投射範囲の面で問題とならず、日本の狭隘地形に合致していたためです。

 仮設敵部隊のBTR装甲車役の96式装輪装甲車が偵察部隊の威力偵察に射撃で応戦し、接触が始まった。//自衛隊は混成団の師団への改編を行い、北海道は第2師団と第5師団に加えて第7師団と第11師団が混成団から改編、第6混成団は第6師団へ、第8混成団は第8師団、第9混成団も第9師団、第10混成団を第10師団へ改編、13個師団体制が1962年に完結します。

 偵察隊の任務は小規模な先頭戦闘により相手の戦闘力を図り、抵抗が小さければ撃破し前進する、敵の有無を図る任務は斥候という。//第2師団は東西冷戦の第一線へ重責を担いました。防衛正面には宗谷海峡を睨み、ソ連軍は第二次大戦の日本降伏後に占領した樺太から北海道へ照明弾等軍事行動を示威し、盛んに艦艇を往来、情報収集艦等の動向も多く、自衛隊は沿岸監視隊等を置き抑止力を強めた。

 仮設敵のT-72戦車役の74式戦車が威力偵察を撃破するべく125mm砲役の105mm戦車砲で攻撃を仕掛け、刹那、空包のひっぱたくような衝撃波が会場観衆に叩きつけられた。//61式戦車に60式装甲車と60式無反動砲や64式対戦車誘導弾、74式戦車に73式装甲車と75式自走榴弾砲と75式装甲ドーザや79式対舟艇対戦車誘導弾、最新装備を順次揃え90式戦車の配備が開始され始めた頃に漸くソ連が崩壊、自衛隊は日本を守り抜きました。

 偵察隊の25mm戦車では敵戦車に全く歯が立たないが、敵の戦闘力は把握した瞬間に任務は完了し俊足で離脱する、更なる状況解明へOH-6D観測ヘリコプターが発進する。//日本の防衛力整備は構想に五年と画定に五年、整備に五年を要します。1995年、第2戦車大隊が第2戦車連隊へ拡大改編を受けます、これは戦車北転事業として本土戦車大隊から各1個中隊を抽出し北海道の戦車部隊増強に充て、冷戦時代の施策が遅れて完結したもの。

 第2対舟艇対戦車隊が敵戦車発見の報に接し96式多目的誘導弾システムを展開、敵戦車の動きを留める拘束部隊として進出した。//冷戦後、自衛隊縮小の機運が細川内閣時代に強まり、第2師団も縮小改編を受ける事となります、1995年防衛大綱改訂を受けてのもので師団は第9普通科連隊と第2対戦車隊を廃止しました、第5師団と第11師団に第12師団と第13師団の旅団化が同時期実施されます。

 こうして第2高射特科大隊の展開など、訓練展示が本格化しました。//新世紀を迎えた第2師団ですが、防衛大綱の中期防衛力整備計画単位での改訂と共に重装備縮小の暴風が吹く中、90式戦車、96式装備車輪装甲車、96式多目的誘導弾、99式自走榴弾砲、87式自走高射機関砲、10式戦車等優秀装備を揃えた精鋭部隊として今に至ります。

北大路機関:はるな くらま
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護衛艦FRAM近代化改修と艦隊維持【08】はるな型護衛艦の対潜中枢艦から群直轄艦への近代化

2017-01-14 23:07:01 | 先端軍事テクノロジー
■システム艦と護衛隊群旗艦へ
 はるな型護衛艦の対潜中枢艦から群直轄艦への近代化という運用の転換という事例から近代化改修を考えてみましょう。

 護衛艦のFRAM改修には多くの時間と費用を代償に就役期間の数年程度の延伸が達成されます、はるな型ヘリコプター搭載護衛艦は、FRAM改修が成功した一例ですが、このように多くの期間を経て改修し、教育訓練も刷新する注力の背景には何があったのでしょうか、みてゆきますと、新鋭しらね型ヘリコプター搭載護衛艦との能力格差の大きさがあります。

 海上自衛隊初のシステム艦として建造されたヘリコプター搭載護衛艦しらね型は、護衛隊群基幹としての情報処理能力やデータリンク能力を重視し設計、一番艦しらね、は第1護衛隊群第51護衛隊に所属し、はるな型ヘリコプター搭載護衛艦ひえい、と。二番艦くらま、は第2護衛隊群第52護衛隊に所属し、ヘリコプター搭載護衛艦はるな、と組みました。

 当時海上自衛隊には哨戒ヘリコプターを運用できる護衛艦はヘリコプター搭載護衛艦のみであった為、2隻のヘリコプター搭載護衛艦へ合計6機のヘリコプターを運用し対潜掃討を行う方針であった訳です、しかしその後汎用護衛艦へも哨戒ヘリコプターを搭載する方針が定まり、この指針は護衛艦はつゆき型、護衛艦あさぎり型大量建造へ収斂してゆきます。

 ここで、ヘリコプター搭載護衛艦を護衛隊群直轄艦として実質的な旗艦運用を行う指針へ転換する事となりましたが、新鋭の護衛艦しらね、護衛艦くらま、に関しては充分な示威統制能力と通信能力を備えていたものの、護衛艦はるな、護衛艦ひえい、については、護衛隊群旗艦として、システム艦の能力を設計当時求められていなかった点が露出します。

 護衛隊群旗艦として運用するには、艦隊ミサイル戦や電子戦能力が、指揮するという視点から重要になります、艦隊防空ミサイルを搭載していなくとも、隷下のミサイル護衛艦を指揮しなければなりませんし、当時の、はるな型ヘリコプター搭載護衛艦には、短SAMやCIWSが無く、電子戦装備も非常に貧弱で、ミサイル戦へ生存性が充分ではなかったのです。

 特別修理と共に延命修理を行う事で24年程度とされた現役期間を32年以上に延伸するとともに、しらね型ヘリコプター搭載護衛艦に準じたシステム艦としての能力を増強配備し、CIWSの追加や短SAMの搭載、ECM等電子戦システムと装置の一新など、対ミサイル戦能力も整備、これにより将来にわたる護衛隊群旗艦に対応する能力を付与したものでした。

 しらね型護衛艦、三番艦きりしま、四番艦こんごう、と仮に建造が継続されているならば、はるな型護衛艦へのFRAM改修は検討されなかった可能性があります、故に新造しシステム艦を護衛艦隊隷下の4個護衛隊群へ配備するか、既存のヘリコプター搭載護衛艦をシステム艦へ改修するか、海上防衛力整備への選択肢はこの二つしか存在しなかった構図です。

 即ち、航空中枢艦という設計の艦艇に対しシステム艦としての護衛隊群旗艦という任務を追加する、任務の変更を受けての必要な改造が、はるな型へのFRAM工事であったといえるでしょう。言い換えれば、時間と費用を必要とするものの、行わなければ護衛隊群における必要な任務を遂行できない、第一線に留まれるか、一隻代替艦を新造し第二線へ置き換えるか、という選択の結果ともいえるでしょう。

北大路機関:はるな くらま
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平成二十八年度一月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2017.01.14/01.15)

2017-01-13 20:23:20 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 今季最大の寒波が列島を覆いつつあり、毎年恒例のセンター試験が週末に寒波と遭遇する中、皆様いかがお過ごしでしょうか、今週末の行事紹介ですが、今週末、駐屯地祭や展示訓練に航空祭等の自衛隊行事は行われません。

 今週末の自衛隊行事無し、という際にはゆるりと毛布の洗濯やカメラの手入れやレンズの調整等に時間を費やしたいところですが、こんな日だからこそ足を運びたいのは海上自衛隊基地の散策、軍港めぐり遊覧船です。横須賀基地はクルーズ船会社トライアングルが毎日遊覧船運行、佐世保では瀬川汽船が不定期の季節運航として湾内クルーズを運行します。

 舞鶴基地軍港めぐり遊覧船、こちらは冬期運休となっているのですけれども、春先になりますと舞鶴市役所前から運行されています。市役所隣には掃海艇桟橋がありまして、此処から出港、舞鶴基地北吸桟橋とユニバーサル造船舞鶴工場前の定位整備護衛艦などの前を航行し、その後に舞鶴航空基地沖を航行、海上保安学校の巡視船や航空基地側の桟橋等も見る事が出来ます。

 舞鶴水交会から海上自衛隊OBの方が案内の放送を行ってくれまして、停泊している護衛艦や補給艦などの略歴を意外に深い所まで紹介してくれますし、OBという事で、かなり、良いのかな、と思うほど護衛艦に接近してくれます。上船手続きは桟橋で料金支払いも含めて行えまして、時刻表なども桟橋、赤レンガ博物館と市役所駐車場に示されています。

 さて撮影の話題、航空祭、とは離発着の迫力ある描写を撮影するための最前列の攻防が繰り広げられる場所だったりもするようですが、実際のところ、一歩下がった方が撮影できるものが多かったりもします。確かに滑走路を背景に離着陸する様子を流し撮りで、また着陸後誘導路をタキシングする航空機等は、最前列から三列か四列のところでなければ撮影は出来ません。

 しかし、編隊飛行は一歩引いた方が撮影できるのですよね、航空自衛隊や海上自衛隊の航空祭では、基本的に万一の危険を回避する観点から飛行展示や編隊飛行は滑走路などの上空で実施され、来場者の上空では行われません、すると、真下から見上げるよりは少し離れた方が編隊が固まって、圧縮効果の条件で眺める事が出来るのです、少しだけでも違う。

 展示航空機の前で、最前列よりも前にしか展示航空機が無い場合もありますが、会場の中央部に展示航空機がある場合は、むしろ最前列よりも広角レンズで地上展示航空機を手前に収めつつ、その上で編隊飛行の編隊を画角に入れるとよい、広角レンズでもいい写真が仕上がります。スマートフォンなどでも、この条件ならば良い写真が仕上がるでしょう。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭
・今週末の自衛隊関連行事はなし

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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航空防衛作戦部隊論(第四六回):航空防衛力、戦略航空拠点成田国際空港と長期航空戦継続

2017-01-12 21:59:27 | 防衛・安全保障
■国際空港の航空兵站拠点化
 航空防衛作戦部隊論も第四六回を迎えましたが、南西諸島への中国による軍事圧力の増大は、実のところ当方が想定したよりも遥かに緊迫度を増してきまして、沖縄鹿児島上空での限定的な衝突という可能性も現実味を帯びてきました。

 第一回の掲載は2015年7月23日、比較しましても中国軍機による南西諸島での異常な行動は増加傾向にあり、つい先日も爆撃機編隊を南西諸島へ展開との状況、作戦基盤を分散させ第一撃に耐え、防空体制の再構築と航空優勢維持を両立する、という方式でも限界が見えてきました。実際のところ、当方もここまでの状況緊迫化、戦後一貫して良好化の努力を続けてきました日中関係が、中国の周辺国へ継続した拡大路線の前に一蹴される懸念、予見できなかった点は反省の一つ。

 戦略航空拠点、日本本土防空と防空作戦が長期化し、地域的な着上陸の蓋然性が高まった場合には、従来の航空自衛隊飛行場だけでは物資運用拠点を十分確保出来なくなる可能性があります。こうした状況に際し、敵攻撃の圏外に置いて物資集約拠点となり得る飛行場を確保し、戦略輸送と戦術輸送のハブ機能を付与する必要があります、具体的には国際空港の機能を戦略拠点として運用するという方法が考えられるでしょう。

 成田の拠点化、踏み込み過ぎたように思われるかもしれませんが、C-2輸送機により日本本土からアメリカ西海岸を結ぶ航空輸送体制、後方連絡線構築の可能性を示しましたが、航空自衛隊の空輸能力にはどうしても限界があります。専守防衛とする事は外征、周辺地域の安定へ日本からの関与を省くことで軍事費を最小限と出来るのですが、これは税金を節約する分、国民が有事の際に後払いを求められる構図を執る、これが専守防衛の実態です、そこで国内の施設を最大限活用する事となる。

 こうした上で必要となるのが武力攻撃事態法に基づく指定公共企業による空輸支援体制です、民間航空には太平洋を渡る事が可能な機種が相当数蓄積されていまして、旅客機には貨物区画が配置されています、もちろん弾薬などの空輸支援を望むことには制約がありますが、予備部品などの空輸には支援の有無が防空作戦全般を大きく左右する事でしょう。ここで民間航空の輸送能力に協力を仰ぐほか、大陸からの全面攻撃が現実化した場合の現状での航空優勢維持手段は、ない。

 日本貨物航空は貨物輸送型のボーイング747-400Fとボーイング747-8Fを13機運用しています。ボーイング777は777-200ERや777-300等各種機材を合わせ日本航空が41機と全日空が56機、ボーイング767は767-300ERや767-300等を日本航空は42機と全日空が52機、ボーイング787を発注分など含め日本航空は27機と全日空は50機、エアバスA350を日本航空が31機発注しています。

 こうして太平洋を越える事が可能な旅客機と貨物航空機は日本貨物航空と日本航空に全日空の三社を合わせた場合、実に231機に達します。日米安全保障条約に基づく物品相互供与協定を最大限活用するには、国際空港の貨物区画が有する能力と民間航空が有する旅客機及び貨物機の協力が不可欠となるでしょう。

 一方、国際空港の能力を敢えて我が国防衛力へ応用する意味ですが、航空自衛隊補給処の補給物資分配能力には限界があります。物資集積の用語としまして、アイアンマウンテン、というものがありまして、これは有事の際に必要な物資を大量に前方手蓄積するものの輸送能力に処理が追いつかず、積み上げられた物資の山積状況を揶揄したもの。

 現在は電子タグや物流管理システムの導入によりかなり解決されたようですが、それでも急激に物資の必要総量が増大した際には十分とは言切れないものがあります、ただ、これは自衛隊が平時からの大量物資流通、湯時と平時の必要な物資管理能力が異なるために生じたもので、こればかりは経験が無ければ必要な管理体制を構築する事は出来ません。

 平時から兵站と物流管理へ要員を充分配分できれば問題は無いのですが、正面装備に大きな近代化という課題と人員を集約しなければならない状況、やはり、大規模な有事の管理よりも平時の対領空侵犯措置と事態の早期集束への即応能力が重視される事は否めません。そこで、我が国は専守防衛として国土を戦場とし戦い抜く、やむを得ない武力攻撃には他国ではなく自国に戦場を求めるという平和憲法に基づく一国平和主義を標榜しているわけです。

 一方で国土を戦場とするまで具体的措置を禁じた専守防衛と両立して国民の平和的生存権を維持しなければならない、この為にはどうするか。国土に存在する施設は最大限駆使し、国内での損害を最小限にとどめる必要があるでしょう。そこで、貨物流通量が大きく、更に航空攻撃などから脆弱性を最小限とした空港設備ですが、脅威正面の位置にもよりますが、成田国際空港、関西国際空港、中部国際空港、羽田空港、福岡空港、千歳空港等が挙げられるでしょう。

北大路機関:はるな くらま
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【京都発幕間旅情】はるな、榛名神社は巨大火山榛名山と火の神火産霊神祀る 完結編

2017-01-11 20:26:55 | 旅行記
■榛名神社榛名山散策記
 榛名山は新生代に日本列島形成と共に生れ出た北関東有数の巨大火山で、盛んな噴火を引き起こす浅間山が過去に起こした記録は11世紀の火山爆発指数4という大噴火でしたが、榛名山は6世紀に火山爆発指数6の巨大噴火を引き起こし、火山としては榛名山が大きい。

 用明天皇元年の586年、この地に祭祀の縄張りが記され、ここから現在の榛名神社の歴史が始まりました。興味深いのは二ッ岳有馬火山灰噴火という榛名山噴火が489年から550年に掛けて続き火山爆発指数4と火山爆発指数5連続噴火が漸く鎮静化した時期と重なる。

 日本書紀に伝わる綏靖天皇治世下の神事に始まる榛名神社の歴史ですが、この地はその後の実に千年間を榛名山巨大噴火の火砕流とテフラに埋もれる訳で、用明天皇治世下の時代に行われた祭事こそが、今日の榛名神社に続く始まりの始り、といえるのかもしれません。

 今日の榛名神社と云いますと、昔日の榛名神社があったかを思わせる言葉ですが、実は、あったようなのです。そして、火砕流に飲み込まれました、これは渋川市の金井東裏遺跡で榛名山噴火を鎮める神事が行われ、その最中火砕流が発生し呑みこまれた、というもの。

 火山爆発指数6の噴火は10km3以上の火山性噴出物を発するもので、江戸時代の富士山宝永噴火が火山爆発指数5でした、セントヘレンズ山1980年噴火とヴェスヴィオ火山ポンペイ噴火も火山爆発指数5、在比米軍が撤退したフィリピンのピナトゥボ山噴火で漸く6です。

 美しい山は人類と敵対しない、とは巨大火山に関する所感です。日本で火山爆発指数8以上の巨大噴火を起こす火山は、九州の阿蘇、姶良、加久藤、鬼界、この四火山です。加久藤火山は霧島火山帯の総称、姶良火山は桜島と錦江湾の真下、鬼界は九州沖海底火山です。

 巨大火山は巨大噴火と共に噴火丘を吹き飛ばすため富士山のような美しい山容を保つ事が出来ません、富士山の本体は富士箱根一帯で、これが噴火すると過去の噴火から火砕流は横浜を600度の堆積物で埋め、火砕サージは東京23区に到達し、地上構造物等を焼き払う。

 榛名山を見上げますと、榛名山はカルデラ湖だる榛名湖の周囲を環状に掃部ヶ岳に天目山と相馬山に二ッ岳烏帽子岳と鬢櫛山に水沢浅間山や鷹ノ巣山と三ッ峰山と杏ヶ岳と古賀良山と五万石が並ぶ、典型的な巨大火山としての地形となっている点に気付かされるところ。

 東京という世界最大の大都会が広がる日本の首都は、北関東火山帯の榛名山が落ち着く7世紀に入り人が営みを拡大、10世紀の貞観富士噴火と貞観三陸地震と焼岳白鳳大噴火や浅間山の天仁大噴火11世紀に並ぶ巨大噴火が落ち着き、漸く人が住めるようになった印象も。

 この高崎は豪族和田義信が和田城を築城し関東管領上杉家の配下に入りましたが、城主和田業繁が上杉謙信からへ武田信玄につき、戦国乱世の第一線へ、豊臣家の小田原攻めへ城主は北条小田原城籠城に参加、和田城は前田利家と上杉景勝により攻め落とされました。

 徳川家康の関東入部に合わせ高崎は井伊直政の領地となり高崎城が造営、中山道と三国街道の分岐点という緊要地形を守る城郭として発展し、井伊直政は関ヶ原の戦いでの軍功により近江国彦根へ移封されましたが、重要な宿場町として栄え、今日の基礎を築きました。

北大路機関:はるな くらま
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陸上防衛作戦部隊論(第六一回):航空機動旅団、戦車とは根本的に異なる機動戦闘車の運用

2017-01-10 23:38:18 | 防衛・安全保障
■機動戦闘車と戦車の相違点
 機動戦闘車と戦車の相違点について、特に戦車とは根本的に異なる機動戦闘車の運用という視点から見てみましょう。

 機動戦闘車は戦車とは根本的に異なる装備であり、機動旅団へ配備が開始される状況、今回までに提示してきました装甲機動旅団と航空機動旅団ともこの戦車とは異なる機動戦闘車という位置づけを踏まえて部隊の在り方や運用を考えてゆかなければなりません。16式機動戦闘車と10式戦車、比較した場合は最初に装軌式車両である10式戦車と装輪式車両である16式機動戦闘車と、機動力の相違点に最大の注目が集まるところですが、これは間接的なもの。

 最大の相違点は防御力の低さにより攻撃衝力の持続性が非常に低いという難点が挙げられます。16式機動戦闘車により近く完全に代替される74式戦車ですが、防御力はこの旧式である74式戦車と比較した場合でも非常に低いものとなっており、74式戦車では対戦車ミサイル全盛の時代に在って防御力を機動力に置き換えようとした時代の装備品ではありますが避弾経始という、発想で設計されています。

 避弾経始、発想としては一世代前の第二世代戦車のもので、敵戦車砲弾の直撃を想定し当時徹甲弾の主流であったAP弾を受け流す、またMP弾のような化学エネルギー弾に対しても信管作動を遅延させ車体への致命的打撃を回避するとの設計思想が執られています、現在はAP弾がAPFSDS弾へと転換し、避弾経始と云う概念は時代遅れのものとなっていますが、それでも携帯対戦車火器に対しては一定以上の水準の防御能力を発揮できるよう要求性能が示されました。

 勿論、74式戦車は現時点では夜間戦闘能力について、車長の携行する暗視望遠鏡や携帯暗視装置を除けば夜間戦闘能力が無く、主砲用の照準用には赤外線サーチライトを用いるアクティヴ式照準装置しか保有しませんので、相手が第三世代戦車等夜間戦闘を重視した戦車であれば一方的に撃破される事から、積極的な夜間戦闘は考えられていません、戦車は500m以遠の目標へ威力を発揮しますが、錯綜地形で夜間に歩兵から近接し対戦車戦闘を展開された場合生残る事が難しい。

 第二世代戦車による日本での夜間戦闘は、普通科部隊の対戦車ミサイル部隊や偵察部隊の熱線暗視装置等と協同し、夜間は攻撃前進を選択せず防御に徹する、という非常に運用が制限されたものでしかありません、これは1974年に制式化された戦車の限界であると共に、元々2016年の時点では冷戦時代の生産規模が維持されていたならば既に90式戦車へ換装完了していた筈でした。

 冷戦終結後、限られた予算を第二世代戦車の近代化ではなく戦車新造に回さざるを得なく、又、第三世代戦車の量産開始が列国の中で、例えばレオパルド2やM-1A1よりも後手に回った為冷戦終結の時点で充分に数を揃えられなかった故でもあります。この中で16式機動戦闘車ですが、戦車の撃破能力はあるものの撃ちあって相手の攻撃を受けるだけの能力は無い、従って、待伏せ戦闘に用いるものといえるでしょう。

 故に攻撃機動の三要素として戦術の基本に挙げられる包囲・突破・迂回の三要素の中で、包囲は敵警戒部隊に戦車があった場合は機動が著しく制限され、突破は相手の対戦車火器への防御能力が非憂く不可能、迂回は可能ですが最終確保地域までの敵防御部隊へ戦車が含まれていた場合、行動はおおきく阻害されるといわざるを得ません。

 16式機動戦闘車は防御戦闘や警戒部隊及び敵前進を待伏せる拘束部隊等用途はありますし、着上陸第一波の水陸両用装甲車や空挺装甲車の撃破には大きな威力を発揮するものではありますが、16式機動戦闘車単体での攻撃は非常に難しく、無理に単体使用すれば74式戦車の投入並に厳しい結果を生みかねません、戦車とは全く異なる装備である、という事へ留意が必要です。

北大路機関:はるな くらま
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トランプ新大統領の外交国防戦略【05】 核戦力の強化期すトランプ氏とプーチン大統領の核近代化

2017-01-09 20:15:39 | 国際・政治
■米ロの核戦力への齟齬と危機
 21世紀に入りひと段落した今日、20世紀の時代で幕を閉じた戦略核兵器による核軍拡競争の暗雲が再び広がりつつある端緒へ差し掛かったのでしょうか。

 トランプ次期大統領、“米政権交代トランプ氏、核軍拡が必要とツイート”としましてNHK等様々な報道機関で大きく取り上げられた通り核兵器の増強を示唆しました。ただ、核兵器そのものよりもアメリカにとり重大な課題は運搬手段旧式化です。核兵器だけでは抑止力は形成できず、相手に投射する戦略爆撃機や大陸間弾道ミサイル等運搬手段が重要です。

 核戦力の中枢である戦略爆撃機は依然としてB-52が現役でB-21計画はトランプ氏のF-35見直し計画を受け、この技術的成果を応用する事で開発費用を低減する計画に不透明さが出たかたち。オハイオ級戦略ミサイル原潜の老朽化も進む、後継艦は2030年竣工計画ですが、それまで半世紀近く前の戦略ミサイル原潜がアメリカ唯一の第二次反撃核戦力となる。

 オバマ政権下では精密誘導兵器と特殊部隊への通常戦力近代化の転換という前ブッシュ政権の国防戦略を継承しつつ、核戦力への依存度は慎重に低減する施策を採ってきましたが、核への回帰という指針を示したトランプ次期大統領です。しかし、この発言に対し、ロシアは具体的にアメリカのミサイル防衛システムを突破可能な新兵器を開発する構えです。

 ロシアのプーチン大統領はモスクワで12月23日、1年を締めくくる記者会見を開き、核戦力の近代化をさらに推し進める方針を示しました。イランからの攻撃を警戒し整備された東欧ミサイル防衛システム配備がロシアからの欧州への核攻撃能力を無力化するという危惧を受け、NATOにはロシアを攻撃する核戦力があるがロシアの手段が無力化されるとの状況を防ぐべく、核戦力近代化が進められていたものですが今回の発言はこれを増強する構え。

 東欧ミサイル防衛システム配備は、結果として冷戦後に進んだNATOとの短い蜜月を破綻させることとなりましたが、ロシア政府はアメリカ次期政権へ欧州のロシアにとっての地政学的要件配慮を求め、応じられる事、即ちミサイル防衛システムの撤去を期待していた可能性がありました。しかし、この東欧でのミサイル防衛システムに対しての次期トランプ政権からの大きな言及は無い。

 ロシアはSS-27/RT-2PM2大陸間弾道弾やSS-NX-30/3M14潜水艦発射弾道弾等ミサイル防衛システムを突破可能な将来ミサイル開発により置き換える構想です、既に核戦力近代化の一歩としてSS-27/RT-2PM2大陸間弾道弾やSS-NX-30/3M14潜水艦発射弾道弾の試験が進められ、このミサイルは迎撃システム回避能力や対迎撃無力化機能が採用されています。

 核運搬手段の近代化にもロシアは重点的に取り組んでおり、前述のSS-27/RT-2PM2やSS-NX-30/3M14に加え、空軍は冷戦時代の超音速戦略爆撃機Tu-160の再生産を開始、海軍はタイフーン級戦略ミサイル原潜を置き換えるボレイ級戦略ミサイル原潜の量産を開始、一番艦ユーリイドルゴルーキイ就役を皮切りに3隻を建造し8隻量産が進められています。

 米ロの核軍拡は、冷静に注視すればロシアの核戦力近代化はミサイル防衛への対抗手段としての質的近代化が進められている一方、アメリカの核戦力強化は弾頭数強化に繋がるのか運搬手段更新を進めるのか、方向性が不透明です。しかし、ロシアとの信頼醸成努力を怠った場合、核弾頭運搬能力で例えば中国と比較しても100倍の核戦力を維持するロシアとの関係悪化は世界へ次の不確定要素を与える懸念があります。

北大路機関:はるな くらま
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【日曜特集】百里基地五〇周年航空祭【3】曇天薙ぎ払うファントム!歴代飛行隊集合(2016.11.26-27)

2017-01-08 20:24:00 | 航空自衛隊 装備名鑑
■百里ファントム大編隊
 曇天の百里航空祭本番、しかし雨天予報を跳ね返しての飛行展示開始です。として一番の主役は、ブルーファントム、記念塗装機です。

 ブルーファントムなのですが、しかし、最初の大編隊で参加するのですよね、すると、大編隊を撮影してそののちに着陸して地上展示位置に戻るまでは、撮影できません。そうなったらばどうするのか、考えるまでもなく地上展示機と滑走路に近い最前列、まだ最前列に余裕がありましたので、ここで撮影しよう、と。ちなみに、この頃になると雨が止んだ。

 築城基地航空祭がこの日行われていたようですが、聞けばこの日築城基地はかなり雨脚が強く、天候偵察の結果大編隊などの展示が見送りとなったようです。他方、転じて百里基地は、と言いますと、これはもう幸いというもので飛行展示に支障はないという事で航空祭が始まりました。快晴の青空が理想ですが、予報を考えれば贅沢は言っていられません。

 誘導路沿い最前列からの撮影、今回は極力軽量に移動したいというものがありましたので、航空祭の主役、300mmF2.8ISの巨大な白レンズは自宅の防湿庫でお休み、今回の主役はEOS7Dmark2とEF28-300mmISの組み合わせです、300mmF2.8ISに1.4エクステンダーを装着すれば420mm相当の物となりますが、カメラを含む重さは64式小銃並に重い。

 EOS7Dmark2とEF28-300mmIS、これはAPS-Cカメラですので焦点距離は大きくなるのですが、300mmでは確かに茨城空港から撮影した限りでは遠かったのです。一方で百里基地の最前列から撮影してみますと、離陸するファントム、低空飛行するファントム、着陸するファントム、300mmでも充分迫力の、凄く良い写真をカメラに収められるのですね。

 航空祭の醍醐味といえば、いろいろあると思うのですが、そのひとつにご近所の方との会話を一つ挙げましょう、今回は大きいレンズ、を持っているように見えたのでしょうか、詳しい方と思われたのでしょうか、女性の方に、今飛んだのはパンフレットのどの飛行機ですか、という問いから始まり、近所の家族で足を運ばれた方々や、談笑を楽しめました。

 筑波山、百里基地航空祭で撮影し、此処が百里基地の情景だ、と然り分かる背景の情景に思い浮かべるのは予科練の“進路筑波山へ”と挙げられるような筑波山の美しい山容です。祖父が予科練で海軍航空隊へ進んだ関係もあり、当方には筑波山への特別な思い入れがあります、ファントムと筑波山、これを意識してシャッター速度や絞り等を調整、撮影です。

 飛行展示を撮影しまして、一番の目玉、特別塗装RF-4の着陸も撮影できました。驚いたのは気流の関係なのでしょうか、ランウェイチェンジがありまして、離陸のハイレートクライムでの筑波山を背景とした写真の構図から着陸を撮ろうとしましたらば、コンバットピッチが逆方向、着陸も逆だと気付き、大急ぎ撮影位置を陣地変換、何とか間に合いました。

 美しい筑波山を背景に撮影できる最前列、惜しい気もしましたが、世間話を楽しみましたご婦人へ最前列を譲り、地上展示機へ。驚いたのは、“航空自衛隊が出せる精一杯のF-35”、も驚きましたが、記念塗装として第305飛行隊塗装のファントム、第204飛行隊と第305飛行隊のイーグルが百里基地50周年を祝い、那覇と新田原から駆け付けてくれたこと。

 第305飛行隊塗装のファントムは驚きました、整備員の方に聞きますと、良いでしょう、とのこと。ファントムの整備は力仕事で大変ですが、それでも整備しただけしっかりと機能する、列線整備でもやるべき仕事が明確で遣り甲斐がある飛行機、とのことでした。確信です、撮る側乗る側視る側動かす側、やっぱりみんな、ファントムが大好きなのだなあ。

 ブルーインパルスの飛行展示が始まる頃に当方は撤収する事としました、ここで最後まで撮影していたらば、石岡駅に何時に到着するのか分かりません、そこで地上展示機を一通り撮影した後、シャトルバスターミナルへ向かう途中、ブルーインパルス飛行展示前で最も混雑する状況の中、最初の撮影位置に戻りましてお別れのご挨拶をしまして、乗り場へ。

 シャトルバス乗り場は、それでも50m以上行列がありましたが、これならばバス数台分の行列というべきでしょう、石岡駅行始発バスはまだ運航開始前ですので、乗車開始となれば即座にこの行列は解消するでしょう。なるほど、まだ渋滞が大きくなる前だ。予定では正午からバス運行開始との事でしたが、先行で三台のみ石岡駅へ向かうとの事、幸先良い。

 正午前にもかかわらず流石は百里基地航空祭、渋滞が始まっています、もしかしたら、早朝に出て大渋滞に巻き込まれ、基地に入れない渋滞の自動車もいたのかもしれません、しかし、石岡駅へ向かう経路でも若干の渋滞がありました。県内から航空祭へ足を運んだおっさんの話として、まだまだ序の口、最後まで航空祭居たら、いつ帰れるか、わからん。

 石岡駅までシャトルバスの所要時間は50分、まあ、新快速で京都から三宮まで、若しくは京都から米原までの所要時間ですが、朝のシャトルバスが石岡駅から百里位置まで二時間かかった、という話を聞きますと、これは本当に幸運でした。常磐線は本数が少ないのですが、特急ひたち号ではなく敢えて常磐線普通列車のグリーン車に乗り、上野まで微睡む。

 常磐線普通列車を経て上野から東海道本線普通列車へ、そして横須賀線へ。百里基地から横須賀基地へ転進です。ヘリコプター搭載護衛艦くらま横須賀入港、恐らく除籍を前にした最後の入港です。横須賀駅、そしてヴェルニー公園に到着しますと、既に多くの艦船愛好家がカメラで一通りを撮影し、三脚を準備し夜景撮影の準備をしているところでした。

 くらま、は吉浦桟橋に停泊、ヴェルニー公園から一番よく見える岸壁です。横須賀へいま到着しました、と雑談で話しますと、出遅れたなあ、という哀傷の視線を送られましたが、ちなみに百里からの転戦です、というと、おお、百里行ったのですか、遠い所からよくぞ、と。やはり神奈川の横須賀から茨城の百里は遠いのですね、間に東京と千葉がありますし。

 アルペジオのストラップをカメラバックに取り付けて撮影している方が居ましたので、少々雑談を、ハルナさんとマヤさんが仲良く函館逗留するクロスラインもなかなか良い、週末にはアルペジオ13巻も発売になるのでちょっとした盛り上がり方です。そうか、大洗から横須賀ですので、ガールズ&パンツァーと蒼き鋼のアルペジオ、連続の聖地巡礼だ。

 横須賀では百里で昼食を食べ損ねたので、ハイスクールフリートのミーナちゃんの看板で有名な、しかし昨年今頃にはイオナさんの看板があった事で有名なお店でガッツリのシカゴドックとコーラを頂き、汐入駅前の喫茶店でマスターと写真談笑、ヴェルニー公園の戦艦陸奥主砲砲身前で護衛艦くらま夜景撮影を経て、新横浜から新幹線で帰路に就きました。

 百里基地は現在、三個のファントム飛行隊が配備されています。しかし、三沢基地において現在、次期戦闘機F-35飛行隊の編成準備が大車輪で進められています。年度末には臨時F-35飛行隊が創設予定、充足と共に三沢基地からF-2飛行隊が百里基地へ移駐予定となっており、三個のファントム飛行隊体制は長くは続きません、ファントムの聖地、興味深い航空祭でした。

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護衛艦FRAM近代化改修と艦隊維持【07】護衛艦の長い生涯と実施される検査・修理・改造の類型

2017-01-07 21:45:22 | 先端軍事テクノロジー
■FRAMとライフサイクルコスト
 護衛艦FRAM近代化改修と艦隊維持、能力を一新できるFRAMを何故すべての護衛艦に施さないのかという多くの方の疑問へ、今回は護衛艦の長い生涯と検査と修理や改造の類型からライフサイクルコストというものを軸に考えてみましょう。

 護衛艦の近代化改修、FRAMについて、これは艦船修理に累計されるのですが、艦船修理と云っても、修理、検査、改造、に三類型されます。この中で修理は既存設計を変更することなく元の性能を回復する、と定義され、一方、改造は既存の設計を変更する工事、というもの、くらま貨物船カリナスター衝突事故の、くらま修理は前者に含まれるものです。

 検査について、細部を視てゆきますと定期検査と年次検査に区分されています、定期検査が艦船で4年に一度と潜水艦で3年に一度、年次検査として会計年度ごとに一回が実施されます。蒸気タービン艦とガスタービン艦では定期検査の間隔が蒸気タービン艦の方が短期間で実施されており、定期検査に伴う入渠期間が就役期間全体で長いという特色もある。

 改造、これは特別改造と改造に分かれています、特別改造の定義は主要性能を変更するための改造と位置づけられ、具体的には復元性や運動性と潜行能力や武器艤装の変更とされ、FRAMはこの特別改造に当たる事が分かるでしょう。一方、改造には、上記以外の改造工事も含まれています、改造工事が実施される場合、期間中には検査が省略されるとのこと。

 修理についてですが、特別修理として定期検査の時期に合わせ予め計画し実施する工事、年次修理として年次検査の時期に合わせ予め計画し実施する工事、臨時修理として必要に応じその都度実施する修理、延命修理として老朽の度合いを相当規模回復するために実施する大規模修理、と四類型されます。近年特に予算が組まれるのは延命修理の予算です。

 この他に応急修理という特別区分があり、これは保安上緊急を要する状況に対して応急的に実施する修理です。就役直後の最新鋭艦では、定期検査が基本となりますが、徐々に運用期間が長くなれば、電子機器の換装を特別改造に至らない範囲内の特別修理として実施され、更に運用期間が長くなれば延命修理の頻度が大きくなり、ここで費用対効果が絡む。

 護衛艦のライフサイクルコストを計算しますと、就役後年数を重ねると共に修理改造費として計上される費用に、徐々に延命修理費用が含まれるため、最新鋭艦の方が老朽艦よりも運用費用を低減させることが可能です、また、副次的に運用人件費も徐々に先任海曹の層が厚くなりますので、増大し、結果的に新造艦の方が安価な部分も増えてくるわけです。

 FRAM,特別改造ですが、艤装を改め器材を強化する場合、船体の補強工事などが必要になります。勿論、電子機器の新補度合いは確実に更新機材の方が軽量化しますので、上部構造物の電装品換装は復元性を強化しますが、逆に船体部の電装品交換は復元性を低下させることに繋がりかねません、この為設計は慎重に行う必要があり準備期間も長くなります。

 装備を一新するという事は、教育も一新する必要がありまして、ヘリコプター搭載護衛艦はるな型のFRAM改修では、データリンクシステム教育10か月、短SAMシステム教育10週間、三次元レーダー教育8週間、電子戦教育8週間、対潜戦闘システム教育8週間、FRAM工事中にも公試に先んじてこれだけの教育が必要でした、ここに安易にFRAM工事を多くの艦艇に施せない事由が見て取れるでしょう。

北大路機関:はるな くらま
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平成二十八年度一月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2017.01.07/01.08)

2017-01-06 20:04:02 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 新年とお正月、皆様は如何お過ごしでしたでしょうか、新年に入り早速自衛隊関連行事が行われますので、今週末の自衛隊行事紹介を再開です。

 第1空挺団降下訓練始め、習志野演習場にて毎年一月初旬恒例の行事が今週末日曜日に行われます。第1空挺団は日本唯一の空挺部隊、空挺とは空中挺身部隊で、最前線のさらに後方へ輸送機から落下傘により強襲する機動運用部隊です。自衛隊では空挺団は有事の際に先陣を切って投入されるため、訓練は最大限厳しく最精鋭部隊を自認する部隊の一つ。

 習志野演習場にて実施される第1空挺団降下訓練始めは、自由見学が可能でして、習志野演習場へ足を運べば1100時から開始される降下訓練を観覧可能です。C-1輸送機やC-130輸送機等から続々と落下傘降下する空挺隊員と共にヘリボーン展開した空挺団主力が加わり、空挺作戦の様相を展示する訓練展示へと展開します。空包が使用され迫力はなかなか。

 降下開始は1100時からですが開門は0930時からで、実際には0730時頃から習志野演習場前に行列が並びます、しかし、一般開放される場所は意外と広く、しかも一般観覧地区が小高い土手の上に位置しますので、最前列よりも後ろでも見えます、故に多少現地到着が遅くなった場合でもエアボーンとヘリボーンに攻撃前進まで、一望する事も出来ます。

 ただ、一月の千葉県はかなり寒く、防寒着を準備する必要があります。訓練展示中は多数の観客が密集していますので暖かく感じますが、状況終了後の冬の厳しさを肌で感じる事となります。また、雨天時には習志野演習場には屋根がある施設がありません、少し離れたところに自衛隊自動車教習所があり若干屋根がある程度ですので、雨衣などお忘れなく。

 迫力の空挺団展示ですが、強風時には落下傘が狭い習志野演習場を出て住宅街へ流される危険がある為、空挺降下がヘリボーンのみとなる場合もあります、降雪時には隊員から車両にミサイル等装備まで一通り冬季迷彩となります。冬季迷彩は逆に中々他の行事では見る事が出来ませんので、こちらをみる事が出来ましたら、中々の幸運といえるところ。

 さて。自衛隊関連行事にて様々なところへ足を運びまして、その地方の名物を楽しむ、という事は得難い経験となりますが、驚かされましたのは、丸亀駅、うどん県として知られるその中枢というべき丸亀駅の駅前でした。第14旅団創設記念行事、善通寺駐屯地祭へと展開した際の丸亀駅前での一泊でしたが、なんと、駅前にどれだけ見ても、うどん屋がない。

 友人に急ぎメールをしますと、気をつけろそこは偽物だ、と。探してみますとラーメン屋さんはありました、そのことを友人に急ぎメールしますと、そこはラーメン派の罠だ、逃げろ、逃げるんだあ、とメールが返ってきました。丸亀城を散策した後にホテルのフロントで聞きますと、うどんは薄利多売なので店賃が高い駅前にはほとんどないですよ、と。

 名物にはありつきたいものですが、それでも、その場所まで行ってみないと分からない、という事はありますね。あと、丸亀城、物凄い高低差が重い撮影機材を担いで登るには難易度が高かったです、後で聞けば、なんでも大手門から天守閣までの高低差が現存十二天守閣では日本一、ということでした。これは事前に調べればわかった事なのですが、ね。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭
・1月8日:平成29年 第1空挺団降下訓練始め…http://www.mod.go.jp/gsdf/1abnb/index.html

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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