北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

平成二十九年度五月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2017.05.27/05.28)

2017-05-26 20:15:41 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 海軍記念日が明日祝われる前夜、海軍記念日の由来である日本海海戦、その日本海へ毎週日曜日に北朝鮮が弾道ミサイルを撃ち込む中、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 美保基地航空祭2017,C-1輸送機の第3輸送航空隊が展開する日本海沿岸の航空自衛隊基地です。今年度より最新鋭のC-2輸送機部隊配備が開始され航空自衛隊最初のC-2輸送機運用部隊となりました。C-1輸送機とC-2輸送機の国産二機種の輸送機世代交代を見上げる事が出来るでしょう。今年度末にはCH-47を運用する陸上自衛隊美保分屯地も開庁予定です。

 美保基地といえばYS-11の基地でもありますが、長年運用されてきましたYS-11P輸送機が年度末を以て除籍される事となり、航空祭での展示飛行は今年度が最後となります。ブルーインパルスも飛行展示を実施予定です。航空祭へは基地が米子空港と敷地を共有、JR境線の米子空港駅から徒歩で20分程、米子市内からも交通が便利、天候だけが心配ですね。

 東部方面混成団創設6周年記念武山駐屯地祭、横須賀市に所在し東部方面隊管内の自衛官候補生教育や陸曹教育を担うと共に、即応予備自衛官訓練等戦略予備としての任務も担う。教育訓練部隊である第1機甲教育隊の置かれており、10式戦車や90式戦車も行事へ参加します。海上自衛隊教育隊や航空自衛隊立山分屯基地と隣接する。京浜急行衣笠駅が最寄り。

 北宇都宮駐屯地創設44周年記念行事、航空学校北宇都宮分校の開庁記念行事です。第12ヘリコプター隊第1飛行隊も駐屯、ただ中央即応連隊の宇都宮駐屯地とは異なる駐屯地で、ヘリコプター部隊中心の編隊飛行が行われます。首都圏では唯一AH-64D戦闘ヘリコプターが配備される部隊、AH-64DやUH-1J等生産するSUBARU宇都宮製作所とも隣接する。

 大宮駐屯地創設59周年記念行事、化学学校と中央特殊武器防護隊、第1師団隷下の第32普通科連隊が駐屯する埼玉県の駐屯地です。中央特殊武器防護隊と第32普通科連隊は地下鉄サリン事件において出動した部隊で、第32普通科連隊は市ヶ谷駐屯地から防衛庁移駐により大宮へ移駐まえ、中央特殊武器防護隊はかつて第101化学防護隊、となっていました。

 美唄駐屯地創設40周年記念行事、北海道美唄市の地対艦ミサイル連隊駐屯地です。第2地対艦ミサイル連隊は88式地対艦誘導弾を運用していますが、かつては67式30型ロケット弾発射機を運用する第126特科大隊で、1993年に部隊改編を受けています。美唄駅から延々徒歩で移動します。美唄訓練場に隣接し90式戦車体験試乗はそれ程混雑しない穴場の一つ。

 青野原駐屯地創設41周年記念行事、第8高射特科群が駐屯する兵庫県小野市の駐屯地です。03式中距離地対空誘導弾システムを自衛隊で最初に配備した部隊でも知られます。駐屯地がある小野市は兵庫県ではありますが山間部にあり、公共交通機関利用ではJR青野ヶ原駅からのアクセスが非常に難しく僅かな本数のシャトルバス運行時間に注意してください。

 和歌山駐屯地創設55周年記念行事、和歌山市ではなく御坊駅ちかく、94式水際地雷敷設車を運用する第304水際障害中隊が駐屯しています。かつては第323地区施設隊が置かれていました。駐屯地は南海トラフ地震での重要拠点ですが、沿岸部にあり元々は犠牲者行方不明者計1015名で和歌山県民四分の一が浸水や家屋倒壊被害に遭った1953年の紀州大水害を契機として保安隊誘致運動が広まり、創設に至りました。

 饗庭野分屯基地開庁40周年記念行事、航空自衛隊第12高射隊が展開するミサイルサイトです。毎週日曜日に北朝鮮が弾道ミサイルを日本海へ射撃する中の行事です。戦車部隊が2個大隊駐屯する今津駐屯地とは饗庭野演習場地区を挟む位置にありますが、今津駐屯地がJR湖西線の今津駅最寄であるのに対し、饗庭野分屯基地は新旭駅が最寄り駅となります。

 さて。牡蠣、オイスターのお話を一つ。自衛隊関連行事において、火器が名物の駐屯地はたとえば無反動砲が凄いとかミサイルが新型とか重機関銃を多用する行事、というものは多々あるのですが。牡蠣、美味しい牡蠣を駐屯地や基地の周りで楽しむことができるところは貴重です、しかし、大丈夫だとは思いますし駄目だったことは無いのですが前日は避けたい。

 この中で、もう少ししっかり調べれば良かったよなあ、と思う牡蠣で思い浮かぶのは、江田島、大洗、高松、です。江田島ですが知る人ぞ知るわが国有数の牡蠣の産地で近海練習航海部隊外洋練習航海部隊出港の撮影地近傍が産直で牡蠣を楽しめる場所が広がっているのですけれども、しかし気を付けたいのは営業日と営業時間で食べ逃してしまう事が多い。

 江田島と共に大洗、夏の岩牡蠣が名物なのですけれども大洗近傍の百里航空祭の季節等は既に季節を外れてしまいますので自衛隊行事と併せて展開するには日本の旬を往くための情報収集が必要です。そしてもう一つは高松、牡蠣串が物凄く江田島並に安かったのですが、護衛艦くらま入港前という事で断念、しかし翌日が定休日で食べられず、残念でした。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・5月28日:美唄駐屯地創設40周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/11d/jgsdf-post/bibai.html
・5月28日:北宇都宮駐屯地創設44周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/kitautunomiya/
・5月28日:大宮駐屯地創設59周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/crf/pa/
・5月28日:東部方面混成団創設6周年記念武山駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/ea/camp/ea_1cb_0.html
・5月28日:饗庭野分屯基地開庁40周年記念行事…http://www.mod.go.jp/asdf/aibano/
・5月28日:青野原駐屯地創設41周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/
・5月27日:和歌山駐屯地創設55周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/
・5月28日:美保基地航空祭2017…http://www.mod.go.jp/asdf/miho/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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南スーダンPKO自衛隊撤収完了,日本UNMISS派遣施設隊五年間の活動終了とPKOの変容

2017-05-25 23:57:51 | 国際・政治
■第9師団が任務完遂帰国
 自衛隊UNMISS派遣施設隊の第9師団派遣部隊最後の一陣が南スーダンを出国、27日に帰国します。無事任務完了を果たせそうですね。

 自衛隊UNMISS派遣隊、撤収が完了です。事実上の内戦状態や事実上の戦闘状態が各所で展開される中、自衛隊の南スーダン派遣任務では、戦闘地域での国連部隊及び文民部隊救出任務を主眼とした駆け付け警護任務、自衛隊駐屯の国連軍基地等への襲撃への各国軍との協力を主眼とした宿営地共同防護任務等を明示した安全保障関連法が昨年追加されました。

 安全保障関連法整備は国内での様ざまな議論を呼び起こしましたが、自衛隊が活動する首都ジュバ市内へ反乱軍のT-72戦車が突入し、政府軍Mi-24攻撃ヘリコプターが航空攻撃で撃破、小隊規模の市街戦が各所で展開される状況を、政府は戦闘ではなく衝突である為にPKO参加五原則は崩れていないとして派遣継続する等、不安を残す派遣が完了した訳です。

 南スーダンPKOはスーダンからの住民投票を経ての南スーダン独立に際し、国連は新国家が軌道に乗るまでの期間、新国家創造を支援する国際連合南スーダン支援団へ2012年に派遣を開始しました。内陸部への派遣は当時の野田内閣のPKO政策の主軸として進められ、第一陣として南スーダンの首都ジュバおよびウガンダに現地支援調整所を設置しています。

 安保理決議1996 に基づき編成されたUNMISS,そのPKO部隊は、インド隊の2600名を筆頭に中国人民解放軍や韓国軍、カンボジア軍、アフリカからはエチオピア軍やガーナ軍にケニア軍及びルワンダ軍、それにイギリス軍等13か国より、総員12523名が派遣されています。軍事要員はこの内11350名、文民警察官1173名が参加し現在も任務継続中です。

 南スーダン派遣施設隊は、対本部、本部付隊、2個施設小隊、施設器材小隊、警備小隊、対外調整班、派遣警務班、以上350名を以て編成されました。南スーダンへの派遣は2012年3月より本格化、最初に国連施設内での宿営地設営と並行し活動準備に着手、4月よりインフラ整備支援を本格化します。2013年には活動地域拡大自衛隊行動命令が発令されました。

 活動地域拡大自衛隊行動命令発令に伴い、首都ジュバ近郊に限られていた自衛隊の国家創建支援は東エクアトリア州と西エクアトリア州へと拡大しましたが、その半年後にあたる2013年12月、南スーダンにおいてクーデター未遂事件が発生、情勢は一挙に緊迫化しました。これに伴い、自衛隊の活動は一時国連施設内の自活支援等に縮小してゆきました。

 クーデター未遂事件ではジョングレイ州における武力衝突、一般的な理解では戦闘、が発生しPKOインド部隊の要員に戦死者が出る等状況は一転、インド軍はBMP-2装甲戦闘車を派遣すると共にPKO派遣各国は中国員民解放軍の90式装甲車等警備能力を強化、国連安全保障理事会は警備要員7600名に加え6000名の増派を求める決議を可決しています。

 南スーダン情勢は、新国家建設という崇高な意思の一方、南スーダン軍による隣国スーダンへの越境攻撃や、スーダン領内油田の南スーダン軍による占拠等の問題が発生し、この際に南スーダン軍はスーダン軍の反撃に対し、PKO部隊を盾とした行動の徴候を見せており、安保理決議1996によるUNMISS派遣決定時との情勢は全く異なる事となっています。

 自衛隊は避難民保護区域の敷地造成及び整備を実施し、給水支援や医療支援を継続的に実施してきましたが、2014年6月、AFP通信やロイター通信等が南スーダン内戦を報じる一方、首都ジュバ地域での情勢が安定化し、自衛隊派遣施設隊は国連施設外の道路整備などを再開、他方ボル国連軍基地が武装勢力に攻撃され、避難民とPKO要員へ死者が出ました。

 2016年7月には首都ジュバ市内において反乱軍が戦車部隊を中心に攻勢に出た為、情勢は一挙に緊迫化しました。これは、PKO部隊が国家創造任務から国連防護軍へ改組される可能性が高くなったためです。一方、この状況にて国連職員及び支援NGO職員が戦闘地域において孤立ち一部が襲撃を受けましたが、PKO部隊は救出要請を受けるも対応できません。

 安保理決議1996は国連憲章七章措置に基づく国際法上の強行規範です。国連憲章七章措置に依拠したPKO部隊派遣は2002年より開始されていますが、これは国連軍派遣と同質の七章決議であり、決議を補強する形で文民保護、安全保障理事会はPKO部隊による内戦状態の戦闘地域での非戦闘員保護等を求める決議を重ね、自衛隊の任務を離れてゆきました。

 政府のPKO任務完了決定は、南スーダンでの自衛隊派遣施設部隊による実施可能な任務が完了した、というものでした。しかし実際には情勢が本格的に悪化する以前に、施設部隊中心の自衛隊派遣部隊では対応できる任務を越えているもので、本格的な国連防護軍への参加は戦闘への参加が常態化し、法的に限界がある、との部分があったのかもしれません。

 我が国のPKO参加はこうして南スーダンPKOの派遣完了撤収を以て一段落します。長期間実施されていたゴラン高原停戦監視任務はシリア内戦激化と共に既に終了しており、国連PKOへは現在、南スーダンPKO任務UNMISS司令部へ派遣している幕僚、兵站幕僚および情報幕僚の2名を派遣するのみとなりました。新しい派遣任務の予定は現在、ない。

 国連防護軍派遣という視点が端的に示すように、現在の国連PKOは国連の平和創造への積極参加を期したものとなっており、自衛隊が1992年に初めてPKO部隊を派遣した、七章決議でも総会決議という六章決議でもないPKOの位置づけから軍事色を強め、国連が紛争を主体的に解決するという方向性が明確なものとなり、転換期を迎えたといえましょう。

 自衛隊の任務は国家創造ですが、近年は地域紛争後の国家再建や独立国家の国家創造支援よりも、紛争介入が重視され、更に授権決議の形を取り、国連が主体的に参加するのではなく有志連合を募り地域機構の協力という方式が採られるように転換しています。PKO参加は自衛隊の海外での経験蓄積に有用であるとの防衛省の見解がありますが、その参加様式については、今後、様々な視点を踏まえて議論する必要がありそうです。

北大路機関:はるな くらま
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【京都幕間旅情】頂法寺六角堂,貴族邸宅街から大衆都市へ現代都市京都中心部の洛陽観音霊場

2017-05-24 20:41:11 | 写真
■六角堂,常に古く常に新しい
 頂法寺六角堂、京都と云えば平安遷都から貴族文化と共に歩みをすすめましたが、この御堂とその街の発展は今日の京都へと転換させた始まりの場所の一つといえるかもしれません。

 六角堂、京都の中京区は六角通東洞院に鎮座する秘仏如意輪観音祀る頂法寺の親しみを込めた愛称です。六角堂という寺院建築は全国にも多々あり、その名の通り六角形の本堂を示す名所旧跡の総称ですが、当方の場合はやはり六角堂といえば六角通の六角堂を思う。

 中京区六角通東洞院といえば御所へ向かう烏丸通に隣接し、地下鉄烏丸御池駅が指呼の間にある京都現代都市としての中心地に位置し、周囲を高く聳える現代都市の建造物群にあってしかし祇園祭始め祭事には歴史が転換するこの立地に一種独特の風情と空気を湛える。

 頂法寺六角堂は聖徳太子が前世に唐へ仏道修行を修めていた時代に信仰の拠り所としていた観音像を祀ります。前世に中国留学とは少々難しい由来ですが、その偶像が具現化したのは敏達天皇の御世に淡路国岩屋浦へ観音像が流れ着いたという一つの由来がある、と。

 小野妹子との所縁からその創始者であり生け花との関係が深く、寺院は生け花の池坊が執行を務めてきました。そして洛陽三十三所観音霊場の第一霊場であり、西国三十三所第一八場所、京都の繁華街の中心部にありますが、深い歴史は多くの拝観者の集いの場所です。

 敏達天皇の御世、欽明天皇の長子で皇后に額田部皇女という後の推古天皇との契りがあり聖徳太子と同時代を治めた天皇です。この時代は崇仏派蘇我馬子と排仏派物部守屋とが激しく対立、これは偏に専守防衛か国際協調かが日本史に初めて激しく問われた時代です。

 聖徳太子所縁の寺院ということで、境内には聖徳太子沐浴の古跡等が並び、その建立は飛鳥時代まで遡ると寺社縁起には記されています。ただ、第二次世界大戦後の調査によりこの周辺からは飛鳥時代の遺構は発見されず、平安朝末期に建立されたのでは、と謎が多い。

 天台宗紫雲山頂法寺という六角堂は、物部氏との対立が深まる中、その討伐の成功を祈願し聖徳太子が仏教の力に助力を頼むべく小野妹子とともにこの地を訪れた、という縁起があります。平安遷都以前の時代、この地は奈良の平城京の北鎮とされた時代のはなしです。

 藤原道長の日記を紐解けば11世紀初頭にこの地へ六角堂という記載がありまして、平安京からは清水寺や石山寺に長谷寺よりも身近な観音拝観の寺院として日記には記されているとのこと。そして日本史にはこの藤原道長の日記へ記されて以降、頻繁に登場することに。

 親鸞聖人も鎌倉時代初期、名を改める以前の範宴として叡山の堂僧であった時代に六角堂へ百日間参籠の修行を行い、浄土宗宗祖たる法然の専修念仏へ帰依することとなりました。室町8代将軍足利義政は大飢饉ここに洛中流入貧窮者への粥施行救済小屋を建てています。

 町堂という、観音霊場寺との庶民信仰拠り所という位置づけへ展開し、近世には門前町と宿場街が広がりました。実は京都が貴族の邸宅街から日本文化の中心地としての近代都市へ昇華したのは、持論ではこの時代に基点を見いだせるのではないかと考えています。

 応仁の乱により、六角堂も例外なく破壊されました。現在の六角堂は明治時代1877年の建立です。意外に新しい印象ですが秘仏本尊如意輪観音像は建立当時の長い歴史を今に伝えています。太子堂や親鸞堂に聖徳太子沐浴の古跡と十六羅漢に清水湛える人工池等が並ぶ。

 京都の中心地という事で度々火災に見舞われています。明治時代までに20回近い回数の火災に見舞われたとの事ですが、町堂の観音霊場寺との庶民信仰に粥施行救済小屋という庶民の根強い信仰と寄進に守られ、その都度復興してきました。京都の街は常に古く常に新しい。

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テロ等準備罪と自衛隊治安出動の可能性,狙われるソフトターゲットと警察力の動員限界

2017-05-23 23:45:55 | 国際・政治
■英マンチェスターテロ発生
 自衛隊法78条には、一般の警察力をもっては治安を維持することができない状況において治安出動命令を発令できる、という条文があります。

 イギリス中部のマンチェスターで22日夜、日本時間の本日朝コンサート会場付近が自爆テロ犯による攻撃を受け、22名が死亡しました。本事案について、イスラム過激派ISILが犯行声明を出しました。イギリスでは2005年7月のロンドン地下鉄同時多発テロ以降、テロ事案が発生しており、近年はISILによるテロや襲撃事件も発生、警戒が強化されています。

 我が国ではテロ等準備罪の国会審議が大詰めであり、これまではテロ事件の発生を受けての捜査としてテロ事件を抑止する制度に欠缺があったテロ対策の空隙が漸く埋められようとしています。現状ではあの地下鉄サリン事件当時、実行犯と目されたオウム真理教関係者の逮捕を止むを得ず公務執行妨害等事実上の別件逮捕を乱発し対処した時代のままです。

 法整備、テロ等準備罪が衆参両院での可決を経て法執行基盤は整います。現状の公務執行妨害等事実上の別件逮捕を乱発し対処は、逆に問題がありテロ組織の攻撃を未然に阻止する法体系を構築してこその法治国家、乱用の懸念があるならば、新法反対ではなく乱用を防ぐ検察審査制度強化を求める事こそが肝要だ。しかし、法整備だけでは阻止できません。

 治安出動、2015年11月のパリ同時テロでは当時のオランド大統領が戒厳令を布告し、パリ警察や国家憲兵隊の支援へ陸海空軍より警備部隊を派遣、陸軍は全体の15%にあたる規模の部隊を常時街頭の警戒に派遣しています。効果はあるようで、警備部隊が実際にテロリストを阻止した事例もあります。こうした任務、日本も想定しなければならなくなる。

 自衛隊の治安出動といえば、思い出されるのは北朝鮮武装工作員浸透脅威顕在化を受けてのゲリラコマンドー対処任務付与が挙げられるでしょう。北朝鮮工作員は2001年に発生した九州南西海域工作船事件において巡視船により撃沈された船体内から対戦車火器RPG-7,無反動砲や機関砲と軽機関銃等が押収され、警察力での対応に限界が指摘されていました。

 しかし、テロ事案におけるソフトターゲット警備となりますと、別の問題が生じる可能性があります。それは警備の警察官の人員規模が全く不足する点です。日本の鉄道駅はJRが4600駅に民鉄5000駅の9600駅、ショッピングモールは日本ショッピングセンター協会加盟店舗で3195店、大学は国立86校に公立77校と私立595校の計758校、非常に多い。

 マンチェスター自爆テロではソフトターゲットが標的とされた点が特色です。ソフトターゲットとは警備厳重な施設を避け、警備が手薄な公共施設を標的とするテロリストの攻撃で、警戒厳重な国際空港や旅客機、政府庁舎や防衛施設、原子力施設等を避け、人が一定以上集まる中規模のターミナル駅やショッピングモールや大学に観光地等を攻撃するもの。

 オウム真理教による地下鉄サリン事件、地下鉄車内において神経ガスによる無差別攻撃を行うというもので、ソフトターゲットへのテロ行為の代表例といえるでしょう。テロ事件ではありませんが秋葉原連続通り魔事件はトラックが凶器として使用されました。こうした視点から、日本がテロ対策を行う場合はソフトターゲット警備が焦眉の課題となります。

 ソフトターゲットの警備は大変です。監視カメラや警備員、駅ならば改札付近に警察官が立哨し、ショッピングモールや映画館ならば警察官巡回強化を行う事は可能ですが、原子力施設のような機動隊選抜の警備隊が機関短銃と狙撃銃に防爆警備車で重点警戒、を行う事は、そもそも警備対象の数が多すぎ、やはり現実的には不可能と云わざるを得ません。

 自衛隊の治安出動、例えば具体的テロ事案等を経てソフトターゲット警備への警察力の限界が指摘された場合、勿論警察官を万単位で増勢するとともに鉄道公安官制度復活等、警察予備力を構築する事で対処する事が必要となりますが、増勢までの時間的間隙を、自衛隊の警備能力、例えばパリ同時テロ以降のフランス軍のように、動員の可能性があります。

 ゲリラコマンドー対処任務付与と共に自衛隊では重要施設警護訓練を実施しています。一方、ソフトターゲット攻撃の特色は警備の間隙を狙うと同時に、港湾や空港などからの重火器等が持ち込めない状況での選択肢となる場合が多く、基本的に武装の規模は軽量で小規模です。この為、普通科部隊の装備でも大き過ぎ、警察官の短銃程度でも十分阻止する、抑止する事は可能でしょう。

 国民保護訓練として現在では自衛隊が警察官を輸送するなどして、機動隊や警察特殊急襲部隊と銃器対策部隊の輸送支援を実施しています。ただ、ソフトターゲット警備の必要性などからの人数が不足する状況であれば、例えば空港等警察官の重点警備任務を自衛隊が治安出動命令を受けての派遣と重要施設警備を行い、短銃での対応が可能な方面へ警察官を派出させる事が可能な施策が、望ましいといえるかもしれません。

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北朝鮮,日本海へ北極星2型弾道ミサイル・火星12型弾道ミサイル二週間連続の発射実験

2017-05-22 23:59:10 | 防衛・安全保障
■北極星2型弾道ミサイルの発射
 北朝鮮は昨日21日に北極星2型弾道ミサイルの発射実験を行いました、火星12型弾道ミサイルとあわせ二週間連続の発射実験となります。

 火星12型弾道ミサイル、先週日曜日に発射され短距離を長時間の飛翔時間を経て落達したことから高高度を飛翔し落下速度を極超高速へ到達させるロフテッド軌道方式がとられたことを強く印象付けました。昨日、北朝鮮は先週日曜日に続き弾道ミサイル実験を実施し、今度は日本時間夕刻に北極星2型ミサイルを内陸部から日本海へ向け発射しました。

 北極星2型ミサイルは火星12型弾道ミサイルと同じく移動発射装置による運用を基本としており、従来実施された固定ミサイル実験施設からの運用に対して、移動発射装置の発見は兆候をつかみにくく、ミサイル防衛を行う側としては北朝鮮全域を警戒監視範囲に含める必要が生じ常続的警戒飛行やイージス艦複数の遊弋等、負担が増大する事を意味します。

 ロフテッド軌道方式を用いた場合、弾道ミサイル防衛は迎撃ミサイルの発射に関する時間的猶予が非常に短く、また、弾道ミサイル防衛は宇宙空間から落下するミサイルを破壊するため、単に撃墜しても落下する結果がかわらない為、直撃し弾頭部分を高空で破砕する手法が採られますが、早すぎれば通常弾頭での迎撃はさらに難しくなり、課題は大きい。

 ミサイル防衛体制の強化を急ぐ防衛省ですが、現在の予算規模では限界があります。現在は首都圏中心部へミサイル防衛部隊を展開させると共に、ミサイル破壊措置命令を常時発令する事で全国の地対空ミサイルペトリオットPAC-3部隊が待機態勢に入っていますが、現段階ではPAC-3は射程が短く、京阪神中心部や中京中心部は迎撃範囲に入っていません。

 飽和攻撃としまして、単一箇所へ複数の弾道ミサイルを集中された場合には、現在のミサイル防衛システムでは突破される可能性があります。それではどの程度の密度が望ましいか、と問われれば、一例として沖縄の嘉手納基地を防護するためにアメリカ軍は陸軍防空砲兵1個大隊を集中させています。一箇所の基地防空でもこれだけ必要だ、という事です。

 脅威度についてですが、従来のノドンミサイルであれば配備数は150発から200発程度とされ、ノドンよりも射程の大きなものは日本本土ではなくグアムを射程とし、射程の小さなものは北部九州を射程に収めますが主として韓国攻撃用のものでした。最大200発は大きな脅威ですが、第二次大戦中の絨毯爆撃程の脅威は通常弾頭ならば、ありませんでした。

 しかし、核開発が行われると共に、核弾頭を弾道ミサイルへ搭載できる程度に小型化出来たとすれば、これは北朝鮮が実現したと自称する一方、証明する手段がないという状況にあるのですが、日本本土へ核兵器が投射される可能性が生じた事を意味し、看過する事はできません。200発の内喩え1発でも核弾頭を搭載していれば、大変な被害が生じます。

 北朝鮮核開発及びミサイル開発はどの段階が到達点となるのかについてが、今後のミサイル実験継続を左右する問題となるでしょう。この点について、北極星2型ミサイルの位置づけは射程をグアム程度とした中距離弾道ミサイルであり、次に大陸間弾道弾の開発へ展開し、場合によっては日本本土上空を飛翔する経路が用いられる可能性は否定できません。

 自衛隊が航空攻撃により北朝鮮ミサイルを発射以前に撃破する事は出来ないのか、と思われるかもしれませんが、第一に航空自衛隊は専守防衛の国是と共に戦闘機や爆撃機を日本本土に到達させない防空自衛隊というべき制空権維持に特化し、対地攻撃能力は元々限定的です。そして移動発射装置を北朝鮮から探し出す索敵能力も想定されていない現状です。

専守防衛は我が国の平和国家としての国是ですが、そもそもミサイル脅威が顕在化する中に遭って、祈るような手段としての平和主義か、国民の平和的生存権を国家が維持するための選択肢を残すのかについては、平和主義堅持というより前者か後者かの討議が充分行われているのかとの印象が無くもありません。そして現状の防衛力では限界があるのです。

有事の際には米軍への打撃力へ依存する他ないのですが、米軍の行動を支援する枠組み、そして米軍が主体となる事へのアメリカ世論への問題は無視できず、場合によっては日本が必要な打撃力の一端を担うという選択肢が突き付けられる可能性は充分あります。一方、北朝鮮のミサイルと核開発はアメリカ本土を標的とし、当面鎮静化の見通しはありません。

勿論、ミサイル防衛に限度があるとしても、攻撃以外打つ手なしという状況ではありません。イスラエルやフィンランドのように全土公共ミサイルシェルター建設の強化や、スイスのように建築基準法を改正し住宅新築に際しての地下シェルター設置義務化等により、消極的ですが国民保護に資する事は可能です。ただ、現状のまま事態放置という選択肢は非常にリスクがある選択肢となってしまいました。

北大路機関:はるな くらま
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【日曜特集】木更津駐屯地創設45周年航空祭【05】訓練展示&機動飛行(2013-05-12)

2017-05-21 22:56:46 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■陸上自衛隊,空中機動の威力
 木更津駐屯地創設45周年航空祭,第五回は前回に引き続き訓練展示の様子と、AH-1S機動飛行の迫力とともにヘリコプター団の歴史と自衛隊航空史をお伝えしましょう。

 第1ヘリコプター団の新しい歴史は2007年に新編された中央即応集団の隷下部隊となった事で始まりました。防衛庁も防衛省へ改編され、長官直轄部隊から中央即応集団隷下部隊へ、巨大な空中機動能力を機械化連隊や空挺部隊と特殊部隊支援へ専従させる事になる。

 中央即応集団は司令部及び司令部付隊、第1空挺団、第1ヘリコプター団、中央即応連隊、特殊作戦群、中央特殊武器防護隊、対特殊武器衛生隊、国際活動教育隊、以上4500名を基幹とする自衛隊緊急展開部隊で、空挺団以外警備隊区を持たず日本に世界へ展開可能です。

 第1空挺団は自衛隊最精鋭、習志野に駐屯する自衛隊唯一の空挺部隊で3個普通科大隊9個中隊と特科大隊に施設中隊や通信中隊と後方支援隊を加えた1900名規模の部隊で、精鋭無比、厳しい訓練と専門教育に数段上の体力練成から日本唯一の旧陸軍、とも称される。

 中央即応連隊、宇都宮に駐屯しており中央即応集団創設と共に全国の普通科部隊から選抜した隊員を以て新編、軽装甲機動車に96式装輪装甲車や輸送防護車といった装甲車両により高度に装甲化された普通科連隊で、本部管理中隊と3個普通科中隊を基幹としています。

 特殊作戦群、自衛隊初の特殊部隊で指揮官以外の名前は公表されず300名程度の部隊です、米軍は1765名の特殊作戦群5個を有していますが自衛隊の場合2004年に新編されたばかりで、作戦分遣隊規模での部隊強化と実任務対処能力構築が進められているのでしょう。

 中央特殊武器防護隊と対特殊武器衛生隊、大宮駐屯地と朝霞駐屯地に駐屯するNBC防護部隊で地下鉄サリン事件や東海村臨界事故と福島第一原子力発電所事故等世界で最も経験を積むNBC防護部隊で、アメリカがCBIRF化学生物事態対処部隊新編時に参考としたとも。

 国際活動教育隊、駒門駐屯地に駐屯する自衛隊の教育訓練部隊で各国のPKO任務への研修や全国の自衛隊部隊の海外派遣に先んじての教育訓練等を専門とする部隊です。中央即応集団は陸上総隊創設への過渡的編成とされますが、緊急展開部隊編制へ先鞭を付けました。

 多数のヘリコプターを目の前にして、自衛隊は装甲車が不足故に近代化が遅れていると誤解されますが、実はヘリコプターを買い過ぎただけではないか、と思ったりも。CH-47を10機以上持っている国は稀ですし専用の攻撃ヘリコプターを100機近く持つ国も少ない。

 AH-1S対戦車ヘリコプターと89式装甲戦闘車、量産が進んでいる時期では其々27億と5億円ですので、AH-1S一機と89式FV縮小2個小隊の費用は同じ程度で、ミサイルに機関砲で武装は似ているもAH-1S90機調達という事は89FV440両に匹敵する費用を要する。

 CH-47JA輸送ヘリコプターと96式装輪装甲車の比較では、CH-47JAが50億円に対し96WAPCが1億円弱、つまりCH-47が1機で96WAPCを三個中隊と本部管理中隊施設作業小隊や情報小隊に充足させられるだけの費用が掛かりまして、これを50機もっている。

 陸上自衛隊にはもう一つ、改良ホーク地対空ミサイルが8個高射特科群全国に配備され戦域防空を担っていましたが、高射特科群整備費用が甲師団全装備費用に匹敵し、これを改善Ⅰ型に改善Ⅱ型と改善Ⅲ型と改修していましたが、これも各群230億円程掛かった、と。

 改良ホーク改善費用だけで73式装甲車230両と96式装輪装甲車240両や89式装甲戦闘車46両に匹敵して、これが8個群、無論改良しなければ現代戦に対応できませんが、もう少し航空自衛隊の防空戦力が頼れれば、3個群分程普通科の装甲化に回せたのになあ、とも。

 撮影位置について。木更津駐屯地は飛行場ですので、撮影可能な立地は比較的広く様々な撮影場所を何年かに分けて撮影する事も出来るかもしれませんが、大編隊がどの方向から飛来するかを正確に把握していませんと、いきなり後ろから大編隊飛来となりかねません。

 実は2006年に、この場所空いているから最前列確保出来るよね、と充分吟味せず撮影しまして、大編隊は後ろの格納庫から飛来して、肝心のチヌークやコブラ大編隊が電線や電柱と重なってしまったよ、という大失敗、してしまった事も、ありましたので気を付けたい。

 改めて足を運んでみますと、その前回失敗した撮影場所は、実は正門からかなり近いのですね、そこで空いているというあたりにその撮影立地のアングルが難しい、ということ、気づくべきだったのかもしれませんが、ただ同行の友人が開口一番、この場所いいね、と。

 チヌークのエンジン出力が凄い事は冒頭に九六式陸上攻撃機や一式陸上攻撃機と比較しても高出力だという表現で示しましたが、その凄さは実は日本海軍機はもとより、エンジン出力だけ比較すれば四発重爆撃機のB-29戦略爆撃機よりも高出力で、つまり離陸も凄い。

 2006年に何気なくチヌークの編隊を真後ろから撮影しようとしていましたらば、周りに他子供たちが一斉に逃げ出しまして、千葉っ子は軟弱だなあ、と千葉愛が凄い作家さんなどが聞けば激怒しそうな印象を持ちましたが、カメラのファインダー視ていると何か変だ。

 大編隊離陸という決定的な瞬間を撮影するのにファインダーが芝生色で覆われていくので何だろうと思い直に見ますと、なんとローターが巻き起こす後方気流が芝生を掻き集め直径50cm以上ありそうな芝玉となって幾つもこちらに走る如くの速度で迫ってくる、という。

 会場に設定された安全地域ですし、芝生が玉になって大半は空気で重さは無く問題ないのですが、一発が子供に纏わりつきチヌークと子供たちの雪合戦ならぬ芝合戦状態に、知識でエンジン出力の凄さは知っているが、編隊離陸となると芝生が凄いことになるのだなあ。

 幸い当方は芝生玉にも当らず風に向かって頑張っていましたけれども、今度は足元に置いていたカメラバックが無い、置き引きかよ千葉治安悪いなあ、と千葉愛が凄い作家さん等が聞けば激怒しそうな印象でしたが、そうではなくカメラバックが風で動いていたもの。

 カメラバック待って、と追いかけていますと、何故か航空愛好家で遠巻きに撮影していた方々の白レンズ群がチヌークではなく当方を視ているようにも、面白いかこっちは必死だ、と、まあそんなことがありまして最初の撮影は教訓が多かったのですが今回は大丈夫だ。

 痛コブラ、痛オメガ、最後の年、と言いますか特別過ぎた記念塗装により、市ヶ谷の偉い人たちから怒られ、その意味で注目が集まったのが木更津航空祭二〇一三でした、当方は京急沿線に一泊しまして友人と東京湾横断橋を経由し、木更津駐屯地へと展開しました。

 横須賀基地へ練習艦隊近海練習航海部隊が入港しており、前日に撮影を併せて、一寸横須賀で美味いネイビーバーガーと夜にホッピーでも頂こう、という旅程、期せずしてCH-47地上滑走にも乗る事が出来、その後中折れ帽を無くしましたが満足できた写真が撮れた。

 木更津駐屯地祭当日は快晴に恵まれ祝賀飛行大編隊、空挺団と協同しての訓練展示、対戦車ヘリコプター機動飛行、一通り撮影できました。近年大編隊指揮官が減っていると言われるものの、木更津興味深い行事と展示を撮影する事が出来ました。さあ機動飛行開始だ。

北大路機関:はるな くらま
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【くらま】日本DDH物語 《第十三回》艦載機スーパータイガー改のG.98J-11戦闘機内定

2017-05-20 20:22:54 | 先端軍事テクノロジー
■G.98J-11戦闘機内定
 F-104かG.98J-11か、創隊と同時に供与されたF-86に続く航空自衛隊最初の主力戦闘機選定は、その決定過程が一考の余地を豊富に含み様々な見解と研究へ展開していますが、今回は空母という視点から。

 G.98J-11戦闘機、F11F-1Fスーパータイガーを航空自衛隊向けとしたグラマン社製戦闘機です。アメリカ海軍は原型であるF-11については一応200機を調達していました。200機というと1950年代にアメリカ海軍が制式化したという事実の割には生産数が、少なく見えますが、これは亜音速戦闘機時代から超音速戦闘機時代へ過渡期という事情があります。

 航空自衛隊次期戦闘機選定へ有力候補となったG.98J-11戦闘機、最終的にF-X選定はロッキードF-104に決定しますが、当初はG.98J-11戦闘機に内定、しかしG.98J-11戦闘機はF-11戦闘機の改良型と説明されたものの施策さえ飛行していない機種であり、実際評価試験へはF-11戦闘機改造型を飛行させ、G.98J-11戦闘機そのものは完成していませんでした。

 対潜空母、海上自衛隊が基準排水量23000t規模の艦艇を建造し、ヘリコプター18機と固定翼哨戒機6機を運用する航空中枢艦を建造する研究があった、この点を加味してG.98J-11戦闘機を俯瞰しますと、また別の視点が見えてくるのではないでしょうか。なによりも艦載機として考えられるS-2艦上哨戒機よりもG.98J-11戦闘機は軽量なのです。

 対潜空母という基準排水量23000t規模の船体を持つ艦艇の研究、航空自衛隊の主力戦闘機に空母艦載機を発展させたG.98J-11戦闘機が採用されていたらば、艦上運用もあり得たのではないか、勿論、艦載機原型であっても改良型が陸上機として設計されているならば、着艦装備や艦上装備等は当然不要で、機体軽量化の為に省略される事となるのですが、ね。

 源田実航空幕僚長を団長とするF-X調査団がアメリカに派遣され、一旦導入が内定したG.98J-11戦闘機の開発予算等の日本負担や大量生産への安易度の高さから、本命とされていたF-104戦闘機が決定します。G.98J-11戦闘機内定はF-104戦闘機導入への駆け引きであったのか、運動性能が評価されたのか、そしてG.98J-11戦闘機の採用国は皆無でした。

 F-104戦闘機は超音速とナザールF-15自動迎撃装置との連動を可能としつつ、非常に小型の戦闘機として完成していました。F-104戦闘機とG.98J-11戦闘機がJ-79エンジン、航空自衛隊ではF-4EJ戦闘機のエンジンとして採用、ファントムの愛称と共に百里基地や岐阜基地で運用されるF-4EJ改やF-4EJ,RF-4にはJ-79エンジンが現在も搭載されています。

 G.98J-11戦闘機が内定した背景については公表されていない部分が多く、中には当時の防衛庁に提出された技術資料が最も分厚かった事で採用された、という逸話、関係者を直接知る方の話しによればこれは正しくないとの事ですが、評価試験の実施や技術資料へのアクセスの部分で、G.98J-11戦闘機が高く評価された背景が、確たるものが出てきません。

 空母艦載機なので限られた飛行場設備でも整備が可能である可能性、軽量戦闘機であることから舗装が薄い滑走路でもF-86F戦闘機が運用できる施設であれば利用できる可能性、短距離離発着能力が高い事から航空基地の損害を顧みず運用する事が可能である可能性、対抗するF-104が高速度を重視した関係から空戦機動性を強調し支持された可能性、など。

 対潜空母という基準排水量23000t規模の船体を持つ艦艇と空母艦載機の改良型であるG.98J-11戦闘機の内定には、些か発想が飛び過ぎていますが、S-2艦上哨戒機を実際に導入し、空母プリンストン艦上にて運用研修や海上自衛隊操縦要員による空母着艦研修等を行ったという事実とに組み合わせると、想像力を一段進めてしまうのかもしれませんね。

北大路機関:はるな くらま
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平成二十九年度五月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2017.05.20/05.21)

2017-05-19 19:54:15 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 自衛隊行事特集です。梅雨入り前ながら天候は初夏の様相、しかし乾いた大気に青葉と風が心地よい昨今ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 静浜基地航空祭2017、静岡県焼津市の航空自衛隊基地で海軍航空隊藤枝基地として1944年に開庁し、高い夜間攻撃能力で知られる芙蓉部隊の基地としてしられます。現在はT-7練習機を運用する第11飛行教育団が展開しており、メイン会場の滑走路向かい側では快晴ならば富士山と管制塔に離陸するT-7練習機を撮影できます。ブルーインパルスも来る。

 防府北基地防府航空祭2017、山口県防府市田島の航空自衛隊基地でT-7練習機を運用する第12飛行教育団が展開します。第13旅団第13飛行隊の防府分屯地も併設、航空祭ですが74式戦車が参加します。T-7練習機は初等練習機で固定翼と回転翼ともに操縦要員は最初にこのT-7にて第一歩を踏み出します。今週末はT-7練習機の祭典というべきでしょうか。

 第4師団創設63周年記念福岡駐屯地祭、九州北部を防衛警備管区とする第4師団の創設記念行事です。警備管内には離島壱岐対馬地区を有し、対馬海峡という戦略要衝を防衛すると共に九州最大の福岡北九州大都市圏という中京地区に続く我が国第四の都市圏を防衛警備管区とし、更に対岸は朝鮮戦争休戦中の韓国という、防衛上の最前線の師団の一つです。

 第4施設団創設56周年記念大久保駐屯地祭、宇治市にあり、中部方面隊隷下の建設工兵部隊と戦闘工兵部隊である工兵旅団、第4施設団の創設記念行事です。本年は大久保駐屯地60周年の記念すべき年で、92式地雷原処理車や75式装甲ドーザ等の戦闘工兵装備や重パネル橋に大型トラッククレーン等の建設工兵装備が並ぶ、施設団ならではの装備品も多い。

 霞ヶ浦駐屯地創設64周年記念行事、茨城県土浦市に所在する駐屯地で霞ヶ浦海軍航空隊として知られる霞ヶ浦飛行場跡地を継承しています。陸上自衛隊関東補給処が置かれ東部方面隊管内を中心とした一大兵站拠点です。もう一つ陸上自衛隊航空学校霞ヶ浦校が置かれ、幹部操縦課程と整備員養成教育を担う。航空自衛隊霞ヶ浦分屯基地も隣接しています。

 高知駐屯地創設51周年記念行事、第50普通科連隊の駐屯地です。高知県香南市、元々は沿岸の岸本にあり第2混成団施設隊が駐屯していましたが現在は香我美町の高台に移転しました。混成団旅団改編と共に新編された第50普通科連隊の駐屯地で地元の待望の連隊駐屯という事もあり、新庁舎造成中には市民公園で連隊記念祭を実施した事でも知られます。

 大村航空基地開庁60周年記念行事、西日本九州の哨戒ヘリコプター部隊総元締めである第22航空群の航空基地です。大村基地も1923年開庁の大村海軍航空隊飛行場として知られ東洋一と謳われた第21海軍航空廠の飛行場ですが、第22航空群は大村第22航空隊と小松島第24航空隊に救難第72航空隊を隷下に置き、SH-60J/KやUH-60Jを運用しています。

 さて、撮影旅行の話題。ビジネスホテルで一泊、しかし夜遅い時間帯に入る事が多い当方は夜の時間帯を有効に使うには苦労してしまいます、何よりも不案内な街、初めての街となりますと散策するには少々勇気が要りますから、ね。そんな中、ちょっと足を延ばしてみたいのは人通りがなくなった商店街の雰囲気や近くの橋梁や構造物等大きな建物、ランドマークの夜景撮影です。

 一杯やりに散策するのもいいのですが、店を探しつつ、夜景を撮ってみますと、一過性の一晩という時間の使い捨てではなく写真として長く思い出に収める事も可能となるところ。一昔まで夜景撮影となれば、三脚を準備しレリーズにマグライトを定位置に収め、いざ、一発勝負という気合いが必要でしたが高ISO感度が自然に使える今日は気軽に撮影できる。

 勿論、晩酌や夕食を何処で頂くかという事を散策し、いいお店を見つけつつ撮影する、という目的の延長線上なのですが、折角遠くまで来たのですから探検する、という経験もいいでしょう。もっとも、迷子にならないようにランドマークとホテルの位置を覚え、危なくなったらタクシーを拾えるうちに拾う、という翌日の行事への体力的配慮も必要です。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭
・5月21日:霞ヶ浦駐屯地創設64周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/eadep/
・5月21日:静浜基地航空祭2017…http://www.mod.go.jp/asdf/shizuhama/shizuhama.html
・5月21日:第4施設団創設56周年記念大久保駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/4eb/4ebhp/index.html
・5月21日:防府北基地防府航空祭2017…http://www.mod.go.jp/asdf/hofukita/index.html
・5月21日:高知駐屯地創設51周年記念行事…http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/14b/butaisyoukai/kakubutai/4_50i/
・5月21日:第4師団創設63周年記念福岡駐屯地祭…http://www.mod.go.jp/gsdf/wae/4d/
・5月21日:大村航空基地開庁60周年記念行事…

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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巨大災害,次の有事への備え 12:南海トラフ地震、鉄道輸送力と災害時への事前整備

2017-05-18 22:18:23 | 防災・災害派遣
■国家規模災害という有事へ
 鉄道、という部分から災害輸送を考えてみましょう。東日本大震災では実際、貯油施設の被災により京浜地区から被災地へ日本海縦貫線を経由する燃料輸送救援列車が運行されるまで防災組織でさえも燃料確保に難渋しました。

 大規模災害対応輸送調整、という視点ですがその為には第三セクター鉄道や地方鉄道路線が震災発災時点で廃線になっていては利用する事が出来ません。このなかで、震災救援での貨物輸送と共に鉄道貨物輸送全般での課題について考えてみましょう、こういいますのも鉄道貨物輸送に対応できない路線では、震災時に輸送へ転用する事が出来ない為です。

 貨物列車ですが、編成重量は1300tを超えるものとなります、一両当たりの重量はそれほどではないのですが、この貨物列車の通行は路盤を大重量の車両が通行する事で著しく路盤に負担を与える事となります、震災輸送に伴う路線路盤復旧費用などは、震災復興予算から政府が捻出する方針を示すか、負担の無い枠内での輸送に留めるか、討議が必要です。

 具体的には保線費用について、貨物輸送などへ転用可能な路線、つまり標準軌の民鉄路線は除く、という意味ですが、民鉄の保線費用や修繕司祭購入について、震災対策費用、道路耐震工事に準じた水準で支援する、また、民鉄の橋梁耐震化工事や補修費用についても、その路線の迂回線としての評価も含め、費用で公的支援を受けられて然るべきもの。

 加えて貨物列車は電気機関車がけん引する場合、その大きな重量から大量の電力を必要とします、この為、変電所容量の限界を路線によっては越えてしまうほか、き電区間においてほかの列車を運用できなくなる可能性があります。これは路線によってはそれほどの輸送需要が無いという上限から変電所機能が整備される為ですので、致し方ありません。

 この部分、国土交通省等の機関がディーゼル機関車を保有するという選択肢はりますし、最大の貨物輸送量力をもつ日本貨物鉄道へ例えば、電気機関車ではなくディーゼル機関車購入へ補助金や免税措置を行う等、政治としての国家の危機管理能力整備に充てるのか、若しくは全国の鉄道施設変電所整備へ政府負担を行うのか、議論の余地があるでしょう。

 そこまで行う必要はあるのか、という声もあるかもしれませんが、例えば戦前、日本海軍は大型貨物船を有事の際に空母転用を前提として補助金を出した事例がありますし、近年はイスラエル軍等が戦車輸送車の必要性を第四次中東戦争において痛感した結果、戦車輸送車へ転用可能な民間トラックへ政府補助金が出ました、事例がない訳ではありません。

 もう一つ、保線や復旧にあたる鉄道各社の保線要員を統合運用できないか、ということ。大規模災害対応輸送調整を行う際に、統合して運用する事は出来ないか、という事です。戦時中の徴用を思い浮かべるとして平時からの法整備には慎重な議論は必要でしょうが、鉄道各社から協力企業の要員を含め統合運用できるならば復旧もそれだけ早くなります。

 鉄道復旧は、路盤の再整備からレールの再敷設と固定にバラストの安定化、その上で架線と信号設備や列車安全装置の復旧に着手します、後半部分はタブレット輸送など代替手段はありますが、前者は軌道確保という意味で鉄道の根幹部分です、そしてこの部分は各社においてほぼ方式が統一されていますので、要員同士の相互協力は可能な分野といえる。

 もちろん、被災地域での復旧には危険が伴いますし、被災地までの優先通行や宿泊地域や資材運搬と調達の確保等、こちらも公的支援の裏付けが必要ではありますが、この負担は財政難の我が国において確かにに大きいものの、震災復旧を早め犠牲者を局限化することこそが、国家の危機管理として必要な施策でありまして、検討の余地はあると考えます。

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【京都発幕間旅情】掛川城二之丸御殿,東海地震の相次ぐ震災と三度倒壊し三度再建の復興努力

2017-05-17 22:20:02 | 旅行記
■掛川城,二之丸御殿探訪
 掛川城、今回は二之丸御殿を探訪しつつ、この城郭を襲った巨大地震と過酷な震災を乗り越えた掛川の方々の熱意を紹介しましょう。

 掛川城二之丸御殿は重要文化財に指定されています。掛川城は東海道の要衝掛川にて、応仁の乱前夜の駿河国守護今川義忠が配下の朝比奈泰煕へ、来る戦乱と睨みあう斯波義廉へ向け造営し、その後の安土桃山時代に徳川と武田の駿河侵攻を前に威力を発揮しました。

 山内一豊は徳川家康と豊臣秀吉の和睦の後、1590年の天正関東移封により古くからの所領三河を関東一円へ徳川家康が移封されたのを契機に掛川城には豊臣秀吉の直臣を置き、京阪地区への再進出を抑止する必要から配置されています、そして天守閣を造営しました。

 内助の功、として山内一豊とその妻の千代の美談は司馬遼太郎が、功名が辻、として著し、ちと脚色が過ぎると子孫山内豊秋が当時論じたものの、元は尾張黒田城の落城で離散した山内家を再興し、掛川一国石高5万1000石、豊臣秀吉家臣として出世果たしたのは有名だ。

 天正元年1573年近江国唐国400石を皮切りに、播磨三木合戦や高松城水攻め経て播磨国有年700石、賤ヶ岳の戦い経て近江国長浜城主5000石、若狭国高浜城主19870石、小田原征伐経て天正18年に遠江国掛川城主として5万1000石、天正年間出世街道をひた走り。

 掛川城は残念ながら天守閣が相次ぐ東海地震により倒壊し、三度倒壊し三度再建されました。現存するのは1994年の復原天守閣ですが、三層四階入母屋造と唐破風出窓や慶長時代花頭窓様式との絵巻物での様式が見て摂れ、現存天守閣高知城を参考として再建されます。

 第二次世界大戦の戦災を免れた事で城郭の遺構は、二の丸御殿や城内移築太鼓櫓と城内移築大手門番所に石垣と土塁と堀が一部現存しています。城内移築とは相次ぐ東海地震と共に城郭の一部を移築し復興費用を抑え威容を維持したもので、城郭史は地震史と重なる。

 関ヶ原の戦いにて、山内一豊はその前哨戦に当たる岐阜城主の織田秀信を笠松米野の戦いで破り、西軍要衝大阪への接近経路を脅かす事で関ヶ原地峡での決戦を強要するのに貢献、関ヶ原地峡では毛利長宗我部軍を強く牽制、損害を局限しつつ東軍勝利へ勲功認められた。

 土佐国一国9万8,000石を与えられた山内一豊は、高直しにより20万2,600石もの加増を経て掛川から土佐に移封となり、高知城を造営しています。前述の掛川城天守閣再建ですが、現存中に天守閣の一つ高知城は山内一豊の造営である故に再建への参考となりました。

 天正年間出世街道としました山内一豊の半生ですが、天正時代に発生した日本史上最大の国家型地震天正地震により山内一豊居城長浜城が全壊し一人娘与祢が圧死し家老乾和信夫妻も死亡、高知城と掛川城は耐震構造を採用しました。豊臣秀吉の大阪城も耐震構造です。

 高知城はマグニチュード8.6の宝永南海地震とマグニチュード8.4の安政南海地震とマグニチュード8.0の昭和南海地震、三度の南海地震に耐えています。ただ、掛川城は1605年の 慶長地震で倒壊し再建、1707年宝永地震に耐えるも1854年の安政東海地震で崩壊します。

 江戸時代、掛川藩掛川城は松平定勝に安藤直次と松平定綱や朝倉宣正、本多忠勝の孫本多忠義と井伊直好に小笠原長庸、転々と転封や改易に断絶が相次ぎますが1746年に上野国館林藩太田資俊が入ると漸く安定し、藩政に専念、明治維新まで存続することとなりました。

 美しい再建天守閣を見上げますと、この大地の下に巨大な地殻の歪曲した波動が弾性限界破綻による巨大地震へと刻一刻と息を殺している地象の事象を忘れがちですが、大自然の猛威と脅威の奇襲に畏れと、重ねて復興成った人々の努力も忘れないようしたいですね。

北大路機関:はるな くらま
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