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【日曜特集】祇園祭宵山二〇一七,京の夏暦と黄昏彩る疾病祓いの伝統行事は喧騒活気に沸く

2017-07-16 17:50:01 | 写真
■宵の口の灯を歩む祇園祭宵山
 祇園祭宵山、前祭の宵山が間もなくはじまります。今年や前祭の山鉾巡行が祭日とあり、宵宵宵山と宵宵山の熱気は想像できるでしょう、そこで本日はこれまでの写真から宵山散策のご案内などについて。

 祇園祭、平安時代からの疾病予防の伝統行事として今に至り、京都三大祭として全国に知られる中、特に日本三大祭りとしても数えられるという。京都三大祭と云えば、葵祭に祇園祭と時代祭ですが、祇園祭は実に一か月間続く行事としてその規模が違うところです。

 知人友人新人他人、京都の周りからいろいろな人を案内しましたが、成程、山鉾は一つ一つは美術館として謂れがありますし、展示されているもの、町内毎の保存会の紹介など、視てゆきますともう非常に時間がかかります、そこで今回は幾つか見て回る視点を、と。

 京都では祇園祭は祇園囃子が夏の知らせを、というものでして山鉾巡行や宵山の喧騒は流石に足を運ぶものではない、と一段高い位置から言いたくなる一方、KBS京都放送が中継をしましたり、やはりお祭り、一枚噛んでおきたいという認識はこれまたあるようです。

 さて、一か月間の祇園祭なのですが、やはり主題となりますのは宵山と山鉾巡行にありまして、特に宵山は宵宵宵山と宵宵山に宵山と三日間続きますので、足を運びやすい、更に祇園祭は山鉾巡行が前祭と後祭に分かれ出会う機会が多くなったのが記憶に新しいところ。

 この中で、しかし、昔のように何日も四条界隈を散策する時間を捻出できず、全て灯が落とされた山鉾を深夜に散策しつつ、こんなものか、と思いをはせるのは昨今の四条、もとい私情なのですが、丸一日費やせる時間を創ったとして、やはり一日では回りきれません。

 通りごとに、山鉾を区切ってみてゆき、全部を五年ほどかけて回るのはどうか。当方が提示したいのは四条通沿いから遮二無二廻ってゆくのではなく、碁盤目状に広がる四条と御池の界隈を、本年はこの通り、来年はあの通り、と分けて何年かまわってゆくというもの。

 御承知の通り千年の都、今上陛下が御退位成れば上皇へ登られ京都御所へ戻られる日も遠くないと考える千年の都、ですので、この京都の三大祭、疾病予防の祈念行事は十年二十年では変化なく、千年の都続く限り散策する事が出来る事は確かですのでゆっくり回れる。

 山鉾は、タペストリーがそのまま御伽草子の世界を、この世の歴史を、社会観を、それぞれ描いているもので、勿論全部違います。全国に山車を用いる行事は多々あるのですが、聞けばそのまま車庫に山車を治めている行事が多く、しかし祇園祭はそうではありません。

 毎年、山鉾巡行に向けて鉾建行事としまして一つ一つの部材をくみ上げて壮大な祭事に向かうものですので、組み立てに際して、その行程や進捗と共に展示される内容が変わってゆくところです。それ故、タペストリー部分は組み上げられる前に展示されるということ。

 保存会が維持存続してゆきますが、どうしても区画整理や戦乱、応仁の乱の被害が大きかったようですが、これにより最盛期60近い山鉾が並んでいましたものの、今日存続しているのは半分強に過ぎません、これが維持できる山鉾の規模などを左右してしまうわけです。

 しかし、これも歴史の必然、というものでして。逆に今に残る風情を感じる事もまたその時代を生きてゆく故の、というものでしょうか。しかし、保存会が頑張る町内では展示の維持に関わる熱意と心意気も、そのまま開放される施設や展示方法へ影響してくるもの。

 一日で一挙に廻る事は勿論不可能ではないのですけれども、それは一回程度にとどめ、時間を掛けて一つ一つ時間の過ぎるままに廻ってゆく事、祇園祭を一つ愉しむ風情なのではないか、そう考えます次第です。最近人出が多くなり、走って回るのは野暮ですし、ね。

北大路機関:はるな くらま
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