KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

忘れる、ということ

2022年02月28日 | 俳句
天気 晴
やっと用足しのお出かけが出来たので、ついでにストックと菜の花を少し買って供花に加えた。春ですよ、春。風が少しあったものの冷たくはなくて、日なたは暖かくて、指のレイノー現象もあまり出ない。やっぱり春だ。春めいた日差しを背に受けて。


残念ながら昨日に続いて目まいは酷いものの、薬の副作用と思えば我慢出来て歩ける。今回の点滴の副作用は、なぜかこの目まいと口内炎。前回は点滴の日からお腹の調子がおかしくなって辛かったのだが・・なぜ、同じ薬なのに副作用の出方が違うのか、??だ。
次回、主治医に訊いてみよう。

昼頃、近所の友人(私よりずっと若い)からLINEがあって、府中の梅林に行っているという写真色々。この暖かさ、きっと気分の良いお散歩日和なのだろう。タクシーで行けば、私でも楽しめそう・・でも、不要不急の施設の外出禁止令は続いております。
写真で楽しませてもらった。大木もあるのが、この梅林の特徴だ。


 話は現実に戻り・・
ここの入所者の中でも辛うじて歩き廻れる重度認知症の男性が、数日前から姿を見せない。階は違うものの、ちょっと介護士の眼が彼から離れると勝手に行動し、エレベーターに乗ってしまう人。他人にかまっていられない人が多いから、結局、4階へ迷い込むと足も頭(?)も正常な私がエレベーターに乗せて彼の階まで送ることになる。何しろ、部屋へは入らないものの、自分の部屋を探して人の部屋でも開けてしまう。私は鍵をかけて食堂へ行くが、そうでない人も居る。
でも、今のコロナの状況では、マスクをしない人とエレベーターに乗るのも避けているのに・・困っていた。無論、マスクなんて渡したって意味の解らない人だ。
彼が、入院したのだという。どうも夜間の徘徊がひどくて、介護士さんが付きっ切りとはいかないから、手を焼いたらしい。おまけにちょっと気に入らないと暴力的になる。まだ70代、ニコニコしていると愛嬌があるが、夜中に一人で対応するのは男性でも怖いだろう。仕方ないから、薬で何とか正常を保てるように抗精神薬の調整のための入院だとか。
家族が居るのだろうが、とても家では看護出来る症状ではない。
ここに居ると、そういう認知症の人が多くて、家族が入所させるのもよく解る。見たところは異常があるとは思えなくても、24時間一緒に居たらたまったものではない・・と思ってしまう人が多い。
午後2時ごろラウンジで日向ぼっこしていると、エレベーターの前をウロウロするFさん。うっかり私と目が合ってしまい、
「あの・・もう食堂へ行く時間でしょうか」と。
「まだ2時間以上も早いですよ、時間が来れば部屋へ迎えに来てくれますよ」
「ここで待っていてもいいでしょうか」
勝手にしなさい。疲れるので、最近は適当にお相手しておく。ちょうど介護士さんが通りかかったので「Fさん、もう食堂へ行きたいみたいよ」と渡してしまった。足腰は丈夫だし、どう見ても認知症とは思えない風情の人。
時間の感覚が全くない。昼食なのか、夕食なのか、本人は食べていても解っていない。もし家庭だったら・・家族はどうする?
このFさんは重度ではないと思う。重度ではなくても、手のかかることは確かだ。何しろ、自分のしたことの殆どを1時間足らずで忘れてしまうのだから。

菜の花や遊び疲れて香に噎(む)せて   KUMI
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戦争の音

2022年02月27日 | 俳句
天気 晴

昼間は気温が18℃くらいになったという。北側の窓を開けても冷たい風は入って来なかった。確かに歩く人たちはかなりの軽装に見えた。
でも点滴の副作用が重なり、いつもの目まいが倍増した感じ。ちょっとした必需品の買い物があってドラッグストアまで行きたかった。暖かい、と外で感じたことが、今冬には一度もなかった気がする。・・と思いつつ、空を見ているだけで終わった。平和な空。

昨夜、洗面所に居たら付けてあったTVから空襲警報の音が響いた。
反射的にドキッとした。あの音は心臓に良くない。空襲警報の音って、昔も今も国が変わっても同じなのだ。地下に避難していた、あの頃の私と同じような年齢の女の子が「死にたくない・・」と話すのにびっくりした。私は、どこまで怖かったのだろう?防空壕の中でも良く眠っていたらしい。でも、B29の爆音では目が覚めていた、音を覚えているのだから。

今考えると、あんな田舎の海辺の集落でさえ、警報が鳴ると灯火管制で電灯を布にくるんでいたけれど、家がパラパラしかない場所だったのに必要だったのかしらん?

プーチンという人の恐ろしさはとても解り易くて、この戦争はプーチンという69歳の老人のわがままでしかない、とだんだん思えてきた。
昔が忘れられぬ。ソ連時代の自分の若さが忘れられぬ。スターリンが懐かしい。昔へ帰るための手段として戦争を始めてみたのではないか。だから、周りの反対が強くなったら、やっぱり無理だったか、と足を止めるのではないだろうか。戻ることはなくても、進めなくなるのでは? 今のロシア人は、洗脳されたソ連時代とは違う筈。と、私は楽観したい。

春寒し空襲警報テレビより  KUMI

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免疫療法 

2022年02月26日 | 俳句
天気 晴

写真は昨日の、病院のバス停から。
昨日は4回目の免疫療法の点滴の日。1時半ごろまでに血液・レントゲンの検査を済ませて、それから化学療法室・・いわゆる抗がん剤・・専用の部屋で点滴。終わると4時ごろになる。昨日はもう少し早く終わった。
病院を楽しみにしている訳ではないが、ホームで昼食を食べてから出ると時間的に忙しいので、病院でとることにしている。それが楽しみ。病院には大きなカフェとレストランがあるし、売店ならぬコンビニの前には食事出来るテーブルもある。ホームに毎日、閉じ込められて代り映えのしない「老人食」なので、外食ほど楽しみなことはない。しかも病院だから、感染対策は十分の店だ。
そうそう、検査のレントゲンの結果は今年になってから変らない。治癒が目的の治療ではないので、変らないということが最良の結果、ということになる。


さて、免疫療法については病院で充分に説明は受けているが、きっちりと理解している訳ではない。ブログに、少しでも情報を書けば、同じ患者の方の参考になるのでは・・と点滴中に考えた。帰ってから夜、使っている薬の名前をネット検索して、製薬会社の情報を読んでみた。無論、薬のパンフレットは病院で貰ってはいるけれど・・
何年か前までは、この免疫療法は健康保険外で、治療は自由診療何百万円の世界だったことは、私も知っていた。16年前乳がんになった時、二回の抗がん剤を使ったが、一回目は一般的なもので副作用に苦しんだ。それが済んでも再発の可能性アリ、という細胞だったので翌年、免疫療法に近い薬が承認されて、何百万の世界が何十万になったので、その点滴に1年近く通院した。結果は、完治。でも今、転移ではないが他の臓器に出来たのだから、がん体質までは完治できないようだ。

という経過があり、まだ承認されて3年目(多分、そのくらいらしい)の今の薬、その時の薬に似たもの、とドクターの話。
まだまだ副作用もかなり多くて精査中らしい。その治験の副作用の判断に、「カニクイザルに投与したところ・・」という一行があって、あらま、サルで問題なかったから人間に? 苦笑。
免疫療法は、治療しても治癒に至らなかったり再発したり、私のようにステージが低くても手術の出来ない(他の臓器に多大の害を及ぼす)患者の最後の手段。私の理解した医学的な見地は、あまり正確ではないので、本気で読んだ方はご注意を。何しろ、薬品会社の新薬の承認申請したときの文書解説みたいなのを読んでしまったので、半分以上は理解出来なかった。
ただ、治療出来る病院にはそれなりの基準があり、がん治療をしているからと、どこの病院でも・・とはいかないようだ。ドクターの経験とか、病院のがん治療の体制とか・・難しいことが書いてあった。
実は、薬の名前をここに書こうと思ったが、やめた。誰でもいつでも何処でも受けられる訳ではないし、私があまりにも面倒な合併症を持っているので、「免疫療法の副作用と効果はシカジカ」などと書くのもおこがましい。人よりも副作用があって当然なのだし、副作用が強ければ、即座に中止することになる薬なので。それだけ、まだ課題のある薬なのだろう。無論、副作用というのは人により全く違うので・・ここは、抗がん剤経験者の私が言うのだから信用してください・・あの人は軽かった、この人は死にそうになった、なんて、どちらも正しいから参考にはならないけれど。
今のところ、辛いのは下痢と口内炎。食いしん坊にとってはとても困るものの、がんの悪化を防ぐためなら、我慢出来る範囲だ。
ひとまず、次回も続けることにした。

ごめんねと針を刺す医師あたたかし  KUMI
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戦争が始まった

2022年02月24日 | 俳句
天気 晴
変らないのは富士山だけ。以前の家からの、日暮れのあとのシルエット富士。
10年以上前の写真。ここからも同じように富士山は見えるものの、邪魔なものが多いのと、ラウンジの照明を消さないと夜の風景は撮れないので無理だ。

プーチンのすることは早い。ニュースの解説では、高揚した国民の支持率の高いうちに戦争を始めてしまおう、という策のようだ。戦争ってこうやって始めるものなのか、と解りやすい。恐ろしい人物だ。第二次大戦の終戦締結後、日本へ侵略して北方領土を不法に「略奪」した某国のスターリンとどこが違う? 同じでしょ。
これに関してどうこう言えるほどの力は私にはないけれど、見たくない画面を見せられるのは本当に心臓に良くない。空襲警報の音って、今も昔も同じなのだ。もう戦争はゴメンです、と言ったって、普通に暮らしていれば映像も文字も「ウクライナ」を避ける訳にはいかない。いずれ、戦争に日本が巻き込まれる日が来るかもしれない。それまで私は生きていないと信じよう。

コロナは収まらず、戦争のとばっちりを受けるかもしれない社会情勢は落ち着かず、どうなることやら・・私に影響するとすれば、エネルギーその他の値上がりで、ここの費用が値上げになるかも。今ですら、もう少し値上げしてくれて食事の内容をよくして欲しい、と思っているくらいなので、私は値上げ賛成。無論、困る人も居るだろうから周りの人に言う訳にはいかない。
なぜ値上げ賛成かというと・・
今朝の味噌汁には、何も入っていなかった。隣の人に言ったら、彼女にはキャベツと揚げが少し入っていた。一日50円値上げしてでも、味噌汁にもっと具を入れて~~ ほんとに異常なほど味噌汁の具が少ない日ばかりだ。おまけに、豆腐の味噌汁は殆ど作ってくれない。  
戦争と味噌汁、で今日はお終い。

遠き日の機音爆音春寒し  KUMI

(ふと思う。ミサイルが飛んでいる時は無音なのだろうか)
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河津桜の思い出・などなど

2022年02月23日 | 俳句
天気 晴

毎日、過去の写真に頼ってのブログでは意味もないが・・
2015年2月22日に行っていることに気付いた。この年が、何しろ楽しいことの色々あった最後の年になったので、写真を眺めるだけで感無量になる。
一度行きたかった桜並木、過去のことを詳しく書いても仕方ないので省略。




日曜日(だった?)にこちらから直通の特急「踊り子号」が一往復だけしていた。車では日帰りは無理なので、それを利用してみた。朝早くて、眠かったのをよく覚えている。見ごろに少し早かったが、川沿いの土手は大変な人出・・びっくりした。上野公園の見ごろの日曜日みたいだった。人混み苦手の夫婦は、強い「春北風・・ならい」にも閉口し、結局、桜並木の外れの日帰り温泉でのんびり・・なぜか、温泉はとても空いていた。
なので、あまり写真は残していない。

さて、私の最近は・・レイノー現象がだんだんひどくなった。膠原病の強皮症によるもの。冷たい空気に触れると、あっという間に指の色が変わる。そのあと、秒速で痺れて痛くなる。ことばでの説明には限度があるので、見苦しいけれど写真を。放置しているとすぐに隣の指まで拡がる。


写真は左手の中指。右手によく現れたのが、最近は左手にも移ってきた。強皮症になる人は間質性肺炎にも罹る。が、それは今のところ進行していない。ドクターの話ではレイノー現象がひどくなっても間質性肺炎には連動していない、とか。でもねえ・・色が変ると人前には出せる手ではなくなるから、室内でも始終ホカロンで温めねばならない。ほっておくと箸も茶碗も持てないくらいに痺れて痛くなる。
手袋をしたら?とお友達の助言。でも手袋をしていれば少しは防げるものの、寒い所や冷気に当たると痺れるのは同じだ。
春になったら少しは楽になるのかしらん? ま、点滴の副作用に比較すれば、苦痛ではないので我慢、我慢。

最近、明け方によく夢を見る。寒くて熟睡から覚めるせいだろう。良く覚えていないが、知っている人たちがいっぱい出てくる。時々、親らしき人も出てくるが、はっきりとは見えない。
夢で母親と話したことはないので、一度話がしたい・・と思った。でもこれは危険、と気づいた。母に出逢う夢は、母が迎えに来たのかもしれないのだ。昔、お腹の手術をした時、麻酔のせいでとっても綺麗な花園の夢を見た。極楽浄土とはこれか・・と思った。その向こうで母が(とうに亡くなっていた)手招きをしていた。近づこうとしたら消えてしまった。
夢でも(夢だからこそ)亡くなった人についていってはいけないのだそう。

そうそう、河津桜。あの濃いピンクの桜の咲き満ちた土手の風景は、まさに極楽への道のようだ。人があんなに居なければ・・の話。

見えて居て遠き母なり春の夢  KUMI
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