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東海道五十三次 街道をゆく 藤沢宿~平塚宿 (1)藤沢宿~弁慶塚

2015年10月19日 01時00分00秒 | イベント・外出
 前回に引き続き、阪急交通社が企画する「東海道五十三次 街道をゆく」の第6回目の藤沢宿~平塚宿(1)藤沢宿~弁慶塚編について紹介したいと思います。

 今回のJR藤沢駅での集合時間は9:40で、今回もみんなで体操をして出発します。

 藤沢宿は1601年に東海道の宿場となり、東海道五十三次の6番目の宿場です。
1843年の記録では、宿場の人数は4089人、屋敷919軒で、大山道や江ノ島道が分かれる観光地としてのにぎわいに加え、周辺農村からの物資の集積地として繁盛したようです。
当時の藤沢宿の浮世絵でも繁盛している様が伺えます^_^)


↑藤沢宿の浮世絵

それから、地元ガイドによる遊行寺の説明がありました。
遊行寺は鎌倉時代の末期の1325年に門前町としてできたようです。
鎌倉時代の終わりが1333年なので、そのたった8年前ですね。
その後、北条早雲が1513年に三浦道寸との戦いで遊行寺は焼けてしまったようです。
そして94年間そのままだったのですが、1591年に徳川家康から寄進されて遊行寺は復活したようです。


↑遊行寺橋等の説明

それから歩いていると、江戸時代から続くという紙屋がありました。
桔梗屋とのことです。
建物は当時の独特の格子ですね。
いかにも古そうな建物で、風情があります^_^)
ただ建物は明治時代のものとのことです。


↑紙屋

それから蒔田(まいた)本陣跡がありました。
毎度のことですが、大名等が泊まった宿です。
当時はこの辺りが藤沢宿の中心だったようです。


↑蒔田本陣跡

そして常光寺へ行きます。


↑常光寺

山門の左脇には藤沢警察署発祥の地の石碑があり、本堂左手には国際的詩人の野口米次郎の記念墓碑がありました。

そして、高さ25mもある樹齢300~400年のカヤの巨木は立派ですばらしかったですね。
かなり高い!
ちなみにカヤの木は将棋や囲碁の盤に使われるようです。
カヤの木の油を使って拭くと、将棋盤などにツヤが出るようです。


↑カヤの木

そして、裏山には弁慶塚がありました。
弁慶塚は、源義経を祀る白旗神社を向いているとは泣かせます。


↑弁慶塚

それにしても、この境内の森林は素晴らしく、さすが藤沢市指定の天然記念物です。


↑境内の森林

次は、(2)源義経首洗い井戸~弁当です。


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コメント (1)
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