ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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教育の広場、第45号、「大学の授業を考える会」

2006年02月15日 | 教育関係
教育の広場、第45号、「大学の授業を考える会」

  (2001年07月17日発行)       

 一昨年(1999年)、プレジデント社から『授業が変われば大学が
変わる』という本が出ました。それをきっかけにしてその本の編集
者を中心にして学生が集まり、「大学の授業を考える会」が結成さ
れたようです。その会は何回かシンポジウムみたいなものを開いた
ようです。その会は昨年(2000年)3月、ホームページも開きまし
た。私も何回か投書しました。

 最近、そのホームページが閉じられたようです。聞くところによ
ると、会そのものは続いているが、ホームページは閉じていずれ又
再開する予定だそうです。

 私の印象では、この会の活動は時と共に下火になり、消滅したよ
うに感じています。なぜ尻上がりに盛り上がらなかったのか、その
原因を考えてみたいと思います。

 1、この会は、すべての大学が「学生による授業評価」を「制度
」として導入し、しかもその評価結果を公表することを求めている
ようですが、不徹底だと思います。

 そのホームページの冒頭に、早稲田大学の総長のコメントが写真
入りで載っていますが、その総長はこう述べています。

 「学生による授業評価制度を早稲田大学も導入したいと私は考え
ている。学生の為の早稲田を実現するためには必要な制度だと思っ
ている。あとは早稲田大学教師の『決意』にかかっている。」

 教師の「決意」などに任せておいたのでは、いつまでたってもそ
れは実行されないからこそ、それを「制度」として大学が導入する
ことを求めていたのだと思います。つまり、この早稲田の総長の話
は会の考えとは全然違うのです。それなのに、それを指摘しないで
、写真入りでそれを大々的に掲載するという、こういう態度が不徹
底だと思います。こういう、大学に「お願い」したり、教師の「決
意」を待つような運動では成果が上がらないのは当然だと思いま
す。

 2、私は第1回の投書で、学生による授業評価は学生の権利なの
だから、各大学で学生が自主的にそういう目的をもったサークルを
作って自分たちで始めてしまうように、と忠告しました。実際には
、学生による自主的な活動は少しずつあちこちの大学で行われてい
るようで、それの報告もありましたが、会がそれを組織的に応援す
るということはなかったようです。この会は、学生による授業評価
を自分たちの権利として捉え、自主的に実行する姿勢が弱かったと
思います。

 3、この会の掲示板には「教員個人に対する誹謗・中傷は断る」
と書いてありました。私はこれも問題にしました。それはその通り
なのですが、こういう書き方では個々の教員に対する評価を書き込
むのを妨げてしまうと思います。現に、そういう書き込みは一つも
ありませんでした。

 教員の授業は公生活なのです。あれこれと論じるのは言論の自由
です。むしろ、会としては、学生が個々の教員の授業について事実
に基づいていろいろと意見を言うのを奨励するべきだったと思いま
す。その表現などが行き過ぎたら削除すればいいことだと思いま
す。

 私としては、
(1) 否定的な批評は発表前に本人に問い合わせて、本人が反論した
いとか答えない場合だけ発表する、
(2) 本人が非を認めて改善すると言った場合には発表しない、
といった基準を明確にして、個々の教員への評価を奨励し発表す
るべきだと思います。

 4、この会の掲示板には沢山の意見が載りましたが、かなり何人
もの人に共通した大きな間違いが2つあると思います。一つは、大
学の教員は研究中心主義だから、教育には不熱心だという考えです
。これは完全に間違いです。研究に熱心な先生はたいてい教育にも
熱心です。大学教員の多くはアルバイト中心主義のために研究も教
育も不熱心である、というのが実情です。

 もう一つの偏見は、教師も悪いけれど学生も悪いという考えです
。これに対しては、私は、「教師と学生の責任の割合」という観点
を提出し、それは8対2である。しかもサーブ権は教師にある、と
主張しました。

 この会がこれらの点を検討して前進してくれるように願っていま
す。