ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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教育の広場、第46号、入試を考える

2006年02月14日 | 教育関係
教育の広場、第46号、入試を考える

(2001年07月25日発行)

 (2001年)07月14日付けの朝日新聞朝刊の「私の視点」で、フリ
ーランス物理学者の井口和基氏が、大学の入学選抜における「一発
ペーパー入試」を批判しています。その理由は一発ペーパー入試で
は「一定時間に一定レベルの答えを返す能力、つまり官僚的適性」
しか測れないからというものです。

 それに対する氏の代案は、「大学は一発試験をやめ、授業料を支
払える人には入学を認める。ただし、単位取得を厳しくし、必要単
位数を取得しない限り卒業させない」というものです。

 つまり事実上の無試験入学であり、誰でも受け入れて、結果責任
を取らせるということです。

 原理的には賛成なのですが、少し異論もあります。

 まず第1に、大学(一般に学校)側には教師の数に限りがあり、
教室その他の物的な面でも限りがありますから、「誰でも受け入れ
る」というのは現実的でないと思います。

 やはり定員は必要だと思います。私は大学の授業は1クラス20人
のゼミ形式のものだけにするべきだと思っていますが、そうすると
一層、受け入れ能力に限度が出来ます。

 すると、定員以上の志願者がきた場合どうしても何らかの形で選
抜をしなければならなくなります。私はこの選抜方法として「抽選
だけ」という案を出しています。先に配信しました本メルマガ第42
号の「静岡を世界一の教育県に」にもそう書きました。しかし、こ
の抽選という案には反対意見が多かったようです。

 今回はこの反対意見を検討してみたいと思います。2人の学生の
意見を紹介します。

 ・・結果責任を取らせるのはいいのですが、それが今の制度との
ギャップを埋めることにはならないと思います。抽選だと、それこ
そいろいろな人が集まってくるでしょうし、学力のレベルもバラバ
ラでしょう。それらの生徒に一律の授業をしろと言われても、それ
は無理な話です。牧野先生は別のメルマガで、授業のレベルは学力
のある生徒に合わせるのが良い、と書いておられましたが、それだ
と多くの生徒はその授業を分からないと感じ、その先生を不親切だ
と感じるでしょう。その上、落第や退学を厳正に行うとなると、落
第者や退学者が大量に出て、正常な授業に支障をきたしかねません
。残念ながらこれが現実だと思います。(A)

 これについては私は次のように考えます。

 学校は教育というサービス業を営む1つのお店だと思います。現
在は国営と公営と私営の区別がありますが、それはこの本質とは無
関係だと思います。

 そうだとすると、店というものは原理的にそうであるように、自
分のポリシーをもって経営するべきだと思うのです。もちろんお客
さんの要望や意見を聞くことは大切ですが、それをどう受け止める
かは店の側の自由だと思います。もちろん客の側にも選択の自由が
あるわけで、両者の相互作用で好い店が流行っていけばいいのだと
思います。

 私は、各大学がきちんと情報を公開し、「本学はこういう考えで
、こういう教育をします」と発表するべきだと思います。そして、
その趣旨を理解し、自分に合っていると思った人が志望するのです
から、原則として大きな不都合は起きないと思います。欠員が生じ
た場合は補欠を、これまた抽選で取ればいいのだと思います。

 もちろんこうするためには授業料の問題が生じます。実はこれが
最大の問題なのだと思います。ドイツのように、いくつかの大学を
遍歴するためには授業料無料が前提なのです。

 もう一つ次のような意見もありました。

 ・・抽選とは一見公平のように思われますが、抽選ほど不公平な
ものはないと思います。頑張った者だけがいい大学にいき、いい就
職先を選べる。頑張れば報われる、何とも公平ではないでしょうか
。それに、入学試験があると、生徒はそれに向けて必死になって勉
強を頑張ります。それは、つまらない、くだらないなどと思っても
、それを我慢して熱心に頑張ってやりとげる、そんな力こそが今の
世の中に求められているものだと思います。入学試験という初めて
の大きな壁を乗り越えることは、人生にとって一つのよい経験にな
り、その経験は社会に出たときにとても役に立つものだと思います
。(B)

 この意見については次のように考えます。

 この意見は「いい大学」(と従って「悪い大学」)を当然の事と
して前提しています。私はこれが問題だと思うのです。しかも、日
本では、特に国立大学については、文部科学省の政策によって東大
を頂点とする序列が作られているのです。

 私の抽選案の最大の狙いはこの「人為的な序列」を崩すことなの
です。自由な競争によって出来た序列ならばいいと思います。若い
人々は知らないかもしれませんが、上智大学が今のように早稲田や
慶応と並ぶ地位を築いたのは上智大学の努力の結果なのであり、最
近の事なのです。

 しかし、国立大学ではこういう事が起きないのです。私の勤務す
る国立のS大学は20位くらいに位置していますが、どんなにがんば
っても東大には勝てないのです。文部科学省のエコひいき政策があ
るからです。これが不公平だと思うのです。

 しかも文部科学省は上位30大学くらいを優遇するとかいう政策を
発表しています。私はこの案に反対です。文部科学省はお節介をや
めてほしいと思います。一番いいのは国立大学の民営化だと思いま
すが、その前でも、各大学の規模に比例した予算を配り、結果を査
定して、褒美を出すというのがいいと思います。

 一発ペーパー入試による選抜は決して公平ではないと思います。
自分の大学の授業についてこれるかを見るのですから、実際に入れ
てみて判断するのが一番いいと思います。

 しかし、その時問題になることは、日本人は身内に甘いというこ
とです。一度入れるとなかなか退学させられず、悪い点を付けられ
ないということです。そのためには、資格試験を沢山作って、その
成績で会社などが判断するようになるといいと思います。私の関係
しているドイツ語について言いますと、独検3級に合格した人だけ
をドイツ語を履修した者とみなすという事です。

 私は高校入試でも抽選だけがいいと思います。しかし、この場合
でも、退学させるのが難しいという日本の風土が邪魔をします。途
中で他の高校に変われるような制度を作る必要もあります。

 こう考えてくると抽選化への道も多難ではあります。しかし、人
為的な序列化は何とかして壊したいと思います。

 言い忘れましたが、今の入試だと入試にない科目が軽視されると
いう不都合があると思います。これが中学の教育を歪めている面も
あると思います。この点では大学の入試科目が少ないために高校の
教育を歪めているのと同じだと思います。

 これを機会に入学選抜のあり方を冷静に幅広く考えてみません
か。