私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

障害者殺傷事件

2016-08-03 22:52:51 | 日記
相模原の障害者施設での事件について、桜井元さんからコメントを頂きました。
その場所が4月9日の記事『治さなくてもよい認知症』ですので、皆さんに読んで頂きやすいように、以下に再録させて頂きます:

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命の価値の平等 (桜井元)
2016-07-28 23:26:36
今回の障害者殺傷事件でまず頭に浮かんだのは「ナチス」でした。昨年、NHKでちょうどそれをテーマにした特集番組があったのです。

『それはホロコーストの“リハーサル”だった~障害者虐殺70年目の真実~』

http://www.nhk.or.jp/etv21c/archive/151107.html

http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/summary/2015-08/25.html

今日(7月28日)のニュースの中で、容疑者がヒトラーの思想の影響を受けたことを口にしていたと伝わり、やはりそうだったかという思いでした。

もう一つ想起したのは、石原慎太郎の過去の発言です。
1999年、府中療育センター(重度知的・身体障害者療育施設)を視察後の発言でした。

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/ishihara/data/19990918fuchuu.htm

「ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。ぼくは結論を出していない。みなさんどう思うかなと思って。絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状態になって…。しかし、こういうことやってやっているのは日本だけでしょうな。人から見たらすばらしいという人もいるし、おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う。そこは宗教観の違いだと思う。ああいう問題って安楽死につながるんじゃないかという気がする。/〔「安楽死」の意味を問われて〕そういうことにつなげて考える人もいるだろうということ。安楽死させろと言っているんじゃない。」

第1期目の都知事就任の年になされた発言ですが、問題は、このような人物を都民の最大多数が支持したこと、さらには、この発言があった後にも4期にもわたって都知事に選出し続けたことです。
石原は「日本会議」の役員(代表委員)ですが、今この日本会議は本当に無視できない影響力を振ってきています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BC%9A%E8%AD%B0

今回の事件の容疑者のツイッターに「beautiful Japan」と記されていたそうですが、安倍首相の「美しい国、日本」とだぶります。

http://www.sankei.com/affairs/news/160726/afr1607260028-n1.html

http://www.s-abe.or.jp/policy

安倍は「日本会議」国会議員懇談会の特別顧問です。
ちなみに、都知事選に出ている小池百合子は副会長です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E5%9B%BD%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E5%93%A1%E6%87%87%E8%AB%87%E4%BC%9A#.E5.BD.B9.E5.93.A1

さらに思い出したのは、曽野綾子の「高齢者は適当な時に死ぬ義務あり」という発言です。
障害者に対するものではありませんが、石原慎太郎と同じく非常に危険な思想です。

http://www.j-cast.com/2016/02/02257388.html?p=all

全文は下記で読むことができます。

http://mmtdayon.blog.fc2.com/blog-entry-1571.html?all

http://blog-imgs-88.fc2.com/m/m/t/mmtdayon/201602201131539ce.jpg

「トリアージ」はなにも、命に序列を付けることではなく、「すべての命は平等」という大前提に立ったうえで、緊急時に治療の優先順位を付けるものです。この大前提に従えば、「軽症の若者」よりも「重症の高齢者」を優先することになるはずです。曽野綾子はトリアージの論理を歪曲し、牽強付会の主張を展開しているだけでした。

東大医学部出身で国立がんセンター等に勤務し、一般向けの著書も複数出している医師・里見清一なども、「『能率的に死なせる社会』が必要になる-建て前としての“命の平等”は外すべき」などというタイトルのインタビュー記事で持論を展開していました。

http://toyokeizai.net/articles/-/59971

「僕が役人だったら、能率的に死なせる社会のことを考えますよ。だってそうしないと間に合わねえもん。ただ現場の医者として、それは怖い。この患者はここまで治療すればOKという明確な方針で進めてしまうと、僕はナチスになりかねない。」

それとなく批判されることへの予防線を張っていますが、「すべての命に価値がある」「命は平等」という大前提を崩している時点で、もうこの人物は危険な領域に足を踏み入れてしまっています。

いま国民の最大の関心事は「景気」と「社会保障」のようです。どの選挙でも、事前の世論調査ではそういう答えが多数を占めています。それでは、こうした国民の要望に対して、財界のトップや政界のトップは何を示しているのでしょうか。

経団連は、「社会保障制度改革のあり方に関する提言」を、安倍政権は「一億総活躍社会」を掲げています。

http://www.keidanren.or.jp/policy/2012/081.html

http://www.kantei.go.jp/jp/headline/ichiokusoukatsuyaku/

つまるところ、「自助・自立の強調」「公的な福祉制度は必要最小限に縮小」ということです。「介護予防、認知症予防、健康寿命を伸ばす」などと聞こえの良いことを言いながら、その狙いは、介護や病気に陥るのは自己責任という社会的空気を充満させ、公的ケアの領域を縮小する方向を進めるだけでしょう。「一億総活躍」というのも、高齢者・障害者を福祉の対象から外し、生産システムの歯車に組み入れ、低賃金労働力として「活用」していくだけでしょう。そして、「一定の収入」があるからという理由を付け、福祉供給の蛇口をますます絞り込んでいくのでしょう。

最近、NHKで「“介護殺人”当事者たちの告白」という番組がありました。

http://www.nhk.or.jp/d-navi/link/kaigosatsujin/

この深刻な現状を前に、財界・政府はなんと無情な方向に舵を切ろうとしていることでしょうか。

今回の悲惨な事件は、容疑者一人の異常性の問題ではないと思います。
石原慎太郎、安倍晋三、小池百合子、曽野綾子、里見清一、日本会議、経団連…
日本社会全体が狂ってきているのです。
容疑者にこのような思想(障害者はお荷物、生きている意味がない、殺すに限る)を形づくらせるような価値観・言論が社会に蔓延してしまっているのです。

ナチス・ドイツと手を組んだ戦前の日本は、基本的人権・民主主義とは縁遠い「帝国憲法」の体制のもとにありました。そして戦後、国民は「日本国憲法」という非常に内容の充実した憲法を手にすることができ、そのもとでなんとか福祉国家路線を進めることが可能となりました。

今、無視できない勢力が、「自虐史観・戦後レジームからの脱却」、「日本の伝統の重視」などと言って、過去を不当に美化する一方で、戦後改革をおとしめています。その総仕上げとして、彼らの悲願である「改憲」までもが具体的視野に入ってきています。

こうした時代の重く垂れこめた空気が、今回の容疑者のような歪んだ思想を形成してしまい、悲劇を生んでしまったことは間違いないでしょう。
いま私たちは、ナチズムを根底から拒否しなければならない、日本を覆う危険な空気を払いのけねばならない、そう強く思います。

私の母は現在、要介護3の認知症ですが、直近で受けた脳画像検査では、アルツハイマー型と別の型とが複合するタイプで、血流が悪い領域が以前よりさらに広がっていると診断されました。症状は年々進んでいます。現代の医学では治らない病気ですから、こればかりは仕方ありません。この病気とは付き合いながらやっていくだけです。

先日、夜中に母が起き出して私にこんな言葉を言いました。
「私がこんな馬鹿みたいになったから、いろいろ迷惑をかけてるよね。ごめんね」と。

母からこういう言葉を聞くのは初めてで、たいへんショックでしたが、私は「迷惑なんて少しも思っていない。本当だよ。お母さんは、いてくれるだけでいいんだ、ただそれだけで僕はうれしいんだ。お母さんに何ができるとか、できないとかは、関係ない。さっきの言葉みたいのを聞くと寂しくなるから、もうそんなことは言わないで」と静かに語りかけました。
私の言葉を聞くうちに、母の顔に少し笑顔が戻り、私はホッとしました。

認知症になっても母には、こうして自分の息子を思いやる優しい気持ちがあり、その屈託のない笑顔には私の方が日々いやされています。

今回の事件の報道で、この施設の元職員として勤めていらしたという年配の男性が、たいへん愛情のこもったコメントをされていたのが印象的でした。その方がお世話をしていた障害者の中に、スライスした木の幹の表面を一生懸命に磨く作業をする人がいたそうで、その頑張る姿に自分の方が学ばされたという趣旨のことを話されていました。犯人への怒り、悔しさ、入所者との日々の懐かしさ、入所者への愛情などが画面から伝わるコメントで、認知症の母をもつ私としてもたいへん深く共感するものでした。

障害、病気、高齢、認知症などがあっても、皆が笑顔で、社会への引け目を感じることなく、周囲の人々との関係性のなかで、それぞれの生を全うできる、そのような社会にしなければならないと切に思います。
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桜井元さんの結びの思いを私も共有します。以前、言及したことですが、キューバの老人ホームでは喫煙が許されていると知って、驚きもし、感心もしました。キューバでは障害者施設の状況がどうなっているか、ご存知の方があれば是非教えてくださるようお願いします。
 数年前のことですが、福岡の地下商店街の通路で、重い障害の少年を乗せた大型の車椅子を押している中年の男性に出会いました。おそらく少年の父親で、少年はスティーヴン・ホーキングと同じ病気(筋萎縮性側索硬化症)と私は見ました。しっかりした歩調で車椅子を押して進むその男性の面立ちの何とも言えぬ美しさに、私は思わず息を飲み、その父子を凝視して立ち尽くしてしまったのでした。いわゆるイケメンなどでは全くない、ただしっかりとした静かな面立ちだったのですが、その形容しがたい美しさは私の心に焼き付いて今もそのままで、老老介護の日々の私の心の眼の前にしばしば立ち現れます。重度の障害者の子供を持つ親としての日々の苦難は並大抵のものではありますまい。そして、その苦難の日々が父親にあの静謐なしかし力強い美しさを与えたに違いありません。

藤永茂 (2016年8月3日)