(「上」の続き)
……と中国の物価高について書いているうちにふと気付いたのが、
「そもそも『庶民』って一体誰?」
ということです。1人当たり平均で出されても、
●貧富の格差はすでに警戒水準、指導部は高度に重視すべし(新華網 2005/09/19/16:54)
http://news.xinhuanet.com/fortune/2005-09/19/content_3512402.htm
現在の中国国民を収入や消費で5段階に分けた場合、最貧困層である総人口の20%が収入や消費で全体に占める割合はわずか4.7%。逆に最も金持ちな20%の収入・消費シェアは全体の50%に及ぶ。
という超格差社会ですから、たぶん大雑把にいって60~70%くらいの人は物価高に音を上げているのではないかと思われます。所得格差などの目安として「ジニ係数」というものがあり、これが「0.40」を超えると格差社会としての警戒水域に入るのだそうですが、中国は2005年時点ですでに「0.45」を超えていると当局(発改委=国家発展改革委員会)が認めています。
一方で、新華社系の金融紙『上海証券報』が「十一五」(第11次五カ年計画、2006~2010年)期間中の「格差社会」問題について、
●数字による「十一五」展望(2005/10/12/07:40)
http://news.xinhuanet.com/stock/2005-10/12/content_3606994.htm
ジニ係数でわが国の収入格差をみてみると、1990年には「0.34」前後だったが、現在はすでに「0.45」に迫っており、総人口のうち最も貧しい 20%が収入あるいは消費において全体に占める割合はわずか4.7%。逆に最も豊かな20%が収入または消費に占める比率は50%にも達する。収入格差が過大になるのを抑制するのが「調和社会」を建設する上での重要な条件である。努力することによって、わが国は2010年のジニ係数を「0.45」という現在の水準で維持することが望めるだろう。
と、絶望的な予測を行っています。要するに良くても現状維持。頑張りに頑張れば「0.45」という警戒ラインをはるかに超える現在の格差を維持することができるということで、「格差縮小」といった改善は見込めないというものです。
●政府公認:貧富の格差改善は無理。(2005/10/13)
●ジニ係数――余談として。(2005/10/16)
中国ではすでに、
「最貧困層である総人口の20%が収入や消費で全体に占める割合はわずか4.7%。逆に最も金持ちな20%の収入・消費シェアは全体の50%に及ぶ」
という格差社会が現出してしまっています。徒競走をやるとしても、全体の5割以上のスタートラインは富裕層よりずっと後ろの方に引かれています。その不公平な設定下で用意ドン!となったとき、富裕層にものすごいハンディでも負わせない限り、格差はまず縮まりません。
現在の中国社会はそういう「ハンディ」がない状況での所得徒競走が行われており、各層がみな等しい所得増加率だと仮定しても、基数が違うだけに走れば走るほど格差は拡大することになります。仮に所得10の人と所得50の人が駈けっこをするとすれば、スタート時の差は40。そしてどちらも10%の所得増を実現してゴールすれば「11:55」で格差は40から44に開きます。
実際の統計でいうと、例えば今年1~9月の都市部住民の1人当たり可処分所得は1万346元で、物価上昇分を差し引いた実質増加率は13.2%。これに対し農村部の1人当たり現金収入は3321元で同14.8%増です。
可処分所得と現金収入なので正確な比較とはなりませんが、増加率は農村部の方が1.6ポイント高くなります。つまり都市部より農村部の方が伸び幅は大きいのですが、これを金額に直してみると都市部と農村部の格差は5594元から7025元へと逆に拡大していることになります。これも、基数が違うからです。
●「新華網」(2007/10/25/18:08)
http://news.xinhuanet.com/fortune/2007-10/25/content_6944095.htm
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こういう状況下で胡錦涛政権は富裕層への相応の「ハンディ」を用意せぬまま、国民が「財産性収入」を増やせるような環境づくりに努める、としています(「十七大」=中国共産党第17回党大会における胡錦涛の総書記報告)。つまり賃金などではなく、財テクなど資産運用による収入を拡大できるようにしていくということです。
財テクといえば株式市場など各種金融商品や不動産売買ということになりますが、現実には格差縮小に向けた富裕層への縛りがないまま「財産性収入」という言葉が一人歩きしています。この流れで進むと持てる者と持たざる者の格差はいよいよ開くことになるでしょう。
実際に不動産市場や株式市場が貧富の差を拡大させつつある、というレポートが最近公開されました。中国人民大学公共学院と発改委経済社会発展研究所が3年がかりで進めている収入格差改善に関する政策研究プロジェクトの中間報告のようなもので、決定版は2008年末に発表されるそうです。
この中間報告によると、不動産市場と株式市場が貧富の格差をどんどん広げている傾向にあり、過熱気味である今年の経済状況をも反映して(走れば走るほど「格差」)、
「ジニ係数は昨年の0.47から今年2007年は0.48へと達するだろう」
とのこと。2005年の「0.45」がとうとう「0.48」にまで至ってしまった訳で、「和諧社会建設」といった胡錦涛政権の目標とは裏腹に「不調和」がいよいよ深刻化しているのです。
「0.01ポイントの増加はわずかなようにみえるが、これは2003~2006年の3年間におけるジニ係数の上昇幅に相当する」
とこのレポートは指摘しており、格差拡大が加速していることに警鐘を鳴らしています。存在力が急速に高まりつつある不動産市場や株式市場に参加できる「持てる者」と、そうした「財産性収入」を増やす機会に参加できない「持たざる者」の差が開く一方だというのです。
もちろん「持てる者」の間でも運用できる資金力によって格差が生じます。特に未成熟な現在の株式市場においては、得られる関連情報量は資金力に比例することで、「持てる者」同士の格差拡大にも拍車がかかる、とこのレポートは指摘しています。
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「財産性収入」の機会という点においては、「持てる者」と「持たざる者」だけでなく、都市部と農村部でも格差が生じることになるでしょう。ちなみにこのレポートによると、2006年の都市部と農村部の収入格差拡大率は1.7%。「財産性収入」だけをみると11.3%にも達したとのこと。
貧富の差を改善するための政策研究プロジェクトなのですが、現状では格差が改善されることはまず無理、むしろいよいよ「格差社会」化していくだろう、ということです。
もっとも、株価が右肩上がり基調、といったような、「財産性収入」を増やす場が安定していることがこのレポートの大前提。そりゃそうですね。大暴落すれば資産運用どころの話ではなくなります。
そうなると事態は経済問題ではなく社会問題でしょう。利率を上回る物価高のため銀行預金を取り崩して株式市場などに注ぎ込んでいる都市部住民は手持ちが瞬時に消滅することとなり、社会不安の起爆剤となりかねません。
何せ「リスクは自己負担」という観念の欠落している連中がデイトレーダーなのです。平素から株価が大きく下げるごとに、大手ポータル掲示板の株式板では政府への呪詛や「国家政権顛覆煽動罪」になりかねない素敵な反革命スレッドが乱立しているのです。
5月末の暴落ではデモまで発生しています。要するにこの連中は、暴落すれば逆ギレは必定という可燃度の高い危険分子(笑)。ところがこの危険分子の列に毎日平均10~20万人が新規加入しているのですから空恐ろしい現実が進行している、というべきでしょうか。時限爆弾の炸薬量がどんどん増加しているようなもの。いやー笑っている場合ではありません。
●「新華網」(2007/11/15/13:24)
http://news.xinhuanet.com/fortune/2007-11/15/content_7079815.htm
●バブルがひとつはじけました。プーアル茶暴落。(2007/06/12)
●怖いのは暴落ではなく逆ギレ。(2007/11/10)
●温家宝、とりあえず農村視察で「庶民派」を再演出しておけ。(2007/11/25)
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株に限らず、経済そのものが高度成長を続ければ続けるほど貧富の格差が広がっていくのがいまの中国経済の構造。特権を有する党幹部や国有企業解体の過程でうまい汁を吸った私営企業主などが既得権益層としてそれぞれ分際相応のアドバンテージを持ちつつ、怪走する経済に乗って非富裕層をどんどん引き離していくのです。
「分際相応」と書きましたけど、都市と農村の間でも格差が広がりつつあることを思えば、都市部に生まれ都市戸籍を有していること自体すら小さいながらも既得権益。……という極端な物言いは別としても、こうした「経済が走れば走るほど『格差』」を構造改革によって改善していこうというのが胡錦涛政権の「科学的発展観」であり「和諧社会建設」です。
とはいえ既得権益層は面従腹背という形でそれに抵抗するでしょうし、全国各地・各行政レベルの地方当局という大小様々な「諸侯」たちも、大局(全国レベルでのバランス)に背を向けて地元優先を貫こう、という思惑もあれば必要に迫られた事情もあります。
「胡錦涛路線」の前途は多難といわざるを得ないでしょう。前述したように、
「格差改善?無理無理無理無理」
と専門筋が太鼓判を押しているくらいですから。
●胡錦涛報告は「控えめな宣戦布告」@十七大02(2007/10/15)
●胡錦涛、科学的発展観そして中国そのものについて@十七大04(2007/10/18)
これは日本人の最も言いたいひと言で、私はすべてあなた達の日本人のために言い出して、今あなた達は日本人が見ていてするのでしょう、私達は意見がない、中国を占領したいならば、北京で都を定めて、今中国が米国を上回っていないであなた達がすぐにつけますに乗って、ハッハッ...........
少し前にNHKでチナの直訴農民を扱った番組がありました。国旗を担いで何度目かの空しい直訴に出かけてゆく農民一家が「一層のこと国民党が支配する国になってくれたら・・・」というような発言。驚きました、あのNHKがそれをそのまま放送するとは・・・。「百匹の猿現象」というのがあります。こういう農民が一人、二人、三人・・・と増えていったら、ある日突然、臨界点を超えてしまって、誰かが「革命」と叫ぶようなことになるのでは。いや、チナもかつては孔子、孟子、老子とかいう少しはましな人間もいた国なのだから、誰か叫べよ、「革命」と、と言いたくなってきました。
> 株価が下落したときのネット上の関連掲示板をのぞくたびに感じるのですが、連中はリスクは自分持ちなどとはカケラすら思わずに「株価は下落してはいけないもの」と信じて疑わずにいるかのようです(だから暴落するたびに逆ギレ)。
この「株価」を「地価」に置き換えると、バブル期の日本と重なる面がありますね。結局これは一種の神話に過ぎず、「株価は下落する」ということを多くの人が理解した時、実際に大暴落が起きるのでしょう。逆説的ですが、中国人の無知が大暴落を先延ばししているとも言えそうです。
もっとも、日本の土地神話は、戦後復興に際して、外国資本の導入を最小限にし国内資本で賄うため、土地を担保に金融機関から融資を受けるという方式が拡大し過ぎたため生じたものですが、中国はどうでしょう。欧米の○○ファンドなどは、サブプライム問題でのババ(損失)を最終的に中国に引かせるために暗躍していると噂されている昨今、関連する日本企業等の対策は大丈夫か心配です。(もともと社会的・経済的基盤が出鱈目な中国について格差問題等を考えても目眩がするだけなので、最近はもう...orz)
http://blog.goo.ne.jp/gokenin168/e/38624f2b5ee78384217a2237fcb388dc
今、こうしたNHKのドキュメンタリー番組が中国国内で話題を呼んでいるそうなので、人民も「格差」に対する危機感は持っているようですね。
ただ、ひずみが大き過ぎてどこをどうやったら丸く収まるか、誰にも見当がつきません。
胡温政権に、何とかできる「力」が有ればいいのですが、いかんせん銀行員のような風貌の彼らにはカリスマ性が…orz
http://www.youtube.com/watch?v=COxdi1EGvhI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=CZFc9FTN1A4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=5IoRYSdcLtI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=fl7bihtU8XU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=ttgc_kGLeeQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=D-Q4rxfOYFY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=3BBxLtNR-3A&feature=related
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=1120&f=column_1120_002.shtml
私事になりますが、1981年、開放都市が50に満たない頃、中共政府のお墨付きをいただいた上で、リュック担いで1ヶ月、あちこち歩かせてもらったことがあります。よほど日本人が珍しかったんですね。合肥周辺、蘇洲郊外、上海のド田舎、無錫や太湖近郊、我々が道ばたで休んでいると、あっと言う間に回りは黒山の人だかり。中には食事中だったのでしょう。山盛りご飯に高菜炒めをぶっかけたお茶碗と箸を握ったまま、ぽかんと見ている近所の小姐までいて…。「はぁ、ホントはみんなこんなモン食ってんだ…」招待所じゃあ、毎日ごちそうのオンパレードでしたモンね。正直たまげました。
アレが今やもっと大変になっているんでしょうね。格差まで北朝鮮レベルに近づいているのは、他人事でもいたたまれない。蛇足ながら、駱駝祥子は発禁になってるんでしょうかね。それとも読んでも理解できないほど、愚民化が進んでいるのか…。
時間があったらヲチしてきてくださいね。(笑)
直前に石破大臣にインタビューして訳のわからないコメント求めたり、侍とウルトラマンを結びつけたりした(でも内容はまったく違う)タイトルで日本の軍人さんのイメージを紹介しようとしたり、新華の軍事ページは一応日本初公式訪問を伝えてますが、、、、
バブルを増長させるのは想定外だったのでは
ないでしょうか?
>「一層のこと国民党が支配する国になってくれたら・・・」というような発言
NHKはともかく、映像ですから口にした農民が特定されてしまうでしょう。これは公安というより国家安全部が管轄すべき問題発言です。逮捕されたりしていなければいいのですが。
私は香港で最初で最後の日系企業を辞めたあと、同じようにOBのローカルスタッフたちとときどき会って遊んだりしていました。1990年代前半のころです。まだ香港は英国の統治下にあったのですが、食事をしながら話題が香港返還に及んだとき、元受付の女の子が私に向かって、「中国共産党が来るくらいならまた日本軍に占領された方がいい」と真顔で言ったので「いやそれは……」と答に窮したことがあります。
ところで、以前エントリーで扱ったこともありますが、私は「革命→崩壊」よりも「割拠&末端からの立ち腐れ」の方にリアリティを感じています。時間はかかりますけど。……で、割拠ということであれば、あるいはう臨界点を超えているかも知れないと思うのです。「経済のマクロコントロールの強化」が本格的に叫ばれるようになって3年にもなりますが、当局発表の統計を鵜呑みにするとしても、中央による調整策が有効に機能しているようにはみえません。
この割拠という対立軸は「中央vs地方」だけではなく、「省当局vs県当局」のように地方の、例えば省単位の「天下」の中でも進行しています。鎮当局の豪華庁舎とか、農民を泣かせる市当局の開発政策とかはいずれも省当局の意向を反映したものではないでしょう。広東省汕尾市の「中国最強の武装農民戦闘集団」などは「官匪」の跋扈に武力で抵抗し、当局もうかつに手を出せないような状況に立ち至っている最も顕著な例です。
この面で「百匹の猿現象」が起きるころには、「団派」だ「太子党」だひいては「台湾統一」だなんていうのは中南海限定での言葉遊びに成り果てて、「諸侯討伐」をする実力も中央から失われ、中国国内の問題ながら国際社会が半ば腰を浮かして構えるような、のっぴきならない状況になっているかも知れないと思います。
>「株価」を「地価」に置き換えると、バブル期の日本と重なる面がありますね。
その通りです。ただし相違点もあります。まず「株」が中国経済全体でみればまだまだ小規模な存在でしかないこと、それから日本人は逆ギレしたりしなかった、ということです。「暴落より逆ギレ」でも書きましたが、仮に現在がバブル状態だとすれば、それがはじけたとき、中国においてそれは経済問題というよりも、より色濃く社会問題、政治問題ではないかと。それゆえ深刻なのではないかと思います。
国家発改委という当局が参加しているプロジェクトで今年はジニ係数が0.48に達すると報告されているので、「いつもの中国」の通りであれば実勢はそれよりさらに厳しい状況でしょう。
「激流中国」、私はこの第一回しか観ていないのですが(汗)、現代中国社会に対し強烈な問題意識を持っている人が制作サイドにいるなあ、と感じました。例えばゲームソフト会社でも開発サイドと営業サイド、さらに株主を控えた経営者サイドがそれぞれ異なる思惑でぶつかり合い、それがゲームの内容あるいは販売本数ひいては会社の業績に反映されてしまうことがままあります。
私の本業でも似たようなことがあります。Aクラスの作品の関連制作物をつくらせてもらうために目をつぶってCクラスの作品にまず手を出して道をつける、というのが経営者サイドに理解されず、制作部隊からもブーブー言われる,とか(笑)。
一言でNHKといっても、中国側にペコペコするヘタレな部署とこの番組の制作部門は同一ではないでしょう(ペコペコ部署があるからこういう番組が制作できる、という側面もあります)。それからこういう硬派なルポを制作できるのは、作品のレベルも放送時間帯もNHKに匹敵するテレビ局は日本にはないと思います。
中国における改革というのは分権化と競争原理の導入が骨子です。ところが本来政治改革と経済改革を並行させるべきところ、経済改革のみの、しかも歪んだ形の「分権化と競争原理の導入」が行われ、そういう片肺飛行を江沢民時代に十年も続けてしまいました。その成れの果てが現在の中国です。ここまで歪んでしまうと、トウ小平であれ朱鎔基であれ、何とかしろと言われても身動きがとれないことと愚考する次第です。すでにカリスマによって何とかなる、という構造ではなくなってしまったともいえます。そりゃ、胡錦涛が甲斐性なしであるよりカリスマである方がまだマシではありますけど。
「中国はちょっとオシャレな北朝鮮」というのは、私の世代で中国と付き合ってきた者にとっては珍しくもない表現である筈です。つまり文化大革命を生き抜いてきた中国人からその体験談を聞かされ、実際に1980年代後期の権力闘争を眺め、そしてあの天安門事件をリアルタイムに体感していれば、いくら上海がモダンになってたとしても中共は一党独裁政権で「中国人」であるより「中共人」であることを断じて優先させる、ということが身に染みていますから。
ところが1990年代後半あたりから中国と向き合ってきた世代は、そのあたりが知識として頭に入ってはいてもカラダで覚えてはいないので、「中国はちょっとオシャレな北朝鮮」という表現に「そういうものかなあ」と首をひねったり「なるほど」と頷いてくれます。この一種のジェネレーション・ギャップ、中国観の差異というものが怖いです。
rengeさんは私より「中国歴」が古いようなので以上の物言いを理解して頂けると思います。1980年代、まだ大きな石ころで削りようによっては美しいオブジェをつくれるかも知れなかったあの時代を思い出すと、もう削り削られて修復不可能になってしまった現在は幸福なのかどうか……と中国人に尋ねてみたら十人十色の答が返ってくるかも知れないほどの超格差社会。私の場合は目をそむけたい気持ちと、「さあいよいよだ」とワクテカでヲチしていたい気持ちが自分の中にあって複雑な心境です。
老舎ではありませんが、いまの中国社会を魯迅に見せて感想を聴いてみたいものです。
おかげさまで後日のエントリーにあるように、インスピレーションをたっぷり頂きました。心から御礼申し上げます(笑)。
株も含めて、全てが想定外だったのではないかと思います。それもこれも、基本的には江沢民の無定見によるものではないかと(特に1990年代半ば以降)。毛沢東が蘇生したら激怒して直ちに文革再発動を試みるでしょうし、トウ小平なら「これはおれの考えていたカタチではない」と叫ぶだろうと思います。ちなみに趙紫陽は「いまの中国は最悪の資本主義をやっている」という名言を遺していますね。
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