「第九」の第1、2、3楽章は意図的に退屈?!

 しばらく前に届いていたヤマハのPR誌「音遊人(みゅーじん)」冬号で指揮者にしてN響のオーボエ奏者である茂木大輔さんが書かれておられました。

 「合唱団(の団員※郷秋<Gauche>補筆)にチケットを貰って聴きに行く方も多いでしょうね。でも合唱登場まで、約一時間はオケの音楽だけでお待ちいただく(笑)のですが、ここで我慢できないとサッカーの試合を録画してゴールのところ以外は早送りするのと同じくらい情けないので、実はこの第1、2、3楽章は「意図的に」退屈なのだ、と云うことを書いておきます」

 実はこの後に終楽章を感動的に聴くために、ベートーヴェンが先行する三つの楽章に素晴らしい仕掛けをしていることを具体的に説明されております。さすが、茂木さん。CDでは1、2、3楽章を飛ばして終楽章だけを聴いてしまい勝ちですから、終楽章を圧倒的な感動を持って聴くためにはやはり、前半は退屈しつつであっても、コンサートホールで最初から通しで聴くのが良いのでしょうね。

 まぁ、郷秋<Gauche>にとっての「第九」は聴くものではなく歌うものなんですがね。と云うことはやっぱり終楽章だけ、サッカーのゴールシーンしか見ていないのと同じか?


 と云う訳で今日の一枚は、郷秋<Gauche>の母校のホールの前に全学部の一年次生に「音楽」が必修となっており、農学部の学生であろうと工学部の学生であろうと「第九」をドイツ語で、暗譜で、オーケストラ伴奏で歌わないと卒業できない(必修の音楽の単位が取れない=卒業できない)不思議な大学でありました。その伝統は40年経った今でも健在のようです(^^)

 毎週撮影・掲載している「恩田の森Now」に、ただいまは11月26日に撮影した写真を4点掲載いたしております。晩秋から初冬へと移ろう森の様子をどうぞご覧ください。

コメント ( 0 ) | Trackback (  )