石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

132東京の芭蕉句碑巡り-11(港区・中央区)

2018-01-15 08:32:20 | 句碑

 渋谷駅から銀座線で「表参道駅」へ。

目指す善光寺は駅北側すぐの所にある。

◇浄土宗・善光寺(港区北青山3)

善光寺は、信州長野の善光寺別院。

 

尼寺だそうだ。

江戸川柳の「青山は馬に曳かれて善光寺」は、この寺のこと。

「牛に曳かれて善光寺参り」のもじりであることは言うまでもない。

門前は馬や馬車が激しく往来する八王子街道だった。

広い境内の左側に石造物がかたまってある。

句碑があるとすれば、このあたりだが、探してもない。

墓地の入口まで入ってみたが、いくらなんでも墓地にはありそうもないので、Uターン。

では、どこにあるのか。

墓地入口の家に人の気配がする。

思い切って尋ねたら、親切に案内してくれた。

本堂の左、竹塀に囲われた一画があり、格子戸をくぐると庫裡だろうか、瀟洒な家屋と庭園がある。

 

句碑は、その家の玄関前にあった。

山路きて なにやらゆかし すみれ草

この寺とは無関係の句。

貞享2年(1685)、江戸に帰る芭蕉が、東海道の山科から大津へ向かう山道で詠んだものとされている。

案内してくれたご婦人に、句碑建立の理由を尋ねようと振り向いたら、写真を撮っている間に姿を消していた。

 

次の「海蔵寺」も北青山、青山通りを東へ歩く。

「外苑前駅」一つ手前の外苑西通りを左折すると右に海蔵寺はある。

◇黄檗宗・海蔵寺(港区北青山2)

朱色の山門が異彩を放っている。

句碑は、山門をくぐって左にある。

夏来ても ただ一つ葉の 一葉かな」

「一葉」は、葉がたった一枚のシダ類の名前。

句碑の左に少しばかり植えてある。

(夏が来て草木は茂るのに、一葉だけは相変わらず一枚だけの葉だなあ)

よく見ると新旧2基の句碑が重なるように立っている。

古い方には上部に斜めに亀裂が入っている。

二つに割れたので建て直したのだろうか。

句碑の左には、区指定の庚申塔があるが、寛政年間の建立で、これといって特徴はないようだ。

港区には、もう1基、増上寺裏の宝珠院にもある。

◇浄土宗・宝珠院(港区芝公園4)

 増上寺の伽藍の一つだったという。

だからか増上寺の境内を通って行ける。

                 増上寺 

宝珠院を見下ろす坂の紅葉が美しい。

本尊は弁財天。

港区の七福神の一つで、朱色の幟がはためいている。

句碑は、半ば埋もれた形で、目立たなく控えめに塀際にある。

古池や 蛙飛こむ 水の音

あちらこちらにある有名句で、注釈は無用だろう。

碑裏には、「文化十年(1813)」とあるが、造立者と建立事由は不明。

実は、持参資料にはもう1基、

あれほどの 雲を起こすや 雨蛙

があることになっている。

しかし、見当たらない。

たまたま境内を掃除中の人たちがいるので、そのリーダーらしき人に訊いたが分からないという。

広い境内でもないので、見つからないということは、存在しないということだろう。

本尊が弁財天だからか、立派な蛇の石像がある。

宝珠院の面白いところは、蛇だけにとどまらず、蛙となめくじもいて、これを「三すくみ」として紹介していること。

解説板がある。

これは「ヘビがカエルを食べる。カエルがナメクジを食べる。ナメクジがヘビを溶かす。」という三すくみを意味しています。物事が動かなくなる。総じて、平和を願うお寺の願いが表現されています。

「三すくみ」が平和の意とは知らなかった。

こじつけのようでもあるが・・・

◇浄土真宗・築地本願寺(中央区築地3)

 築地本願寺は、工事の真っ最中だった。

インフォメーションセンターを建築中で、本堂前の左側は高い工事用塀で仕切られている。

境内に入る。

境内は装いを一新して、広い境内の、新大橋通りに面した一角は石碑、石仏等の石造物コーナーになっている。

 芭蕉句碑があるとすれば、ここだと思うが、それらしき石造物はない。

寺の関係者とおぼしき男性に訊く。

「以前は本堂に向かって左の茂みの中にありましたが、今は工事中で・・・」

「工事が終われば、前の場所に戻るんですか」

「さあ、分かりません。うちのお偉いさんは、文化財的なことに無関心ですから」

11月半ば過ぎ、築地本願寺のインフオメーションセンターの工事が終わったとのテレビニュースを観た。

飛んで行って句碑を探したが、やはりない。

広報の担当者に電話したら

「もう句碑はありません。寺と直接関係はないものなので、工事をきっかけに廃棄しました」。

廃棄された句碑の写真をネットから無断転載しておく。

春もやや けしきととのふ 月と梅」

向島百花園、龍厳禅寺にも同じ句碑があったかに記憶する。

◇浄土真宗・法重寺(中央区築地3)

法重寺の住所が築地本願寺と同じなのは、法重寺が築地本願寺の子院だから。

築地本願寺の南通用門の脇にある。

壁面の「法重寺」の文字がなければ、寺とは気づかない、そんな建物です。

句碑は寺の西南の角、道路に面したいい場所を占めているのだが、なにせ、植え込みの勢いが強くて、碑の三分の二は葉っぱに覆われて句の全体は読めない。

大津絵の 筆のはじめは 何仏

右手で草を押さえつけ、左手でシャッターを押したのが、下の写真。

「筆のはじめ」は「書初め」のこと。

大津絵は、大津の追分名物の土産絵で、「鬼の念仏」、「藤娘」などとともに弥陀三尊、十三仏などの仏画も多く描かれた。

正月三が日は、仏様にはノータッチという習俗があったそうで、だから「初仕事の四日、書初めに大津絵の絵師が描くのは何仏だろう」と解説書にはある。

この句は、大津に滞在して新年を迎えた芭蕉が、四日に詠んだもの。

句の前書きに「三日口閉じて、題正月四日」とある。

更に「俳諧は万事作り過ぎたるは道に叶わず、其形之まま又は我心之儘を作りたるを能きと存候」と前書きは続く(らしい)。(碑では全く読めないが、資料によれば)