Sandra Ledermann - Lasst uns Heute Feiern
Die Twinnies - Bayernmädels - 2 Girls playing steirische harmonika on rollerskates !
月刊雑誌はもう8月号になってしまいました。さっそく届いたばかりの、雑誌から、巻頭コラムを書き写しました。
来月7月は参院選挙と都知事選挙が日本中を騒がせるでしょう。戦後新しく日本に押し付けられたごとき憲法をめぐっての論争も、選挙の底辺では、奏でられている、あるいは最も重要な問題かもしれません。
気を付けて新聞に目を通すと立憲主義者と称する左派リベラル主義者がかなり居ることが改めて気が付きます。実に都合よくあの摩訶不思議な日本語とは言えないような憲法を、自らの保身のために守ろうとしています。
私自身もこの筆者と同時代といっても2歳年下の78歳となり、テレビを見る時間が多くなりましたが、実に意地悪な、捻くれた見方をしている点は少し似ているかもしれません。見たくもないタレントが増えて、地上波の見る時間がだんだん少なくなりました。
テレビの放送内容は、どこかの勢力の圧力により、妙に偏ってきたことに気付きだしたのはもう何十年になりますが、今やもっと嫌な勢力がのさばり出していることに愕然とします。
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(月刊雑誌『WiLL』2016年8月号より)
〔 朝 四 暮 三 〕
加地 伸行
老成、不健康老人。人とあまり会わず、会うのはテレビ画面上の人物、これは気楽で、手にコーヒー、時にはビールで。
それだけに、画面の格好つけた連中のあらがよく見える。例えば、政治屋と取り巻き評論家とがこんなことを言っていた。基礎年金は月額7万円弱に過ぎず、生活できない人が増えているので増額せよと。思わず耳を疑った。本気で言っているのかそれ、と。
年金は国民の老後の生活費のすべてを保障するものではない。あくまでも補助なのである。ここのところよく誤解される。
すなわち、国民はしっかり働いて、節約し、貯蓄しながら生活し、老後に備えなさい。老後のその時の補助として年金を出しましょうという事なのである。
そういう厳しさをイソップ物語のアリとキリギリスの話が教えているではないか。もっとも最近は冬で困ったキリギリスをアリが暖かい巣に入れ、食べ物を出して助けてやると言う風に、人道的いや蟻道的に遇するという話に仕立てられ、その展開に子たちは感動するとのこと。
これはおそらく日教組のインチキヒューマニズムの宣伝化であり、それは年金をもっと増やせと言う要求とつながっているのであろう。
しかし、老生のような性悪人間は、そんな仕立て話に騙されず、こう解釈する。雪の冬、アリはキリギリスを暖かく巣に向かい入れ、飲ませ食わせ、安心して寝たところを襲い掛かり、アリさんたちの餌となったとさ、行きはよいよい帰りは恐い、こわいながらもメデタシメデタシ。参ったか、日教組。
年金額増加へのさらなる要求の本音は、人権擁護といったようなものではなくて、最後は(お上にぶら下がり)という、日本人の現感覚からきているのではないだろうか。
日頃は自我の確立とか個人主義の優先とかと美々しく宣伝しはするものの、実は何でもかんでも政府がちゃんと用意しろという利己主義の主張なのである。
その利己主義をしっかり後押しする屁理屈が近頃我が物顔でのさばっている。いわゆる立憲主義とやらである。
遡れば、フランス革命。社会の頂点にあったカトリックを追い出して政権分離に成功。カトリックの下にある王らの首を斬り、政治権力を握った連中が、己らの地位の正当性を主張するために、議会を舞台にしてみなが作った憲法を推し頂き、それを義務として守っていきますと称し国民に約束した。
何のことはない、己の地位の保全理論に過ぎないそれが立憲主義の正体なのである。つまり、立憲主義なるものは、議会に基づく近代政治における政権担当者の地位の正当さの根拠づけのための理屈に過ぎない。
見よ、社会主義国家では、憲法は持っているものの、政権担当者は、社会主義(共産主義)をもって国家を運営するのであって立憲主義など名目に過ぎない。
例えば、中国大陸では、信教の自由が憲法に明記されているが、政権担当者はそれを守るどころか、逆に諸信者を弾圧している。立憲主義に普遍性などないし、同一概念ではないのである。
さて日本。中国、朝鮮などと同じく、伝統的に宗教は政治の下にあり、初めから政教分離である。また王朝交代があったわけでもない。
明治政府は立憲主義としての憲法なしで政治の近代化に成功し、維新後20年もたってから憲法を作った。つまり(後付け憲法)であって(立憲主義憲法)などではない。
明治憲法は法の最高者であり、政権担当者に限らず(国民はすべて遵守すべきもの)と理解してきた。そうした理解や感情は、日本国憲法に対しても同様であって今日に至っている。
日本人には、立憲主義などというアチャラカ思想など不要なのである。古人曰く、両(ふたつ)ながら高くんば、重塗るべからず。(中略)両ながら貴(立つ)とければ、双(なら)ぶべからず、と。
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今の時代、外食ほどどんなに安くとも、危なっかしい時代はないと思っていますが、若い連中を見ると、我々の時代より身長も体重も一回り大きくなり、異人種を見る思いがしますが、我々自身も親の時代より一回り大きくなっているという事に不思議さを感じます。
今の私と老妻は年金と健康保険に守られて生きている有り難い身分ですが、不満なんか少しも思っていません。しかし、メディアは無理やり不満を持つ、下層階級として彼らのイデオロギーの支持者にしようとしていますが、こんなにありがたい国が世界のどこにあるでしょう。
しかし、私もかみさんも実に忙しい。そして時間の過ぎるのが恐ろしいくらい早い。しかしなかなかあの世にはたどり着けない。そんな思いをよそに、次々怒る出来事は私たちを飽きさせません。しかし人間はいく処の終着点に向かって居るかも知れません。
辛口のコラムを読むことが今の私にとっては珠玉の時間かも知れません。駄文を書いているのも退屈しのぎかも知れませんし。生きている証になるかもしれません。あるいは最も無駄なことを言ているかも。