私も一時期、朝日新聞を定期購読していた時期もあります。見栄を張ってつまらない、週刊誌朝日ジャーナルを買っていた時期もあります。特に、本田勝一の乾いた文章は好きでした。その行動力と、企画の斬新さに、只々驚きと感動さえ覚えた三部作、それが
探検ルポ三部作『極限の民族』(『カナダ=エスキモー』、『ニューギニア高地人』、『アラビア遊牧民』)は感動して何遍も読んだ思いがあります。『ロンドン-東京5万キロ -国産車ドライブ記-』等は、私のバイブルに近い存在でした。
いづれも朝日新聞出版です。いつから朝日離れを起こしたかは、もう30年位前からでしょうか。市の図書館に通うようになってから毎週10冊借りられますので、片っ端から読み耽りました。朝日離れに影響を与えた作家は、最初は稲垣武の『悪魔祓いの戦後史』
『悪魔祓いの現代史』あたりから、日垣隆の『偽善系』、坂本多加雄の『国家学のすすめ』などこれらの作家の本があれば読みました。また雑誌も『諸君!』のボロボロになって居る本を読んでいましたが、新しい付の本などない位借りられていました。
月刊雑誌『諸君!』は新しい本で読んで自分の手元に置くようになったのは暫くしてからです。そのうちパソコンを覚え始めて、ネットの世界を知り、目が覚めるように思いました。雑誌も『WiLL』から『Hanada』と『正論』まで読み始めるという始末です。
今朝日を読むと、自然に相変わらずのあの頃の全学連を支配していた思想から、ほとんど進歩して居なくて微笑ましく思ってしまいます。読まなくなって軟十年経ったでしょう。来年80歳になりますが。情報弱者に数えられる年代ですが、安倍支持派も居るのです。
安倍首相でよかったと産経新聞の阿比留記者も思っている筈です。行間から安倍応援団としての声が彷彿として湧き出しているのが手に取る様に感じられ、ネットで読む朝日新聞がこれほど醜悪だと言う事は、読者でいる限り分からないし分かろうともしないでしょう。
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産経ニュース・平成29年10月30日 付
【阿比留瑠比の視線】
「安倍大嫌い」と延々と書く朝日新聞
元朝日新聞記者で民間非営利団体(NPO)代表の長岡昇氏が、衆院選期間中に古巣の朝日紙面に目を通した感想について、25日付のインターネット上の記事でこう記していた。
「安倍(晋三)首相が大嫌いであることだけはよく分かりました」
確かに朝日の記事を読むと、安倍首相とその政権に対する怨嗟(えんさ)と愚痴がにじんでいる。選挙戦前後の記事は、よくもここまで、感情をむき出しにできるものだと感心するほどだった。
特に自民党が圧勝した翌23日付朝刊は、新聞の顔である1面の記事からして尋常ではなく、臆測や思い込みによるとしか思えない断言が目立った。
例えば中村史郎・ゼネラルエディター兼東京本社編成局長はこう書いていた。
「安倍晋三首相は、今回も大勝した。しかし、内心苦い思いが残ったのではないか。(中略)『安倍1強』の変化を求める民意の兆しを感じたに違いない」
「圧倒的な与党の獲得議席と、底流にある民意のバランスや濃淡とのズレを感じる」
「この先の民意の行方を首相が読み誤れば、もっと苦い思いをすることになるだろう」
われわれ朝日こそ民意を把握しているとばかりに、安倍首相が「苦い思い」をしていると決め付けているが、根拠らしいファクト(事実)は示していない。コラム「天声人語」は、次のようにさらに想像力をたくましくしていた。
「(公示日の安倍首相は)演説中の目に不安の影がうかがえた。地元産のおにぎりをほおばる表情もこわばっていた」
「夏の都議選で浴びた『辞めろ』のヤジを避けるには、(第一声の現場に)静穏な農村を選ぶほかなかったのだろう」
「選挙が終わると急に権高になる首相の癖を有権者は忘れていない」
「引かれ者の小唄」という言葉を連想した。コラムだから表現が主観的になることは理解できるが、それにしても驚くべき観察眼、いや千里眼である。筆者の目には到底そんな風には見えなかったし、安倍首相が選挙後に権高になるなんてとんと承知していなかった。
また、この日の朝日社説「多様な民意に目を向けよ」も支離滅裂だった。一応は、有権者が安倍首相の続投を選んだことを認めつつもこう続ける。
「政権継続を選んだ民意も実は多様だ。選挙結果と、選挙戦さなかの世論調査に表れた民意には大きなズレがある」
まるで代議制民主主義と現行選挙制度を否定しているかのような言い草だが、選挙結果が朝日が望んだようなものだったら、こうは書くまい。選挙結果よりも自社の世論調査のほうが正当だと論じているようにも読める。
さらに、社説はこうも主張していた。
「首相は勘違いをしてはならない。そもそも民主主義における選挙は、勝者への白紙委任を意味しない」
だが、朝日は公示日の翌日の11日付社説「民意こそ、政治を動かす」では投票棄権を戒めてこう指摘していた。
「それは、政治の現状をよしとする白紙委任に等しい」
選挙の棄権は白紙委任となるのに、選挙での勝利はそうならないという理屈がよく分からない。もちろん多様な民意に耳を傾けることは大事だが、朝日に言わせると投票を棄権した人は、白紙委任したことになるのではなかったか。
ちなみに朝日は、投開票日の22日社説「棄権なんてしてられない」でも「棄権という選択は、将来を白紙委任することに他ならない」と強調し、そのすぐ横に読者の投書「棄権は政治家への白紙委任状」を配する念の入りようだった。
結局、朝日は紙面を使って、安倍首相に「大嫌いだ」と言い続けているだけではないのか。何を書こうとその新聞の自由かもしれないが、呪詛(じゅそ)のような記事を読むのは疲れる。(論説委員兼政治部編集委員・阿比留瑠比 あびるるい)
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いまどんどん読者を減らしている朝日新聞は、400万部くらいと推定されています。一時は1000万部で日本一のクオリティー新聞と言われ、日本には新聞社は一つしかないと言われた時代もありました。どの新聞も朝日と同じような記事を書くからです。
まだテレビも普及していないころ、新聞拡張団が暗躍し、読売新聞は、購読する見返りに様々な景品を付けました。我が家の新聞が3か月ごとの変わった時期があります。主に洗剤ですが、加人は3か月購読のハンコを押すたびに大量の洗剤を手に入れました。
朝日新聞も負けずにやり返しましたし新聞は、景品の多寡で選ぶ時代になって居ました。読売新聞は巨人戦のチケットを有効に使い、拡張作戦に辣腕を振るったのが、渡辺恒雄です。
拡張合戦に勝った読売新聞は、朝日を抜き日本一の座を獲得し、朝日新聞とは違った角度からニュースも載せ始め、世間が朝日はアカだと言う風評を流したのも読売でしょう。私はそのころは新聞などどの新聞も同じで、主にスポーツ新聞を愛読していました。
しかしその新聞の時代も終わりを告げる時代に成って仕舞いました。部数こそ減らしてはいたが、やはり朝日新聞は、小朝日と呼ばれた毎日新聞や、全国地方紙に記事を提供する共同通信とともに、新聞界では、その影響力が一番高かったことは事実です。
しかしおごり高ぶった朝日新聞のフェイクニュースの数々は、日本の本体さえ脅かす存在に成りました。慰安婦問題はいまだ解決せず、ユネスコまで動かすところまで行っています。
それらに対して朝日新聞は、それらに対応する責任を果たさず、開き直って、未だに「安倍大嫌い」、キャンペーンを延々と続けていると言う事に異常な執念を感じます。日本が嫌いなのかと!