この作品はあたりまえだが、とても重要なことを教えてくれる。
それは多くの場合、「母は子より先に死ぬ」ということ、「母は理屈でなく子を愛してくれる」ということ。
そんなあたりまえのことを僕たちは忘れて、毎日の生活を送っている。
自分を愛してくれる人と過ごせる時間は実はわずかであるのに、その時間の大切さをわかっていない。
そんなことをこの作品はストレートに語っている。
あまりのストレートさに見ている方は逆に圧倒される。
さて、オカン栄子(倍賞美津子)。
彼女は自分を生きた人であった。
息子を愛し、その愛は息子だけに留まらず、まわりの人たちをも愛した。
結果、まわりの人たちは栄子を母だと思い、栄子はたくさんの息子、娘にめぐまれた。
彼女は幸せであっただろう。
なぜなら栄子の生きがいは、人に愛を注ぐことであったからだ。
栄子はそんな自分自身を素直にストレートに生きた。
後半、栄子の葬儀でたくさんの人が集まるが、人間の価値とはその死をどれだけ深く悲しんでくれる人がいるかで決まる気がする。
そして栄子が与えてくれたもの。
「愛」の種。
愛の種を栄子に植えつけられて、各自はそれを育てていく。
それはやがて花開き、その種はまた他の人に植えつけられるだろう。
こうして栄子は永遠に生きていく。
文章にしてしまうと大変気恥ずかしい内容だが、仕方がない、このストレートさがこの作品だ。
そんな栄子だが、まなみ(香椎由宇)との関係は面白い。
栄子は子供に対する愛に関しては達人だが、男女の恋愛に関しては無器用な感じがする。
まなみに教えた筑前煮の作り方。
将来の雅也(速水もこみち)の妻になることを意図している様な匂いがする。
指輪もそう。
雅也の妻として結びつけておきたいという匂いがする。
栄子はオトン(泉谷しげる)との関係はあまりうまくいかなかった。
その辺が栄子を恋愛に関して無器用にしているのだろうか?
まなみは決して雅也のことが嫌いではないだろうが、栄子の託した思いが負担であるような表情を時折見せる。
まなみが栄子に言う「お母さん」という言葉にもふたつ意味がある。「自分の東京のお母さん」という意味合いと「夫のなる人間のお母さん」という意味合い。その辺実に微妙で曖昧だ。
とは言っても母親が男女関係でできることは限界がある。
男女関係で貢献できるのはむしろ男親の方で、オトンは折に触れ「口に出して言わなければ女はわからんぞ」などとアドバイスするのだが、雅也はなかなか行動に踏み切れない。
今後、雅也にはオトンから学ぶことが多くありそうだ。
そしてラスト。
雅也は道を歩く人たちを見て、こう思う。
「ここにいるすべての人がいずれは母親の死を受け入れて生きなければならない時が来る」
すれ違う人たちは皆他人。
だが、雅也は彼ら全員が「母親の死を受け入れなければならない人間」であることを認識して、共感している。
こんなふうに他人と共感できる感性は素晴らしい。
雅也は「母親の死を受け入れなければならない人間」どうしとして、他人と繋がっている。
最後は東京タワーについて。
我々は普段道を歩いているが、人によって見える景色は違っている。
ある人にとっては東京タワーはただの電波塔でしかないが、ある人にとっては象徴的な意味のあるものになる。
雅也にとっては、東京にやって来た時の感動の象徴、オカンといっしょに行こうと言っていけなかった後悔の象徴。
まなみにとっては、写真家としてスタートを切った最初の象徴。
この様な場所を自分は持っているだろうかと思うと寂しくなってしまう。
同時にこんなふうに景色や物に気持ちを託して表現するというのは面白い。
これは深読みし過ぎかもしれないが、雅也はまなみと東京タワーに行っていない。行こうとして母の病気の電話が入り中止になった。一方、雅也はオカンとも東京タワーに行っていなかったが、死後、栄子の遺影と行った。
これは、雅也がまだオカンと生きていることを意味している。
あの時、まなみと東京タワーに行っていたら、東京タワーは雅也にとって別の意味(恋人と来た場所といった)を持っていたかもしれない。
雅也がまなみを東京タワーに連れて行った時、彼の新しい人生が始まるのかもしれない。
★追記
前話の抗ガン剤治療を雅也と栄子が相談して決めるシーンには泣けた。
治療のつらさに闘うと言っていたオカンも「やめてもいい?」弱音をはく。
雅也もそれを「よくがんばったなぁ」と言って受け入れる。
抗ガン剤治療をやめることは死を意味することだが、その死さえも親子の相談で決める。
強い絆を感じる。
★追記
栄子が亡くなる夜、病院でオカン、オトン、雅也が3人、川の字になって眠る。
そしてこれがオカンが一番望んだことだと雅也は語っている。
栄子の夢は家族揃って同じ部屋に寝ることだったのだ。
栄子は夢を実現した。
これで心おきなく死ねる。だから翌朝、息を引き取ったのだろう。
★追記
臨終の際のオトンの「栄子!栄子!」と叫ぶシーンにも泣けた。
火葬の際に棺に突っ伏してただ泣くだけの姿にも。
★追記
「オカンが死んだら開けてください」という箱の中身は、生命保険の証書、古いお札、そして手紙だった。
手紙の内容は「雅也のおかげで何も思い残すことなく幸せに死んでいける」というものだった。
再入院の際、椅子の上に正座をして挨拶した時といい、栄子がこの手紙を書いた時、どんな気持ちでいただろうかと考えると涙が出て来る。
手紙の最後「ちょっと行ってきます」というのも栄子らしくていい。
それは多くの場合、「母は子より先に死ぬ」ということ、「母は理屈でなく子を愛してくれる」ということ。
そんなあたりまえのことを僕たちは忘れて、毎日の生活を送っている。
自分を愛してくれる人と過ごせる時間は実はわずかであるのに、その時間の大切さをわかっていない。
そんなことをこの作品はストレートに語っている。
あまりのストレートさに見ている方は逆に圧倒される。
さて、オカン栄子(倍賞美津子)。
彼女は自分を生きた人であった。
息子を愛し、その愛は息子だけに留まらず、まわりの人たちをも愛した。
結果、まわりの人たちは栄子を母だと思い、栄子はたくさんの息子、娘にめぐまれた。
彼女は幸せであっただろう。
なぜなら栄子の生きがいは、人に愛を注ぐことであったからだ。
栄子はそんな自分自身を素直にストレートに生きた。
後半、栄子の葬儀でたくさんの人が集まるが、人間の価値とはその死をどれだけ深く悲しんでくれる人がいるかで決まる気がする。
そして栄子が与えてくれたもの。
「愛」の種。
愛の種を栄子に植えつけられて、各自はそれを育てていく。
それはやがて花開き、その種はまた他の人に植えつけられるだろう。
こうして栄子は永遠に生きていく。
文章にしてしまうと大変気恥ずかしい内容だが、仕方がない、このストレートさがこの作品だ。
そんな栄子だが、まなみ(香椎由宇)との関係は面白い。
栄子は子供に対する愛に関しては達人だが、男女の恋愛に関しては無器用な感じがする。
まなみに教えた筑前煮の作り方。
将来の雅也(速水もこみち)の妻になることを意図している様な匂いがする。
指輪もそう。
雅也の妻として結びつけておきたいという匂いがする。
栄子はオトン(泉谷しげる)との関係はあまりうまくいかなかった。
その辺が栄子を恋愛に関して無器用にしているのだろうか?
まなみは決して雅也のことが嫌いではないだろうが、栄子の託した思いが負担であるような表情を時折見せる。
まなみが栄子に言う「お母さん」という言葉にもふたつ意味がある。「自分の東京のお母さん」という意味合いと「夫のなる人間のお母さん」という意味合い。その辺実に微妙で曖昧だ。
とは言っても母親が男女関係でできることは限界がある。
男女関係で貢献できるのはむしろ男親の方で、オトンは折に触れ「口に出して言わなければ女はわからんぞ」などとアドバイスするのだが、雅也はなかなか行動に踏み切れない。
今後、雅也にはオトンから学ぶことが多くありそうだ。
そしてラスト。
雅也は道を歩く人たちを見て、こう思う。
「ここにいるすべての人がいずれは母親の死を受け入れて生きなければならない時が来る」
すれ違う人たちは皆他人。
だが、雅也は彼ら全員が「母親の死を受け入れなければならない人間」であることを認識して、共感している。
こんなふうに他人と共感できる感性は素晴らしい。
雅也は「母親の死を受け入れなければならない人間」どうしとして、他人と繋がっている。
最後は東京タワーについて。
我々は普段道を歩いているが、人によって見える景色は違っている。
ある人にとっては東京タワーはただの電波塔でしかないが、ある人にとっては象徴的な意味のあるものになる。
雅也にとっては、東京にやって来た時の感動の象徴、オカンといっしょに行こうと言っていけなかった後悔の象徴。
まなみにとっては、写真家としてスタートを切った最初の象徴。
この様な場所を自分は持っているだろうかと思うと寂しくなってしまう。
同時にこんなふうに景色や物に気持ちを託して表現するというのは面白い。
これは深読みし過ぎかもしれないが、雅也はまなみと東京タワーに行っていない。行こうとして母の病気の電話が入り中止になった。一方、雅也はオカンとも東京タワーに行っていなかったが、死後、栄子の遺影と行った。
これは、雅也がまだオカンと生きていることを意味している。
あの時、まなみと東京タワーに行っていたら、東京タワーは雅也にとって別の意味(恋人と来た場所といった)を持っていたかもしれない。
雅也がまなみを東京タワーに連れて行った時、彼の新しい人生が始まるのかもしれない。
★追記
前話の抗ガン剤治療を雅也と栄子が相談して決めるシーンには泣けた。
治療のつらさに闘うと言っていたオカンも「やめてもいい?」弱音をはく。
雅也もそれを「よくがんばったなぁ」と言って受け入れる。
抗ガン剤治療をやめることは死を意味することだが、その死さえも親子の相談で決める。
強い絆を感じる。
★追記
栄子が亡くなる夜、病院でオカン、オトン、雅也が3人、川の字になって眠る。
そしてこれがオカンが一番望んだことだと雅也は語っている。
栄子の夢は家族揃って同じ部屋に寝ることだったのだ。
栄子は夢を実現した。
これで心おきなく死ねる。だから翌朝、息を引き取ったのだろう。
★追記
臨終の際のオトンの「栄子!栄子!」と叫ぶシーンにも泣けた。
火葬の際に棺に突っ伏してただ泣くだけの姿にも。
★追記
「オカンが死んだら開けてください」という箱の中身は、生命保険の証書、古いお札、そして手紙だった。
手紙の内容は「雅也のおかげで何も思い残すことなく幸せに死んでいける」というものだった。
再入院の際、椅子の上に正座をして挨拶した時といい、栄子がこの手紙を書いた時、どんな気持ちでいただろうかと考えると涙が出て来る。
手紙の最後「ちょっと行ってきます」というのも栄子らしくていい。
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