「サワコの朝」に生物学者の長沼毅さんが出ていた。
宇宙飛行士になることに挫折し、地球を離れられないのなら、地下や海底にいけばいいやと考えた長沼さん。
こういう切り替えが出来る人ってすごいですよね。
人生は短く、ウジウジと過去に後悔し、こだわっていたら、何も始まらない。
そして長沼さんが見つけたのは、たとえば、海底火山のある海底に住むチューブワーム。
これは司会・阿川佐和子さんのたとえに拠れば、エノキダケのような棒状の生き物で、人間など普通の動物には有害な海底火山の有毒ガスをエネルギー源にして生きているらしい。
すごいですね、有毒ガスで生きているなんて。
これぞまさに「想像を絶する、これまでの範疇にない未知の生物」。
その他にも、長沼さんが見つけたのは、沸騰する温泉に住む生物とか、南極の氷の下に住む生物とか。
こうした特異な生物の発見の結果、長沼さんはある哲学を持ったらしい。
それは<生命ってたくましい>ということ。
どんな生物であれ、生き物は個体を増やし、生きようとしている。
有害ガスを吐き出す海底火山の近くで、がんばって生きようとしたチューブワームが良い例だ。
長沼さんは生物の<個体>と<生命>を分けて考えている。
個体とは、肉体。
人間、犬、猫、ライオン、魚、植物、微生物……、これらは姿形が違うし、種族も違う。
一方、生命とは、これらさまざまな個体に共通して存在しているもの。肉体を越えたもの。
一般的に言えば、いのち。
いのちが失われれば、人間も動物も植物も死ぬ。
宗教的に言えば、肉体は滅びるが、いのちは残るという感じですかね。
長沼さんは、このいのちは、常に<生きること>を志向しているという。
人間は頭で「自殺すること」を考えるけど、いのちは「生きること」を考えている。
こう考えると、自殺は、いのちの意思自殺=自然に反したことになりますね。
肉体は仮のものであって、いのちというものが別にある。
いのちはすべての生き物に共通して存在していて、生きるという意思を持っている。
こう考えると、世界は違って見えてくるかもしれませんね。
宇宙飛行士になることに挫折し、地球を離れられないのなら、地下や海底にいけばいいやと考えた長沼さん。
こういう切り替えが出来る人ってすごいですよね。
人生は短く、ウジウジと過去に後悔し、こだわっていたら、何も始まらない。
そして長沼さんが見つけたのは、たとえば、海底火山のある海底に住むチューブワーム。
これは司会・阿川佐和子さんのたとえに拠れば、エノキダケのような棒状の生き物で、人間など普通の動物には有害な海底火山の有毒ガスをエネルギー源にして生きているらしい。
すごいですね、有毒ガスで生きているなんて。
これぞまさに「想像を絶する、これまでの範疇にない未知の生物」。
その他にも、長沼さんが見つけたのは、沸騰する温泉に住む生物とか、南極の氷の下に住む生物とか。
こうした特異な生物の発見の結果、長沼さんはある哲学を持ったらしい。
それは<生命ってたくましい>ということ。
どんな生物であれ、生き物は個体を増やし、生きようとしている。
有害ガスを吐き出す海底火山の近くで、がんばって生きようとしたチューブワームが良い例だ。
長沼さんは生物の<個体>と<生命>を分けて考えている。
個体とは、肉体。
人間、犬、猫、ライオン、魚、植物、微生物……、これらは姿形が違うし、種族も違う。
一方、生命とは、これらさまざまな個体に共通して存在しているもの。肉体を越えたもの。
一般的に言えば、いのち。
いのちが失われれば、人間も動物も植物も死ぬ。
宗教的に言えば、肉体は滅びるが、いのちは残るという感じですかね。
長沼さんは、このいのちは、常に<生きること>を志向しているという。
人間は頭で「自殺すること」を考えるけど、いのちは「生きること」を考えている。
こう考えると、自殺は、いのちの意思自殺=自然に反したことになりますね。
肉体は仮のものであって、いのちというものが別にある。
いのちはすべての生き物に共通して存在していて、生きるという意思を持っている。
こう考えると、世界は違って見えてくるかもしれませんね。
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