----これってディズニー・アニメの
『ポカホンタス』と同じ話だよね?
それをテレンス・マリックが撮るって
イメージしづらいニャあ。
「うん。ただ、あのアニメとは
物語も含めてまったく違うものになっている」
----えっ、お話も違うの?
「いや途中までは同じなんだけどね。
17世紀初頭、アメリカ大陸の北部にイギリスからやって来た船が到着した。
彼らの目的は、新大陸を開拓すること。
しかし、この地にはネイティブ・アメリカンのコミュニティが存在していた。
冒険家のジョン・スミス(コリン・ファレル)は、
ネイティブの人々の助力を得る任務を負う。
やがて彼は、
族長の娘ポカホンタス(クオリアンカ・キルヒャー)と出会い、
言葉と文化の壁を越えた恋に落ちる」
----なんだ同じじゃない。
確かアニメだと、この後、開拓者たちと先住民の間で衝突が起こり、
2人の愛が引き裂かれていくんだよね。
「それはそうなんだけどね。
今回はそこからが微妙に違う。
スミスの愛を信じ、イギリス流の暮らしを学ぶポカホンタス。
しかし親兄弟から彼女を奪ったのは自分ではないかと、
ポカホンタスが眠っている間にスミスは旅立つことを決意。
しかも自分は溺死したことにしてしまうんだ」
----うわあ。悲劇だね。でも話、終わっちゃった。
「いや、そこに妻と娘を亡くした
イギリス人貴族ジョン・ロルフ(クリスチャン・ベール)が現れる。
彼が示す真摯な態度とやさしさに
果たしてポカホンタスの頑な心は開かれるのか……?
と、長々と喋ってしまったけど、
この映画の見どころは、そういう物語よりも、
その物語を包み込む<画>と<音>にある」
----えっ、<画>の方はまだ分かるけど<音>って?
「テレンス・マリックの前作『シン・レッド・ライン』は
太平洋戦争時のガダルカナルが舞台。
そこではジャングルの自然を
ドキュメンタリーのように緻密に映し出すことで、
無言の中に戦争の無為感を見せていた。
その自然への畏敬とも言うべき視座は本作でも
いささかも揺らぐことはない。
梢から漏れる太陽の光、月の横にきらめく一番星、
川面に映える樹々、風にそよぐ青草…。
それに加えて、今回この映画を包み込むのは、
ひとときも絶えることのない自然の<音>だ。
まるで野鳥園の中にいるかのような鳥たちのさえずり。
そればかりかマイクは目の前をかすめる虫の羽音、
さらには一枚の落葉が空気を切る音まで捉える。
まるで魔法にかかったかのようだったね。
うん。この映画だけは音響設備の整ったところで観た方がいい」
----そうか、<音>と言っても音楽じゃないんだね。
「いや、それには音楽も含まれている。
さらに言えばモノローグの形で使われる<セリフ>もだね。
この映画<ラブ・ストーリー>を強調しているけど、
マリック監督は、当人たちの心の内面、その葛藤を映像で描くことには
あまり興味がないように見える。
自然を写すことには、これだけ気を配りながらも
人のドラマを写すときには、
『あれっ、その繋ぎはないんじゃない?』と
ちょっと首をひねりたくなるような
大胆なカッティングが随所に出てくる。
その代わりとして多用されるのが
『末の娘が一番美しかった。太陽よりも明るく、いつも輝いていた』
『自分が怖い。彼が神のように見える。誓うわ、私たちは1つよ』
といったモノローグ。
これが内面を説明するナレーションの役割を果たし、
物語を推進してゆくんだ。
そう、最近の映画で言えば『皇帝ペンギン』 が近いかもしれない」
----ふうん。なんでそんなことするんだろう?
「これはぼくの想像なんだけど、
マリック監督は、誰もが知っているこの<アメリカの神話>を
それが生まれた時代の中に、構築・再現してみようとしたんじゃないかな。
ネイティブ・アメリカンの言語も当時と同じもの。
ボディ・ペインティングの色も自然から採取できる色に限定。
そして<神話>の舞台であるヴァージニアに
当時のトウモロコシとタバコの種を植える……。
そう、彼は
最初に結論ありきで思想を語ろうとする他の映画監督たちとは
まったく違う地点に立って映画を作っている。
まずは完璧な世界を作って、その中から生まれるものを見つめる。
それがまたテレンス・マリックを伝説化させている点かも…」
----普通は、こんなことに誰も協力しないものね。
「そうなんだよね。
ところがマリック監督が映画を作ると言えば、
多くの俳優が無償でもいいから……と競って出演を希望する。
この映画体験こそが<ニュー・ワールド>かもね」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「おっ、これが新世界か。猫はいたのかニャ」
※これはサウンドデザインだ度
人気blogランキングもよろしく
☆「CINEMA INDEX」☆「ラムの大通り」タイトル索引
(他のタイトルはこちらをクリック→)
※画像はイタリアのオフィシャル、ダウンロード・サイトより
『ポカホンタス』と同じ話だよね?
それをテレンス・マリックが撮るって
イメージしづらいニャあ。
「うん。ただ、あのアニメとは
物語も含めてまったく違うものになっている」
----えっ、お話も違うの?
「いや途中までは同じなんだけどね。
17世紀初頭、アメリカ大陸の北部にイギリスからやって来た船が到着した。
彼らの目的は、新大陸を開拓すること。
しかし、この地にはネイティブ・アメリカンのコミュニティが存在していた。
冒険家のジョン・スミス(コリン・ファレル)は、
ネイティブの人々の助力を得る任務を負う。
やがて彼は、
族長の娘ポカホンタス(クオリアンカ・キルヒャー)と出会い、
言葉と文化の壁を越えた恋に落ちる」
----なんだ同じじゃない。
確かアニメだと、この後、開拓者たちと先住民の間で衝突が起こり、
2人の愛が引き裂かれていくんだよね。
「それはそうなんだけどね。
今回はそこからが微妙に違う。
スミスの愛を信じ、イギリス流の暮らしを学ぶポカホンタス。
しかし親兄弟から彼女を奪ったのは自分ではないかと、
ポカホンタスが眠っている間にスミスは旅立つことを決意。
しかも自分は溺死したことにしてしまうんだ」
----うわあ。悲劇だね。でも話、終わっちゃった。
「いや、そこに妻と娘を亡くした
イギリス人貴族ジョン・ロルフ(クリスチャン・ベール)が現れる。
彼が示す真摯な態度とやさしさに
果たしてポカホンタスの頑な心は開かれるのか……?
と、長々と喋ってしまったけど、
この映画の見どころは、そういう物語よりも、
その物語を包み込む<画>と<音>にある」
----えっ、<画>の方はまだ分かるけど<音>って?
「テレンス・マリックの前作『シン・レッド・ライン』は
太平洋戦争時のガダルカナルが舞台。
そこではジャングルの自然を
ドキュメンタリーのように緻密に映し出すことで、
無言の中に戦争の無為感を見せていた。
その自然への畏敬とも言うべき視座は本作でも
いささかも揺らぐことはない。
梢から漏れる太陽の光、月の横にきらめく一番星、
川面に映える樹々、風にそよぐ青草…。
それに加えて、今回この映画を包み込むのは、
ひとときも絶えることのない自然の<音>だ。
まるで野鳥園の中にいるかのような鳥たちのさえずり。
そればかりかマイクは目の前をかすめる虫の羽音、
さらには一枚の落葉が空気を切る音まで捉える。
まるで魔法にかかったかのようだったね。
うん。この映画だけは音響設備の整ったところで観た方がいい」
----そうか、<音>と言っても音楽じゃないんだね。
「いや、それには音楽も含まれている。
さらに言えばモノローグの形で使われる<セリフ>もだね。
この映画<ラブ・ストーリー>を強調しているけど、
マリック監督は、当人たちの心の内面、その葛藤を映像で描くことには
あまり興味がないように見える。
自然を写すことには、これだけ気を配りながらも
人のドラマを写すときには、
『あれっ、その繋ぎはないんじゃない?』と
ちょっと首をひねりたくなるような
大胆なカッティングが随所に出てくる。
その代わりとして多用されるのが
『末の娘が一番美しかった。太陽よりも明るく、いつも輝いていた』
『自分が怖い。彼が神のように見える。誓うわ、私たちは1つよ』
といったモノローグ。
これが内面を説明するナレーションの役割を果たし、
物語を推進してゆくんだ。
そう、最近の映画で言えば『皇帝ペンギン』 が近いかもしれない」
----ふうん。なんでそんなことするんだろう?
「これはぼくの想像なんだけど、
マリック監督は、誰もが知っているこの<アメリカの神話>を
それが生まれた時代の中に、構築・再現してみようとしたんじゃないかな。
ネイティブ・アメリカンの言語も当時と同じもの。
ボディ・ペインティングの色も自然から採取できる色に限定。
そして<神話>の舞台であるヴァージニアに
当時のトウモロコシとタバコの種を植える……。
そう、彼は
最初に結論ありきで思想を語ろうとする他の映画監督たちとは
まったく違う地点に立って映画を作っている。
まずは完璧な世界を作って、その中から生まれるものを見つめる。
それがまたテレンス・マリックを伝説化させている点かも…」
----普通は、こんなことに誰も協力しないものね。
「そうなんだよね。
ところがマリック監督が映画を作ると言えば、
多くの俳優が無償でもいいから……と競って出演を希望する。
この映画体験こそが<ニュー・ワールド>かもね」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「おっ、これが新世界か。猫はいたのかニャ」
※これはサウンドデザインだ度
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※画像はイタリアのオフィシャル、ダウンロード・サイトより
心ときめいていたのでしたが、ポカポンタスの
お話しなのですか。なるほどー。
アメリカの方では拡大公開の予定が、入りがいまいちで
拡小になったとか、バージョンが短くなったとか小耳にしましたが
えいさんのレビュー拝読してそれも納得というか
かえって期待が高まりました。
ワクワクして公開待ちます。
なるほど、
この映画はそんな不幸な経過をたどっているのですか?
アカデミーもノミネートは撮影賞だけですもんね。
音響とか音響編集とかにノミネートされていないのが不思議です。
でも、一度観たら
このエンディングタイトルは
忘れられない経験となること間違いないです。
>冒険家のジョン・スミス(コリン・ファレル)
なんだかアメリカ人代表(あ、イギリス人か)のような名前ですね。先日のブラッド(スミス夫妻)と同じですね。
この作品はラブストーリーに仕上がっていると思っていましたが、
えいさんのレビューを拝見し、割と淡々とした印象なのかなぁと感じました。
プライベートで浮名も多いコリンが主演だし、恋愛ものよりもかえっていいかもしれないですね。
ラブストーリーとも言えなくはないのですが、
ふたりの感情の推移を深く描いているかと言うと、
そういうわけでもなくて…。
これまでの映画の常識で観ていると、
面食らうという感じかな。
ジョン・スミスの役は、
監督がコリン・ファレルにこだわったということのようでした。
えいさんや皆さんの記事読むと、この映画の本当の面白さが伺えます
眠たくなってしまったのは、なんとなくボクのそのときの体調に合わなかったようですね、残念です・・・あと、ちょっと長いかなぁ・・・と
不思議な映画でした。
あまりストーリーを追うことなく観ていたのですが、
密林の鳥たちの鳴き声に
とても映画館にいるとは思えない感じになりました。
でも、確かに少し長いかも…。
まるで森林浴しているような音と映像体験。密度の濃い栄養たっぷりの空気がスクリーンからほとばしっているような。凄かったです。
余韻がそのまま凝縮されたようなエンドロールも素晴らしかったです♪
bakabrosさんのエントリー、拝見いたしました。
「朝露の充満する滋養ある空気の中で森林浴しているような映像体験。」
まさにそのとおりですね。
他の監督の作品では味わえない体験でした。
緻密で本格的な感想文に脱毛・・いや脱帽でした。
YAHOOの映画批評投稿欄では、かなり酷評もありますが(台詞が少ない。だらだらしている。眠くなった。等)、作品全体を流れる抒情詩のような映像美は、さすがテレンス・マリック監督だと思いました。
http://gold.ap.teacup.com/shinohiro/
本当に圧巻の映像美でした。あと音!
アロマのサービスとか考えられるのも納得でした(笑)
自然であったり、ポカホンタスの中の精神的なものであったり、
悲恋や滅び行くものの儚さよりも息吹が感じられました。
おっしゃるとおり出来る限り音響施設のよい劇場で
スクリーンの前のほうにぽつねんと座って浸りたい作品でしたね^^