(原題:Les herbes folles)
----アラン・レネって、フランスのヌーヴェル・ヴァーグの監督だよね?
「うん。
それもセーヌ左岸派。
アンリ・コルピ、アニュエス・ヴァルダ、クリス・マルケルなんかもそうじゃなかったかな。
彼らは、ぼくの勝手なイメージで
ゴダールやトリュフォー、シャブロルらカイエ派よりも
知的なイメージを抱いていた。
というのも、このアラン・レネが『去年マリエンバートで』を筆頭に、
理知的で難解な映画を作っていたから。
ところが、今回、この『風にそよぐ草』を観て、もうビックリ。
しなやかで、したたか」
----へぇ~っ。どういう映画ニャの?
「物語自体は、
一言で言えるほど単純。
ある“偶然”によって、
初老の男が見知らぬ女性に恋焦がれてしまうというもの」
----どうして、見知らぬ女性を好きになれるの?
「うん。それがいま言った“偶然”。
じゃあ、簡単に物語を…。
歯科医のマルグリット(サビーヌ・アゼマ)は、
靴を買った帰りに引ったくりに遭い、
財布ごとバッグを持ちされれてしまう。
その財布を拾ったのがジョルジュ(アンドレ・デュソリエ)。
中に入っていたマルグリットの小型飛行操縦免許の写真を見た彼は、
心の中の何かが弾け、
ついにはストーカーまがいの行動に出る…」
----どうして彼は理性を失ったの?
「う~ん。
もとより、自分も飛行機を操縦することが夢だったから…。
なあんて、そんな言い方もできはするけど、
実のところは、はっきりとは分からないというのが正解であって、
また、それこそがこの映画の魅力だろうね。
恋の炎が燃えるのに理由はないわけだし…。
この映画は、その“恋=不条理”を前提に描いているからオモシロい。
つまり、何がどう転がっていくのか、
一寸先がまったく読めないんだ。
これは、誰しも経験あるかもしれないけど、
いったん恋してしまうと、そこではすべてが混乱してしまう」
----でも、ジョルジュの場合は大人でしょ?
「うん。
でもこの映画では、
大人はそれ(恋の炎)を理性で抑えるもの…などという理論はまったく通用しない。
ある意味、恋愛至上主義。
そういう意味では、トリュフォーの映画に通じるところもある。
たとえば『柔らかい肌』、あるいは『私のように美しい娘』『隣の女』。
ディテールを説明すると、
この映画を観る楽しみを奪うことになるから割愛するけど、
ジョルジュは、次々と常識では考えられないような言動を取り、
しかもまったく悪びれるところがない。
それは、ぼくらから観ると、とてもおかしな行動なんだけど、
本人は微塵もそうは思っていないんだね。
で、映画は、その彼の異常な言動を
まるで初恋を描くかのように、
瑞々しいタッチで追っていくんだ。
ときに、彼の心の中が同じ画面の片隅に写されるかと思えば、
丁寧にナレーションまで入ってくる。
こういう、決まった枠に捕われない柔軟さも
トリュフォーを思い出させるところだね」
----へぇ~っ。
でも、最後はどうなるんだろう?
「これもまったく予想だにしなかった展開。
しかし、後でヌーヴェルヴァーグの諸作を思い出してみて納得。
なんて、ぼくがこれ以上喋るより、まあ、とにかく観てみてよ。
ほんと、これはファン心理をくすぐらずにはおかない映画だから…」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「90歳近い監督とは思えないのニャ」
※まさか、アラン・レネ映画に20世紀フォックス・ファンファーレが出てくるとは思いもしなかった度
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※画像はフランス・オフィシャル・ギャラリー、及びイタリア版ポスターより。