「破壊無くして創造は無い。」

 

  時代の転換も 「破壊と新生が分担し相俟って 為される。」と考えたら、全人類が力を合わせているようで気持ちは安心し落ち着くものだ。壊し屋が目立つのは 時代の末期だからで、時代の端境期はこんなものかもしれない。

 

     

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基準なる(人心の乱れ)

 

       子どもの心を対象に仕事をしてきたこともあってか、社会の良し悪しの変化を見る指標を≪人心≫に置くのも

     良いのかな、と思う。

   平和や戦争、 経済成長率、失業率、格差、進学率、寿命、、犯罪率、自殺率、等々は、部分的な指標のきらいがある。ブータン等は経済成長率に変えて「幸福度」を指標にしていると言われているが、観念的な感じがしなくも無い。

 現在、社会全体を評価する公的な基準は無いが、個人としては最も気になるところである。

   ≪人心の乱れ≫もデーター的に明らかには出来ないが、個人の感覚的な実感であっても、今用いられてる価値観や指標よりは実態に近くないか?

   「戦争」との対語で用いられる限定的な「平和」や経済力の進捗も表さないような「GDP]よりは よっぽどましではないかろうか。

 グローバル化している世界は国家間に大した違いは無いとは思うが、あえて現代の日本における≪人心の乱れ≫具合を  想像して見たい。

   根拠のない情報と『無責任』が大きな規模で(自分を含めた)社会の隅々までかつてなく蔓延っている感は否めない。

 

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