望外の喜び

ドジは 高校を卒業してから、(向こう三軒両隣)的な近所づき合いは諦めていた。時代の変化もあったし、忙しくて余裕がなかったせいもある。
 近所付き合いは退職してからの希望だったが、やろうとして出来るものでもない。
 でも、7年たって気が付いてみると思っていた以上にうまくいっていた。
近所の人との気持ちのいい挨拶は殆どだし、世間話や談笑する人も沢山いる。その上、 我が家にはスズメや山鳩と一緒に近所の男の子がエサやりを手伝に毎朝来てくれる。
 満足!満足!これなら 落ち着いてここに住みつける、とドジは納得し、
今回の「市長選ミュージカル」とも綺麗に噛み合っていると思った。
 
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あの感じは、近くも無いが遠くもない

地球のヒトビトを見ていると、昭和18,9年の日本と似ていないかと思う。
 根拠といっても、その当時ドジは3~4歳だから殆ど記憶は無く、戦後の経験や印象、得た知識などから全体的だが何となくとしか言いようが無い。
 あの頃、日本は武力戦争に突き進み今は世界が経済戦争に突進中。
 
 いま思えば、あの戦争は日本に勝ち目は無かった。今、進行中の経済戦争は結局は地球相手だから勝ち目があるとは考えられない。
 中でも日本はあのころの様に国はあちこち崩れ火の車、借金は雪だるま、犠牲や被害を出しながら大本営発表を信じて戦い続けている。
 忘れれられないのは、戦争に負け全面降伏した後の日本。
 青ぱなをたらした子どもだったが、貧しさと共に開放感と将来への希望が溢れているのを何となく周りに感じていた。
 あの透き通った青空を見るような時代が再び来るのは早くは無いが、そんなに遅くもないような気がする。
 その時、これまでの【現在の】文化や価値観、とりわけ産業構造から新しく転換することを余儀なくされ、子供や教育、政治・経済や戦争も自然を軽視できない時代が来ると思う。
 物質が氾濫する今の感覚では物不足を感じるカも知れないが、人々が生きるための希望と、確かさを手に入れるから、虚ろな目は再び輝きはじめる。
 その境目であの時代と同様、国は増税どころか半端でないインフレを経済対策として実施するだろう。
 これも新しい持代を生み出すため仕方ないかもしれないga,
 
国も国民も喜んで景気対策(借金)をして子や孫にツケを回してる。


 
そんな筋書きが思い浮かんだ。
 

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