国際競争力

経済活動で国際競争力は不可欠の条件であり、言葉上は私の考えも財界や政府と全く同じだ。本当に国際競争力をつけてほしいと願っている。ただ、じっさいの政策や方法になると、違ってくることが多い。国際競争力を高めるために、人材育成(教育)や規制緩和を始めとする改革路線といわれるもの、これらは私の目には、自らの体を食いちぎったりによって生き延びようとする先細りの手法に見える。結局は共倒れ路線だ。今の路線はことさら今に始まったことではなく、従来の延長であり、さらに顕著になっただけと言える。この基本的な路線を考えるとき、日本の現在の国際競争力と、これまでの変化、今後の見通しを見ると、路線のあり方は明らかになると考える。果たしてどうだろう?日本の競争力が人的資源に依拠することは私も全く同感。現実はどうか?少子高齢化の進行は経済競争する国の中でも最たる位置にある。それどころか自殺だの、ニートだの、若者のフリーターだの人的資源が困難に窮し、今後改善の見通しは無く、一般的にはさらに深刻化すると考えられている。だから日本の国際競争力は、低下してきており、さらに低下することになる。これは政府のみならず誰しも気付き、心配していることではないだろうか。反省も無く、政策の見直しや改善が図れない理由は以前書いた。私は本当に分らない。今のやり方で、得になる人がいるとは思えない。目先のことだけで言えば、確かに有利で得をする人たちがいるかもしれない。しかし政府も強調するように、国際競争力が落ちれば、勝者と敗者も、右も左も、企業も働く人も、与党も野党も 結局は同じ運命になる。それはいつか? それが一番問題だが、昔(?)と違い、時代のテンポは異常に早い。しかも国際的に見ても日本は世界1だと私は考えている。(自分はせっかちな結論を求める傾向のあることを承知しながら)恐らく、今の小学生は意外にも早く遭遇するだろうと思う。既に半分遭遇している。現在、経済・教育・社会の出来事は、意外なことばかり。意外なことが意外でなくなっている。出来事に反応できなくなっている大人の問題。国会もあーだこうだとやっている場合でない。やってもいいから、党利党略のレベルでなく、運命を共にすることを胆に据えて本気でやってほしい。メディアや国民も、親や大人の責任を果たすべく他人事ではないとを知るべきだ。子孫に残すのは世界一の国の借金だけではない。難に遭遇する子どもは何も言えず何もできないのだから。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )