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俳句に現れた八月十五日(1)

木曜日、。旧暦、7月24日。猛烈に蒸し暑い一日だった。終日仕事。

健康診断の性別(!)が間違っていたので、受診病院に問い合わせると、市役所のインプットミスだと言う。市役所の責任者にクレームをつけると、調べると言う。調べた結果、病院のインプットミスだと言う。はあ? 病院の担当者が、謝罪の電話を掛けてきて言うには、検査委託会社のミスだと言う。はあ? それで、責任はだれが取るわけ? 性別の間違いによって、本来正常のはずだった数値が3つも異常値に分類されてしまった。間違いを認めないメンタリティと無責任体制は、そっくり戦前体制と変わっていない。中国や韓国に批判されると、中国のチベット侵攻や韓国のベトナム参戦を引き合いに出して、悪いのはぼくだけじゃないもん、と幼稚に居直り、間違いを率直に認めることができない子どもじみたメンタリティに通じるところがある。自己批判は「自虐」などという低劣なものとはわけが違う。自己批判こそ、理性の働きであり、自己批判こそ、理性を野蛮に対峙させるものだ。



俳句で敗戦あるいは終戦がどう詠まれてきたのか、気になって調べてみた。たとえば、大型俳句データベースで「敗戦」「終戦」「八月十五日」を俳句に含むものを調べてみた。いくつか重複する俳句はあるが、結果は以下のとおりだった。

・「敗戦」を含む俳句のヒット数 105
・「終戦」を含む俳句のヒット数 120
・「八月十五日」を含む俳句のヒット数 25

全体をざっと読んでみたが、いい句がほとんどない。

木々のこゑ石ころのこゑ終戦日 鷹羽狩行

この句が印象的だった。

上の数字を見てみると、「敗戦」よりも「終戦」を詠んだ句が多い。ここで、「敗戦」と「終戦」という言葉について考えてみたい。初めに、ぼくのこの2つの言葉に対する一般的なイメージを述べて、次に辞書の定義等を検討してみたい。

1) ぼくの一般的なイメージ

「敗戦」という言葉は、「戦いに負けた」という意味だろう。あるいは「負け戦」という風にも読める。この言葉が使用されるコンテキストは、たいてい、戦いの主体が明確で、つまり大日本帝国であり、大日本帝国が侵略戦争を近隣諸国に対して始め、その戦いに敗れた、という場合が多い。つまり、「敗戦」には、第一に、その戦いが「侵略戦争」だったこと(自衛のためでも、アジア解放のためでもなく)、第二に、大日本帝国が、その戦争を始めたということ(戦争責任を問われる者が存在するということ。この意味で、戦争は完全に人為的なものである)。この2点が含まれるように思われる。

他方「終戦」という言葉には、戦いは自然現象という観念があるように思う。戦争はいつのまにか始まり、そうして、いつのまにか終った。そこには、人間が関与した形跡は少ない。あたかも台風か地震のような災害に似ている。ここには、戦争主体の観念は希薄である。しかし、それに巻き込まれた人々は辛酸を舐めた。早く通り過ぎてくれないか、と必死に祈った。ああやっと戦争は「終った」か。そんな庶民の安堵のため息も「終戦」という言葉には感じられる。

2) 日本国語大辞典の定義

2)‐1 「敗戦」

戦争、試合などに負けること。

2)‐2 「終戦」

戦争が終ること。また、戦争を終結すること。特に、太平洋戦争の終結について言うこともある。

この定義を見ると、「敗戦」が敗戦した者あるいは集団の存在が前提であるのに対して、「終戦」は、戦争を終結した者(集団)も開始した者(集団)も、まったく問題化しない。

日本国語大辞典を調べてわかったのは、この2つのことばが、いったいいつからテキスト上に現れたのか、という点である。面白いことに「敗戦」という言葉は、1901年の「一年有半」(中江兆民)にすでに出ている。他方、「終戦」という言葉が初めてテキストに現れるのは、1947年の「嫌がらせの年齢」(丹羽文雄)である。この二つのテキストのコンテキストを調べていないので、詳しいことは言えないが、少なくとも、「終戦」という言葉は、戦前には存在せず、第二次大戦後に日本語になったということである。

ここで、述べておきたいのは、「敗戦」は戦争主体や戦争責任を含むから正しく、「終戦」は主体や責任があいまいだから、俳句に使うのはけしからん、という単純な話ではない。

まず、始めに、俳句を作る者として感じるのは、この季語「敗戦日(忌)」あるいは「終戦日(忌)」という季語の使い方の難しさである。先の、データベースを調べても、手元にある歳時記を何冊か見ても、いいと思う句がなかなかない。これはなぜだろうか。その中でも、ぼくが感じるのは、「終戦日(忌)」を使った句の方が「敗戦日(忌)」を使った句よりも違和感が少ない。これはなぜだろうか。

こういった、問題圏である。これとは別に、ぼくは、個人的には、「敗戦」の方が、歴史的に見て適切な用語だと思っている。が、一方で、「敗」は「勝」と対の言葉である。「敗」は「勝」をめざし、「敗」は「勝」よりも価値が低い。そんなニュアンスを「敗戦」に感じることもある。他方で、「終戦」という言葉には、責任や主体の観念が希薄な代わりに、庶民の安堵感、大掛かりな洗脳システムの犠牲になり、生き残った庶民たちや兵士たちの本音が洩れ聞こえてくる気がするのである。





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コメント
 
 
 
敗戦と終戦 (哲野イサク)
2008-05-29 22:31:05
 最近原稿を書くのにつかれるとこのサイトを覗くくせがついて、いかんな、と思っております。しかしいろいろ興味あるテーマを提供してくれるので、つい、ふらふらと・・・。

 そうですか、敗戦が105で、終戦が125ですか。庶民レベルではほぼ拮抗しているということですね。

 以前政府関係のある機関で広報ビデオを作成するので、私が台本を書いたことがあります。そのテーマの歴史に簡単に触れる必要があったので、「敗戦のあとすぐに」という記述が、「終戦の後すぐに」と訂正されて戻ってきました。予想していた通りでした。といのは、政府関係の文書では、「終戦の詔勅」をはじめとして、「敗戦」と表記したしたものは、私が調べた限り一つもなかったからです。

 しかし、こんな広報ビデオまで、丁寧に直してくるとは、意外と神経質なんだ、この問題に関しては、とあらためて認識した次第です。

 「終戦」はなにはともあれ、政府の基本認識です。と同時に、「やれやれ戦争が終わった」という庶民の吐息が聞こえる、という大兄のご指摘も、私には説得力をもって響きます。

 また政府の、「この問題にはこれ以上立ち入るな」という硬い拒否の響きをもった「終戦」という言葉を庶民が、一種の安堵の気持ちをもって使っている、と言うことは、まだあの戦争に対するわれわれの清算が終了していないのだ、という感じを強く抱かせます。

 一方「敗戦」という言葉はどうでしょうか?私は敗戦、使うケースが圧倒的に多いのですが、時折「日本の降伏」とか「無条件降伏」という言葉も、文脈によっては使っています。

 「終戦記念日」の代わりに「降伏記念日」とすると、これは自虐史観、と言うことになるのでしょうか?

 敗戦、終戦、降伏、なにかいずれも、私の中では違和感を、少しずつ持っています。

 日本人全体がみんなで納得できる言葉を持つ必要がありますね。もちろんそこにいたるまでには相当真剣な掘り下げが必要ですが。

 終戦、敗戦を季語とした作品で見るべきものがない、と言う指摘は、結局われわれのあの戦争に対する掘り下げが甘い、ということの一つの反映という気が強くします。

ご迷惑でしょうが、またまた書いてしまいました。
 
 
 
思想的掘り下げ (冬月)
2008-05-30 00:41:52
■哲野さん、いつでも歓迎ですよ。ご返事は遅れることもありますが。

確かに、あの戦争に対する思想的な掘り下げは、課題でしょうね。それをいかに俳句や詩に表現するのかという問題も含めて。

3月10日の東京大空襲を詠んでみたのが次の句です。

東京大空襲
落椿受難絶えざる星の上

被害者という狭いナショナリズムに陥らず、しかも、悲劇を表現し、かつ、連帯の可能性も示すにはどうしたらいいのか。俳句の文法で、これを行うには、まだまだ、試行錯誤が必要です。
 
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