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逆襲するさらりーまん

ーやっとこさ英検1級、通訳案内士試験合格。しかし英語の道は長い。基本的にやり直し英語+その時々に思うことなど。-

通訳案内士 2 次試験 受験記録

2013年12月08日 22時29分38秒 | 通訳案内士 学習記録

今日、通訳案内士 2 次試験を受けてきました。

非常に疲れました。また、不完全燃焼の感が強いです。

受験報告を書いてみます。

場所は、東京に近い、千葉にある明海大学。僕の家からは 2 時間かかります。
2 時間の間にも、事前に作ったスピーチ 27 のうち、5 つに山を張ってシコシコと覚えていました。

受付開始は、午後 3 時半からですが、僕が会場についた 3 時半にはすでにかなりの行列が出来ていました。

受付を終えて待合室の大教室に入ると、300 人ほどの受験者がいました。年齢は若い人は少なく、中年以上の方が 8 割以上です。また僕は、ハローアカデミーの植山先生のアドバイスの通り、スーツにネクタイで行ったのですが、男性の 9 割がたの人がスーツ姿でした。みんな植山先生のアドバイスを読んでいるのかもしれない。

試験を終えた人がこれから受験する人と接触しないよう、管理は徹底していました。待合室から勝手にトイレに行くことは出来ず、必ず係員が同行します。

グルーピングされ、だいたい 10 人ごとに試験室に振り分けられていきます。
僕のグループの試験はたいへん遅く、午後 5 時過ぎから始まりましたので、2 時間近く待合室で待たされ、集中力の持続に苦労しました。

ようやく面接の順番が来て、面接室に入室しました。
試験官は、年配の小柄なネイティブの女性と、中年の日本の女性でした。

日本の女性が、『 荷物を一つの椅子に置いて、もう一つの椅子に座って下さい。』
と言ったので、Thank you. と言って荷物を置いて椅子に座りました。

日本の女性が、『 これから話す文章を英語に訳して下さい。そこに置いてあるペンとメモ用紙を使ってもかまいません。一度しか言いませんので注意して下さい。』

僕はそばにあるメモ用紙とボールペンを取って、聴く準備をしました。日本女性が話し始め、僕はメモを取り始めましたが、ボールペンがよく書けません。苦労しているうちに、女性が話し終わりました。なにか、浮世絵は江戸時代に日本の庶民に人気があり、ゴッホなど、印象派の画家にも大きな影響を与えた、と言ったように聞こえたので、適当に訳してしまいました。

次に、3 枚のカードから 1 つを選び、2 分間スピーチをして下さい、と言われたので、カードを観ると、『 新幹線 』、『 江戸について 』、『東北の見どころについて 』とありました。( 3 つ目は記憶が確かではない。)またしても、事前に準備していたトピックとは違います。

江戸について、は間口が広くとらえがたい、東北についてはほとんど準備していなかったので、『 新幹線 』を選びました。

そしてほとんど口から出まかせで話し始めました。

新幹線が開通したのは 1964 年の東京オリンピックの頃で、僕が初めて乗ったのは 10 歳のころだが、通常の特急が時速 100 ㎞ のところを 200 ㎞ で走ったので感動した。その後、新幹線のスピードは年々アップして今や 300 ㎞ 近くに達し、以前は 東京ー大阪間3 時間 10 分かかったが、今では 2 時間半に短縮している。また、九州や東北地方まで路線を拡大している。
僕も関西に出張するときは飛行機だと羽田まで 都心から 1 時間、伊丹から大阪の中心までまた 1 時間かかるので、飛行時間は 30 分ほどだか、都心からのアクセスを考えると新幹線が便利であり、今も新幹線をよく利用している。子供の頃の憧れと今の利便性で、新幹線はかけがえのないものになっている。というようなことをしゃべりました。まさに即興です。

時間は 2 分を 15 秒ほどオーバーしました。

質問は全てネイティブの女性からで、一つ目の質問は、『 山の手線の電車は走っているのが見えますが、新幹線は見えますか?(本当にこんな質問だったのだろうか?どこへ行けば観れるのか?の聴き間違いかもしれない。)』 僕は、『 新幹線のスピードは非常に速いので、ほとんど目に止まりません。』と答えました。

2 つ目の質問は、『 新幹線は何台ぐらい稼働していますか?』  僕は『 僕の想像ですが、1000 台ぐらいだと思う。』と答えました。

3 つ目の質問は、『 新幹線の中では、何か食べますか?』 僕は、『 駅弁を買って食べるのが楽しみです。』 と答えました。

これで面接は終わりで、最後に、『 お会いできてよかったです。またお会いしたいですね。』 というと、『 新幹線でね。』 と答えてくれました。

インタラクションは築けたと思いますが、最初の英訳とスピーチが今一つですので、合格の可能性は 40 %ぐらいだと思います。

スピーチのトピックが、『 日本の歴史上、もっとも重要な人物は?』 であれば、織田信長のことを話そうと、かなり準備して、暗記もしたのですが。。。

ということで、なんとも手ごたえのない出来でした。

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かずかず様 (かずかず)
2013-12-09 05:52:20
かずかず様

ご丁寧かつ思いやりにあふれるコメントを頂き、有難うございます!
かずかずさんはまず合格していると思います。僕の方はあいまいな手ごたえですっきりしません。
通訳案内士の試験は英検やTOEICと違い、年に1回しかなく、8月から最終合格発表の2月まで半年ごしの試験なので、また再び受けるのも先のながい話ですので、何とか合格していれば、と思います。
しかし、発表の2月までなにもしないと、また英語がなまりますので、通訳案内士試験はあくまで通過点として、僕も英語の勉強はずっと続けていきます。一緒に頑張りましょう。

終生30歳



終生30歳さま、こんにちは。かずかずです。以下、長文の書き込みになりますが、お許しください。

通訳案内士二次試験、お互いに疲れましたね。でも、とにかく終わりました。「不完全燃焼」で「合格の可能性は40%くらい」とのことですが、終生30歳さんは十分合格圏内だと思います。おそらく、本番の面接とご自分の準備や想定との乖離ゆえに、そのような感触をお持ちになっているのではないかと思いますが、実際の通訳案内士の現場では、好奇心あふれる旅行者は目につくありとあらゆるものについて、子供のように想定外の質問をぶつけてくることと思います。それに対してはガイドは、即座に当意即妙の答えをして旅行者を満足させなければなりません。したがって、通訳案内業とは「適当」と「即興」の連続なんだろうと思います。言葉に詰まって下をうつむいてしまうようなことがあったらマズイですが、記録を読む限りそのようなこともないようで、ご自身振り返っておられるように、十分「インタラクティブ」ではありませんか。

…と、いっぱしの通訳案内士のようにエラそうに書いてしまいすみません。そういうあんたはどうだったんだ? はい、レポートさせていただきます。

面接は午前中でした。通訳は、日本の地勢に関することでした。四方を海に囲まれている、国土の70%は山である、川は急な流れ、河口に平野が広がる、ざっとこんな内容でした。通訳案内士試験対策としては基礎的なレベルで対応可能なものと受け止められました。

プレゼンは、「旅館」「浮世絵」「観光地として東京が他都市と違う点(←記憶があやふや)」のうち、「旅館」を選びました。日本の伝統的な宿泊施設であること、共同浴場がある、浴衣を着る、食事は個室か宴会場で取る、温泉も多い、などと、旅館について話せることを、順に話していきました。特に構成というものはありません。用意していないテーマだからそうなった、というよりは、もともとわたしは構成はあまり気にしないという方針で、いずれのテーマでも原稿はつくっていなかった結果です。

質問は、浴衣とはどんなものか、何で出来ているか、食事はどんなものか、都会と田舎とどちらの旅館を勧めるか、などで、特に答えに窮するものはありませんでした。

別れ際もネイティブ試験官には笑顔で送り出していただき、好感触で、面接の内容そのものは、率直に言って満足しています、ただし次の1点を除いては。

プレゼンの制限時間は2分間、そのうち1分経過した時点でアラームがなる、そういう説明を聞いてはいたのですが、実際には1分経過後まもなくして、わたしはプレゼンを終了してしまったのです。

プレゼンをしながらアラームを聞いて、なぜか、あれっ?終わらせなきゃいけないのかな、と思ってしまったのです。先述のとおり、構成を意識しない方針でしたから、プレゼンを続けようと思えばまだ続けられました。だから、ちょっと迷っても、時間オーバーすれば試験官が止めに入るだろうくらいに思って続けてりゃよかったんでしょうが、模擬面接や英検1級の面接経験のせいでしょうか、アラームを聞くと、本当はアラームは1分後ではなく2分後になると説明したのではなかったのかな、と勝手に思い込み、プレゼンを終了させてしまったのでした。だから、わたしのプレゼンは、1分半にも及びません。

もしわたしが不合格になるとすれば、プレゼンがtoo shortだったというのが致命的だったと言わざるを得ません。

とはいうものの、その後のQAにはスムーズにつながりましたし、多数の受験生をさばかなければならない、迅速な試験の進行には貢献したわけだし(?)、そもそも終わったことをどうのこうのと言っても詮無いことだしと今では割り切っています。

試験を終えるといつも思うのは、結果がどうであろうと、英語の勉強は続くということ。これからも、遥か彼方の英語山の頂めざして、歩みを続けていきたいと思います。


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