気温は寒いのですが、関東地方は快晴の日が続いています。
英語学習も、TOEIC 900 点以上、英検 1 級以上になりますと、そろそろどう話すか、( How to speak) から、何を話すか ( What to speak ) の領域に入ってきます。
すなわち、『 英語が流暢だね。』『発音がいいね。』などと人から言われる技術的段階を脱して、話す内容そのものの勝負になってきます。
そこで、壁にぶち当たるのが、英語ネイティブの英米加豪人 (英語ネイティブはなにも英米加豪人だけではなく、シンガポール人にも香港人にもケニア人にも英語ネイティブはいますが、マジョリティとして)との思考回路というか発想の違いです。
彼らはこれでも同じホモ・サピエンスかと思うぐらい日本人とは発想が違います。
日本人は日本人として、アイデンティティを矜持し、なにも英米加豪人の猿まねをする必要はないのですが、少なくとも英米加豪人とフランクに議論をするには、彼らの思考回路、発想、精神性を理解する必要はあります。(一方、日本に来る外国人も少しは日本の歴史、文化を学んできて欲しいとは思いますが。)
瑣末なこととして、英米加豪人は、日本人よりエゴ(自我)を重んじる、ということがあります。(英語 の I (私)だけは、文中であろうが、常に大文字)
しかし、根源を突き詰めて 2 つ 挙げるとすれば、ギリシャ文明とそれを継承した古代ローマ文明、およびキリスト教ということになると考えます。また、キリスト教としては、聖書を読めばいいじゃないか、ということになりますが、旧約、新約聖書は隠喩や暗喩が多く、日本人には何が書いているのか、何が言いたいのか、さっぱり分かりません。
特に新約聖書の最後の 『 ヨハネの黙示録 』は僕も日本語と英語の両方で読みましたが、何が言いたいのかさっぱり分かりません。この辺りの理解がないと、一昔前のフランシス・コッポラの 『地獄の黙示録 』を観てもさっぱり分からないと思います。そもそも 『黙示』とは何か、の意味すら僕には分かりませんでした。
そこで、何か入門書はないか、とうろうろしましたが、古代ローマ文明もキリスト教も両方とも、非常に間口が広く、関連する書物も多く、日本人向けに中々ピッタリくる参考書はありませんでした。
が、次元の低いものではなく、精神性まで述べた入門書としては、キリスト教については、犬飼道子さんが書いた 『旧約聖書物語』『新約聖書物語』、古代ローマ文明については、塩野七生さんの 『ローマ人の物語』が最適だと僕は考えます。
入門書とは言っても、『旧約聖書物語』『新約聖書物語』は非常にボリュームがあり、『 ローマ人の物語 』に至っては、15 巻もある大著ですが、日本人にもよく分かるように、精神性まで触れた書としては、どちらも秀逸です。
実は、『旧約聖書物語』『新約聖書物語』は友人に貸したらそのままどこかにいってしまいました。
『 ローマ人の物語 』のほうは、一応買っておいたのですが、公私ともに多忙で、10巻で止まっていたのですが、会社の冬休みの間に 11 巻を読み、現在 12 巻目を読んでいます。
僕は、英語が好きな人、あるいは英語が得意な人は、ほとんど間違いなく読書家だと思っていますので、読書好きな人には、この 2 つの書物はかなり面白く読めると思います。(今では、アマゾンの中古本で安く入手出来ます。)
英語で、疑い深い人のことを、Doubting Thomas と言いますが、この辺の由来も分かるようになります。