ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

母のこと

2024年03月15日 | 介護
母は幼くして実母と姉を亡くした。
後から来た後妻に育てられた。
その母は小学2年生から家事を強いられた。
なぜなら後妻が次から次へと子供を産むからだ。
母は後から生まれた子供の子守も強いられた。
遊びに行くこともままならず、やがて日本は戦争に突入するのだ。
女子商業学校に進んだ母だったが、勤労奉仕で田んぼだか畑の真ん中でセーラー服にモンペでみんなで写った写真を見たことがあった。
女学校を出ると母は働きに行ったのだ。
実家を出た。
住み込みで働いていても給料の大半は実家に仕送りしたと思われる。
その間も後妻は次から次へと子供を産んだ。
子供が生まれる。
母は後妻がお産の度に実家に帰された。
母の青春時代は実家への仕送りと妹や弟が生まれると一旦仕事をやめて実家に帰されるのだ。
おそらく恋愛などとは無縁だったと思われる。
果たしてそこに楽しい青春時代はあったのだろうか?
楽しい思い出はあったのだろうか?
働いても働いても実家に仕送りをし、後妻が出産するたびに実家に帰されるのだ。

命の重さ

2024年03月15日 | 介護
母は93歳です。
その母が入院しました。
いろいろあった母の人生でした。
93歳まで生きていることを誉めてあげたいと思います。
母は痩せています。
一番太っていたときには60kgあった母が今では43kgです。
小さくなった母は外反母趾もひどくなりました。
自力で多少は歩けた母も車椅子になりました。
もう一度生まれ変わったら私はまた母の娘に生まれたいと思います。
生んでくれてありがとう!
育ててくれてありがとう!

20分間の面会

2024年03月15日 | 介護
母の入院している病院に面会に行った。
規定の20分間の面会はあっという間に過ぎた。
途中で訳のわからない話をしてくる。
すっかり痩せ細った母に昔の面影はほぼ無い。
私を娘だと認識はしているが、話はとんちんかんです。
何とか一日でも長生きして欲しいと思うのです。
若い頃からお産以外は入院したこともなかった母が、晩年何度か入退院を繰り返し、認知症にもなり、痩せ細っていく姿は悲しい限りですね。
数年前にペースメーカーを埋め込んだおかげで93歳の現在も生きています。
私からすれば天寿を全うしてもよさそうな年齢です。
まさかの母もこんなに生きるとは思ってもいなかったことだと思います。いろいろあった母の人生だけど、幼くして実母と姉を亡くした母には長生きできたことは良かったのかも知れませんね?

踏んだり蹴ったりの人生です

2024年03月15日 | 介護
全く私という人間は踏んだり蹴ったりの人生を送ってきたように思えます。
32歳で結婚し、40歳で母との同居です。
自由だったのはわずか8年間しかありません。
その後現在に至るまで、主人の病気入院や母の骨折入院やペースメーカーの埋め込みや、今回の急性胆嚢炎です。
私も更年期から別の病気になりました。
子供のころからの心臓肥大に加え、不整脈もありの私です。
そもそも亡くなった父が狭心症でした。
母は心房細動からの洞不全症候群です。
結婚してこの街に住んで友達を作ろうと思い、作った友達が皆さん年上でいつしか疎遠になりました。
なかなか友達を作る。
友達に合わせる。
ということは難しいですね。
自分の意見や考えを抑えなければなりません。
例えば友達とランチをする。
この場合は友達の食べたいものや行きたい店に合わせます。
友達とどこかに行く。
この場合も友達の行きたいとことに合わせます。
結局疲れて楽しめないんです。
気を使う。
神経を使う。
疲れるんですね。
ましてや私の周りにはシャンソン好きな友人も浪曲好きな友人もいません。
会話が成立しません。
会話が弾みません。
同じ趣味を共有する友人がいないのです。
悲しいですね。