30日にアップした『“今日”何かが起きる…かも』
のブログを見た人からお叱りのメールが届いた
「何も起こらなかったじゃないかっ!」 と…
絶句した僕は
「何も起こらなかった…のは
もしかして…僕が何も起こさなかったから」
という、凄い飛躍した論理で(パラノイア?)
一瞬「何か起こさねば」(犯罪者心理?)
という考えが脳裏をかすめた…
その時、カミサンが丸めた新聞紙で
僕の頭を後ろから「バシッ!」
で…我に返った次第
ま、本当の話はこれくらいにして…
日常の挨拶で「何も起こらないこと」は
「お変わりなく=無事な事=良い事」として使われる
代表的なのは『つつがなく』だろうか
ツツガとは病気や災難を意味した古い言葉
「病気や災難がない」ことを祈った言葉だ
たしかに、病気や災難、事故は不幸だ
何事もないことを願うのは当然の事
しかしだ…
人生において、何事もないことはあり得ない
冒頭の写真のように、南国の海岸で
日がな一日過ごすような一生は
少なくとも庶民には現実的ではない
病気、災難、事故、そして老いと死
日常でも人間との摩擦、愛する者との別れ
経済苦、仕事の悩み、家庭の悩み…
前も見えないほどの「人生の吹雪」 が
いつも容赦なく襲ってくる
むしろ、それが当然のような気がする…
セキュリティーのCMで
人間と化した犬が「誰!? 誰!?」と
ビクビク暮らす様子が描かれているが
あそこまでとは言わないけれど
「ただ、ひたすら何事もない人生を望む」のは
少し、あの犬のようなイメージを抱いてしまう
もちろん、何事もない平和を望むのは
議論の余地はない
しかし、せめて日常の挨拶に
後ろ向きではなく、前向きでダイナミックな
「つつがに負けず」
というのを加えてはどうかしらん…
その言葉を、近所・友人・同僚への
励ましの挨拶に使う
「やあ、どうも。元気?
今日もつつがに負けず頑張ろう」
「はい、そちらこそ、つつがに負けず頑張って」
という感じで…
そんな事を 南国の浜辺に寝そべりながら考えた…
← …でも、やっぱり、今日もつつがなく…
←そんなことより、腹減った…