ドラマ「ふぞろいの林檎たち」で有名な
脚本家の山田太一氏が
雑誌で以下のコメントを出した
『「あきらめるな」とよく言います。
だから誰でもあきらめさえしなければ
夢がかなうような気がしてきますが、
そんなことはあまりない。
頑張れば何でもできると思うのは幻想』
『普通がいいんだと思わなければ、
挫折感ばかり抱えて心を病んでしまう』
『可能性のよき断念こそ必要』
なんとも後ろ向きな思想というか
“辛い現世は諦めて生きろ”的な
現実逃避宗教のような発想で
僕は支持しない
もし、だ
山田氏の思想が世の主流だったなら
現代社会の生活に必要な
殆どのものは存在しなかった
地球上にある、自然以外の殆ど全てのものは
(携帯電話の中の小さなネジひとつにしても)
人類の飽くなき挑戦の賜物なのだ
それを、「あきらめ思想」の人が
「挑戦の賜物」を享受しているとすれば
なんとも皮肉なことではないか
「人生とはそんなもの」と大人ぶって
山田氏のような意見を言う人を
僕は「生きる屍」と思ってしまう
山田氏は「挫折」を悪いもののように言う
しかし、宇宙は「挑戦と勝利」と「挫折と敗北」の連続だ
だが宇宙は成長することを「あきらめない」
人間の体内も、山田氏が意識するしないに関わらず
外敵の病原体と白血球は、壮絶な戦いを続けている
その闘いを白血球はあきらめない
山田氏は自身の白血球に言うがいい
「いつか僕は死ぬ。だから無駄な闘いだよ
あきらめて良いよ」と…
そして「最初から生きるな」と言えばいい
彼がもっともらしく、インテリぶって説く
「あきらめ」は、人をどんより暗くさせ
輝かしい生きる光を消している
彼の説は「悪い言論」と言いたい
感動した話がある
1924年6月8日、英国人の登山家ジョージ・マロリーは
エベレスト登頂を目指したが、途中で行方不明になる
彼は以前、記者から質問を受けた
「何故、山に登るのか」
彼は答えた「そこに山があるからだ」
その彼がエベレストで行方不明になったのだ
それから75年後の1999年5月
標高8,160m付近で、凍りついたマロニーは発見された
頂上まで、後700mほどの地点だ
彼は、あと一息の所で力尽きたのだ
その姿は、うつ伏せで
頭は頂上を向き、手は上の岩を掴んでいた
彼は死ぬ寸前まで、登頂をあきらめなかったのだ
山田氏に言わせれば
彼は挫折した人間なのだろう
しかし、僕はそうは思わない
彼は、不屈の精神で
最後まで登攀をあきらめなかった英雄だ
英雄の生き様は、人に感動を与える
人に生きる希望を与える
だから、あきらめない生き方が正しいのだ
と…思うが、どうです、山田先生?
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