定期購読している某雑誌を読んでいたら
米国での児童虐待のことが書かれていた
両親の暴力もさることながら
薬物中毒やアルコール依存症の親を持つ子供は
精神疾患を含め様々な病理的な
症状を示すことが多いという
だが、そんな劣悪な家庭環境でも
病的な傾向を示さない子もいる
その子らには、ある特徴があった
近所に「メンター」の存在があったというのだ
この聞きなれぬ「メンター」とは
心理学用語で「良き助言者」の意で
子供の悩みに耳を傾けたり
アドバイスを与えたり
子供の苦しみを分かち合ってくれる人
または「元気?」「ご飯食べてる?」と声をかけ
自分を心配してくれる存在の
近所のおばさんやお兄さん等が
これに当てはまるという
声をかけることで
子供の心が癒されるのだ
多くの大人は
この声かけを実行すべきなのだが
ここで問題がある
現代の都会では
「声かけ」=「不審者」
と思われてしまうのだ
先日も、ある老人が子供たちに
「早く帰りなさい」と言ったところ
老人は不審者扱いされた
それが「危機情報」として
区民にメールが回ってきたのだ
「用心してください」と…
それを知った老人は激怒した
「子供を心配して声をかけたのに
何故、不審者扱いなのか!」と
一方で、本当に不審者が
悪戯目的で声をかける事例も多い
その声かけの多くは優しい言葉だという
なんとも厄介な問題だ
子供を守ろうとする大人と
子供を毒牙にかけようとする輩が
同じ土壌で一緒くたになって
共に判別が出来ないでいるのだ
しかし、自分に火の粉が降るかかるのを恐れ
このまま手をこまねいていては
地域も社会もカオスと
汚泥のスパイラルに陥ってしまう
すくなくとも僕は
沈んだ子を見たら
「大丈夫?」「元気かい?」と
声をかけるつもりだ
不審者扱いされ侮辱されても
それで子供が“もし”助かるなら
「メンター」として誇り高く
敢えて侮辱を受けようと思う