ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

アヘン戦争と林則徐、そして幕末の日本の英傑(高杉晋作・島津斉彬・吉田松陰・西郷隆盛)はアヘンを強く禁止、

2024年05月03日 | 政治

ロバート・ケネディJr氏の発言(アメリカに於いて)
1,政府が国民から奪った権力は、決して自発的に返還されることはない。
2,政府が獲得するあらゆる権力は、最終的には可能な限り最大限に乱用される。
3,誰もが従順に従った挙句、全体主義から抜け出すことはできなかった。

アヘン戦争について6分でわかりやすく解説!なぜ英清戦争と呼ばないのか?
香港の割譲はこの戦争に負けた時・・・しかし今の香港は中国共産党に蹂躙され、不幸です。



満州だけではなかった、内蒙古でも・・・戦費に用立てられたアヘンの売り上げ

〈中国に於ける阿片取引は二つの理由によつて、日本政府の系統的政策であつた。第一に、内蒙古占領に続いて日本人により立てられたる傀儡組織であつたところの蒙疆自治政府は、罌粟の栽培を習慣としてゐる内蒙古で阿片を購ふ事に依つて財政的不足を解決せんと努力した〉

要するに、満州につづいて日本軍が占領支配した蒙疆(現在の内モンゴル自治区)政府の財政は、アヘンの売り上げで賄われていたということだ。

これは1980年代、江口圭一・愛知大名誉教授(故人)が発見した日本側資料によって裏付けられた客観的な事実である。

文書は、第二に日本政府自身も〈戦争に依る経済的困難〉を切り抜ける道としてアヘンに頼ったと指摘している。

ブログ主・・・ 私は中国のドラマをよく見ていて、東北地方(満州を指す)で悪質なアヘンが日本軍によってつくられた、清国の末期に「アヘンは嗜好品として富裕層にも広がっている、ただし東北(満州)で造られているのは、質の悪いアヘンだ」「貧民街ではアヘン中毒者が溢れている」・・・
「日本が満州でアヘンを作って中国の商人に売り、儲けた」というのは本当だろうか、と悩んだ。
きっとこのことを書くと「左派だ」「共産党だ」と決めつけられるだろう。これがどれほど言論の自由を阻害し、文を書くのが恐ろしい思いをするか・・・私は何度も怖い目にあった。
しかし、どうしても気になって仕方がなかった。

あの勇気ある英傑の「林則徐」がイギリスから運ばれたアヘンを焼却処分にし、アヘンを厳しく禁止したが、イギリス軍によって「アヘン戦争」が起こり、北京まで追撃されて、林則徐は新疆に流されたことなど、悲劇のヒーローだったが、私は本当に尊敬していた。今もそうだ。
その時の日本の対応も素晴らしかった。
日本は「アヘン戦争」の実態をきいて、幕末の高杉晋作・島津斉彬・吉田松陰・西郷隆盛
らがアヘンの流入を厳しく取り締まるように活動した。これは今の日本にそのまま受け継がれている。(ただし先の戦争時以外)

中国は今でも薬物に対して厳しい。(ただしマフィアはそれを売買している)
それはこういった歴史があるから、しかし中には中国共産党に弓引く文化人や一般人・旅行者を「アヘン・薬物」という嘘を理由に無茶な逮捕・投獄があるのは「全体主義国家」のいつもの手口だ。
日本人も中国の空港を出る時に、ポケットに知らない間に薬物を入れられていないか、恐怖がある。
私は「三国志」の関羽の青龍刀のおもちゃを空港で長時間質問され、「おもちゃだということがわからないのか!!」と怒ったことがある。あの時は強気だったが、今の習政権ではどうなったかわからない。

「尖閣」の歴史の第一人者である石井望先生が香港大学で講演をし、帰りに「もし私が帰国できなくなったらいろんなところに知らせてください」と仰るので、クラインさんや三宅夫人と心配したものだった。
無事に帰国されてホッとしたが、それはあの香港での中国共産党が弾圧した少し前だった。

中国のドラマを見て時々気が付くのだけれど(いわゆるラブ史劇というのは省く)
旧ソ連のボリショイオペラやバレエ、オーケストラ、文学などのように、ひそかに「当局」に抗っているところがある。文化は政治の提灯持ちだったらすぐに問題にされなくなる。そういうものだ。
「三国志」「史記」「漢詩」などは私は常に惚れ切っている。
男が男らしく、女は女らしく・・・これはイタリアのオペラ専門家が最初に教えたことだ。
これが成り立ってオペラの本質が発揮される、と。
思い切って言ったものだ・・・

提灯ものの動画などや月刊誌で「スカッとするような気分」を味わって、それまでの「左派」(左派といっても何通りもある)の反日本の自虐史観を覆されるのを喜んだが、一方「これは変だ」とプロパガンダもあることに気が付いた。
たとえば異常なまでの「皇国史観」であり、同調しないとすぐに「不敬」という。

自由な意見を暴言で阻止しょうとする「死者に鞭打つのか(これは伍子胥をわかっていない)、「反安倍」「また安倍叩きか」「そんなことを言うのは日本人ではない」などの圧力、これをヒシヒシと背中で感じながら・・・疑問は疑問として、間違ったことは間違いだと言えるように・・・派閥や党派で自分の意見を言いにくくなるのは私のいる場所ではない・・・・・。
「左派」「右派」どちらにもファッショやプロパガンダがある。
おカネや宗教が絡むとわけのわからないまま、政治が国民を圧するのだ。


さらりんんさまが紹介をしてくださった北条泰時と蓮生法師の問答の詩が心に浮かび、昨夜は亡き父の夢を見た。父を誘って新しい綺麗な列車に乗り、喜んでもらった、という内容でその車窓の美しい景色は今もオールカラーで覚えている。
父が認知症になって、春と秋にはタクシーに乗せて六甲山や神戸の名所に連れて行った。
その時は「綺麗だなあ」と喜んでいたが、家に帰るとすべて忘れていた。
そして私はいつもよりご馳走を作り(この頃は頑張って料理した)楽しい話をして父を喜ばせた。
こうしてさらりんさまが寄せてくださった北条泰時と蓮生法師の詩で、夢の中で楽しい行楽ができた。
本当に久しぶりの楽しい夢の時間だった。感謝感激です。


ブログのティールーム
抹茶入玄米茶 – 相馬みどり | 美味いもん 相馬本家

前回の「ブログのティールーム」で偉大なソプラノ、エミー・デスティンのことを少し書いたが、デスティンの歌唱は入れなかった。20世紀初頭の録音は電気録音でなく、聴きづらい。そこで最近電気処理されて当時の声を再現したものがあった。
エミー・デスティンについて・・・
第一次世界大戦でボヘミアが蹂躙されている時に、メトロポリタンのプリマドンナの地位を投げうって、故郷のボヘミアに帰り、スメタナやドヴォルジャークの歌を広めた。
やがて彼女は敵国に逮捕・投獄され、健康を害してまもなく亡くなった。

実際にデスティンの偉大な声を聴いた若きルービンスタインは「今は驚異的なテクニックを持つピアニストがおおいが、その人たちはいつになったら『音楽』を聴かせるのか?私が若き日に聴いたエミー・デスティンの歌は私のピアノ演奏に大きな影響を与えた。私は彼女の歌を思うと今でも涙が流れる。心に染み入る芸術だった」
また若き日のフラグスタートもデスティンの歌を聴いてオペラ歌手になることを決意したという。
デスティンがイタリアの作曲家「トスティ」の歌を歌っていたのは、メトロポリタンの偉大なカルーソに影響されたのか、「祖国統一運動」に共鳴したヴェルディやトスティなども得意とした。
曲はトスティ「最後の歌」をお聴きください。

Emmy Destinn - L'ultima canzone [Tosti] - 1916



夏の花 に対する画像結果


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