ベッラのブログ    Bella Cantabile  ♪ ♫

日本を愛し生涯音楽に生きる声楽家ベッラのブログ。

「日本はどうなるのだろう」愛国者の声

2016年07月25日 | 政治

参議院選挙からあまり面白くない気持ちだったが、京都の〇氏と電話でお話をした。
〇氏はご年配の男性でご夫妻ともにお付き合いをしているが、自民党圧勝の中で「日本はどうなるのだろう」とご心配をされていた。
そうとも知らず「日韓合意」の意見の食い違いから私は西田先生の会にも行かず〇氏とも疎遠になってしまっていた。

今は「西田先生は変わってしまわれた」と嘆いていらっしゃった。
「日韓合意」の時は〇氏は自民党を擁護され、私と意見が違っただけにこの言葉を発せられるとは意外だったが、やはり愛国者である。
青山氏の発言にも疑問を持たれていた。

「もう疲れた・・・」と仰った。私も疲れた・・・。
「日本を護る政治家が当選しない」と嘆いていらっしゃったので「これぞと思う政治家は潰されるのですよ」とお答えした。
私は〇氏には言わなかったが、いろいろなことで怒り疲労困憊していた。

身体的・精神的な疲れは「気分転換」が必要だ。
別の脳を使うことであると思う。


ブログのティールーム



かつてホセ・カレーラスの抒情的な歌と声が素晴らしくて、よく聴きに行った。
オペラ以外でもリサイタルは何度も行った。
その頃は即興的な伴奏をしつつ声のことを知り抜いたヴィンチェンツオ・スカレーラが伴奏した。
スカレーラはミラノ・スカラの副指揮者も兼ねていた。このyoutubeもスカレーラが弾いている。

この曲は純情な青年が評判のよくない美女に憧れ、「あの人はそんな人じゃない」と歌う、カレーラスの声と風貌によくあったスペインの歌曲で、バルセロナ出身のカレーラスは好んで歌っていた。
曲名は「酒場の女」と訳されていたが、「そんなことはあり得ない」というのが本来の訳である。
傷つきやすい青年の純情さが歌われている。

Josep Carreras: "No puede ser" - 1984 Calonge Recital


その後、カレーラスは白血病に冒され闘病生活を続けるが奇跡的に回復した。
再起のリサイタルの時はステージの上に多くの赤いバラが並べられたという。
今は既にオペラを引退した。歌曲だけのリサイタルしか開かない。

私がはじめてこの曲を聴いたのはドミンゴが歌ったもので、カレーラスとは対照的な印象だった。
純情な青年の歌というよりも世慣れた男性的な情熱が溢れているように感じた。
(曲の内容は純情な青年の初恋だが、ドミンゴが歌うとそうではないような・・・。)

Placido Domingo-No puede ser-7/7/1990 Rome


この曲は当然ながらスペイン語で歌われ、イタリアの名歌手はほとんど歌っていない。


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ヴァイオリンの巨匠メニューインのこと

2016年07月24日 | 政治

メニューインの弾くメンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」を3分弱とりあげたyoutubeを貼った。
このように「誠意」を尽くす演奏は心地よい。


ブログのティールーム


★ 3分間、20世紀の巨匠メニューインの弾くヴァイオリンを・・・メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲より

Yehudi Menuhin plays Mendelssohn violin concerto


メニューイン・・・ユダヤ人ヴァイオリニスト、メニューインは、「ヒトラーのドイツは滅びたのです」と言って、ドイツとの和解を呼びかけたが、彼のこうした姿勢はユダヤ人社会の憤激を買った。この為、ユダヤ系音楽家が支配的なアメリカ楽壇から事実上追放され、移住したイギリスを拠点に活動するようになる。イスラエルに対しても、晩年まで批判的な姿勢が見られた。

ソ連を批判したチェリスト、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチが、その反体制的な姿勢からソ連当局から嫌がらせを受け、出国を妨害された際には、自らソ連当局に圧力をかけるなど、共産主義体制下のソ連音楽家を支援している。(WIKI)

メニューインの優雅な奏法はさすがである。
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名歌手ビルギット・二ルソンの忘れがたき名唱

2016年07月24日 | オペラ
  
Birgit Nilsson - Tosca: Vissi d’Arte (1961)


コッピーさま、ビルギット・二ルソンの忘れがたきプッチーニ「トスカ」のアリア~歌に生き愛に生き・・・をどうぞお聴きください。
二ルソンのダイアモンドのような硬質の美声はイタリアの歌手とはまた違った魅力があります。

ここにはヴァーグナーをUPせずイタリアオペラの「トスカ」を選んだのですが・・・。

二ルソンやその前の時代のフラグスタートの自伝を読みましたが、フラグスタートの時代はナチスによって大変な受難を痛々しく思いました。ヴァーグナーを歌ったことがナチスとつながったように見られる硬直した戦後の犠牲者でもあり、
名歌手が浴びた喝采より中傷が上回った時代でもありました。

二ルソンはフラグスタートの後のソプラノですが、その点は幸運だったと思います。
彼女に会って、プリマドンナ然としたところはほとんどなく、優雅でありながら包容力に富んだ暖かい人柄を感じました。



二ルソンとよく比較される「神のようなフラグスタート」ですが、そのフラグスタートの歌う
ヴァーグナー「タンホイザー」から~歌の殿堂、を貼り付けておきます。

Kirsten Flagstad: Wagner - Tannhäuser, 'Dich, teure Halle'


戦後まもなくフラグスタートのこの曲をじかに聴いたドナルド・キーン氏は「戦後の粗末な舞台装置であったが、彼女が出てきて一声歌ったときそこは輝かしい宮殿にかわったような気がした」とその感動を書いています。

お役に立てれば幸いでございます。




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時々ブログを休んでいた・・・でも訪問してくださってありがとうございます。

2016年07月21日 | 政治

何かと多忙でブログを2日休んでしまいました。
選挙前からも時々休んでいて気になっていたのですが、とにかく書こうと思いました。

この頃、しっかりしようと思っているのですがどうもカラ元気というか、気力が以前のようではなくてこれではダメだと反省。
すべきことは多いのですが思うようにできていません。
暑さのせいだけではなく自分自身の責任です。ミスも多く嘆いています。

世界のニュースはどれも大事件が多いのに書けませんでした。
Katachiさまがくださったコメントに元在特会の桜井誠氏が北朝鮮のミサイルに対して、東京の朝鮮総連本部前で抗議の演説をしていることが書かれていて、さっそくyoutubeを見たのですが、先日の三宅博氏の激しくも鋭くしかも格調高い朗々とした演説を思い出してしまいました。
もう決してこのような至誠の政治家は出てこないと思うのです。
「義」と声高く言いながら他を中傷することの多い中で、三宅氏の存在は清冽そのものでした。
選挙は終わりましたが、三宅先生の堂々たる演説は国士無双です。

老親を介護している時「水滸伝」を吉川英治の本で愛読していました。(未完の名作で、その文章の美しさに魅了されていました。)
宋の時代、文化爛熟で夜間も煌々と明かりがともされ、首都の「東京(とうけい、また「開封」とも書かれている。)」は商業と文化でおおいに栄えていた時代ですが、外国の勢力は粛々と「宋」を狙っていました。
しかし趣味に没頭する皇帝、そのとりまきの廷臣や高官たちは皇帝を諌めることもせず、高官たちの汚職は蔓延していたのです。

当時の皇帝は絵や書で「芸術家」として有名な「徽宗」ですが、政治よりも趣味に生きていました。
今でこそ徽宗の絵や書は貴重な文化遺産ですが、徽宗の無関心と国政放置が国を滅ぼすことになり徽宗自身も侵略国に連行され、その地で没します。
「徽宗」の絵や書は先年の台湾からの國立故宮博物院に出展されていたので実物を鑑賞できました。


「水滸伝」は徽宗に直訴しようとする英雄豪傑が梁山泊に集いますが、悲劇の結末です。
その後、文武両道の英傑「岳飛」が皇帝を諌めようとしますが高官にハメられ、捕えられて悲劇となります。
むしろ敵の勇将が岳飛の素晴らしさを称えるのですが、宋の内部は政治的無能の皇帝をはじめ、有能で勇気のある岳飛に嫉妬する高官らの巣窟でした。

私は「岳飛」の書の写真を持っていますが、それは三国志の「諸葛亮」の「出師の表」です。

選挙もこの「水滸伝」や「岳飛」の物語を思い浮かべました。
「理解されて当然」の世の中ではない、そこまでひどい状態と思いました。

三宅博先生のサイトに新しい文が更新されていたので、どうぞご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/yaonomiyake/e/a36378cf4acc6af97bcbabb40f2a9709

そして天下の国士である三宅博先生の思いをどうぞ読み取ってください。
このことはまた書きたいと思います。



・・・「岳飛」の書、諸葛亮の「出師の表」を書いたものです。私が持っているのは歴史雑誌の付録ですが全文の拓本の印刷したものなので大切に保管しています。

                   

ブログのティータイム


本日はエディット・ピアフが歌う Non, je ne regrette rien
(日本では「水に流して」という曲名ですが、和訳は「私は決して後悔しない」)

Edith Piaf - Non, je ne regrette rien




Non ! Rien de rien ...
Non ! Je ne regrette rien
Ni le bien qu'on m'a fait
Ni le mal tout ça m'est bien égal !
Non ! Rien de rien ...
Non ! Je ne regrette rien
C'est payé, balayé, oublié
Je me fous du passé!
Avec mes souvenirs
J'ai allumé le feu
Mes chagrins, mes plaisirs
Je n'ai plus besoin d'eux !
Balayés les amours
Avec leurs trémolos
Balayés pour toujours
Je repars à zéro ...
Non ! Rien de rien ...
Non ! Je ne regrette rien
Ni le bien, qu'on m'a fait
Ni le mal, tout ça m'est bien égal !
Non ! Rien de rien ...
Non ! Je ne regrette rien
Car ma vie, car mes joies
Aujourd'hui, ça commence avec toi !


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義とは?

2016年07月18日 | 政治

義とは正しい行いを我が身をかえりみずにすること。
それは自分から言うものではなく、他から認識され讃えられるものであろう。


キリスト教では「神の前で」という意味があるほど厳かなもの。
イタリア語ではgiustizia、「正義」である。

★ 本日はヴェルディのオペラ「トロヴァトーレ」から
フランコ・コレッリのテノーレ、ジュリエッタ・シミオナートのメッツオ・ソプラノで。
指揮はカラヤン。ヴェルディは民族が違うそれぞれの「義」を描いている。


franco corelli,mal reggendo all'aspro assalto,(trovatore)


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