ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

国士、門脇朝秀先生がご逝去、三宅博先生はいつも門脇先生のことを敬意を込めてお話されていました。

2017年06月26日 | 政治

6月13日に門脇朝秀先生が亡くなられた。
104歳だった。ご本人とご家族のご希望で内々の家族だけでご葬儀を行われた。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

門脇先生は関東軍奉天特務機関に勤務、その後南満州鉄道会社に派遣。
昭和20年8月の終戦、旅順大連地区占領のソ連軍厳戒包囲網を突破、在奉天米軍情報部に交渉、在留邦人22万人の帰還に尽力、昭和22年に帰国。


三宅博先生が深く尊敬されていた門脇先生、
戦後、大陸から無傷で飢えさせることもなく無事に日本人を帰国させた根本中将の実話は三宅先生と門脇先生がよく語られていた。

三宅先生は門脇先生という優れたお方に巡り合えたこと、門脇先生から貴重なお話を伺えることの喜びと感動を繰り返しお話された。
最後の選挙でも「根本中将」の偉業を語られた。下記の文はその一部である。

三宅先生のWEBサイトから
http://blog.goo.ne.jp/yaonomiyake/e/66f02fb14f52325dd1ec0f6e46203e6d

先の大戦の時に満州にいた130万日本人の居留民、これを本来無事に帰さなければならないのに、無傷の100万関東軍は共産主義に対する非常に甘い幻想があったのか、そうした中でソ連に騙されて、満州は混乱の極みにあるので列車で満州を迂回して日本に帰すという甘言にやすやすと乗ってしまって、シベリアの地に送られて奴隷同様の強制労働をさせられて20万人以上が殺された。
そして何よりも満州にいた130万日本人同胞はあのソ連軍に略奪・凌辱・殺人、混乱の極みで数十万人が殺されていった。

関東軍はなぜそんなバカなことをしてしまったのか、彼らの非常に大きな勘違いは「軍の使命は国家の権益を護ることが最大の使命」であると彼らは勘違いしていて、武装解除の命令にやすやすと乗ってあのソ連の本質を知らずに100万関東軍と共に130万人の同胞を地獄に追いやった。
これを我々はもう一度見直さなければならない。
同じ時に蒙古、今の南モンゴル、これは満州と中国の間にある。 
駐蒙軍の司令官は根本博さんという陸軍中将であった。
根本さんは大本営にいる時に情報担当ののシナ班の班長であり、ソ連班の班長と同僚であり、ソ連共産主義の非人道的な本質というものを非常に厳しく認識をされていた。
だから彼は支那派遣軍の総司令部から「武装解除をしてソ連に武器を渡せ」という命令に反抗して「我々は絶対に武装解除に応じない、我々の使命は4万人いる蒙古の居留民を無事に日本に帰すことだ。」と敢然とソ連と戦って4万人の蒙古にいる居留民と30万人以上いる駐蒙軍将兵を無事に日本に帰した。
最終的には蒋介石との話し合いでそういう話がついて実現されたのだけれども。
根本さんは4年後の昭和24年に台湾の金門島の闘いで中国大陸から侵入してきた中共軍を木っ端微塵に全滅させ蒋介石にご恩返しをされた。
彼は軍の使命というのを非常によく理解して、中国の共産党八路軍そしてソ連共産軍、この連中は絶対に心を許してはならないということをよくわかっていたので、武装解除に応じずに敢然とソ連軍と戦って無事4万人邦人を日本に飢えもなく帰した。

あの100万無傷の関東軍の思い違いによって何十万人の人間が殺されていったのか。 
今申し上げた構図がアメリカにおける、或は外国における日本の外務省の外交官たちとの姿勢と本当にだぶる。

アメリカ各地でいろいろと「従軍慰安婦像」が建てられ、それに対して日本の駐在員のご家族の方たちが「学校で子供がいじめられて殴られて帰ってきている、何とかして嘘に基づく不名誉を取り払ってほしい」と言っても微動だにせず全く動かないのが日本の大使館・領事館である。
それは彼らが関東軍と同じ大きな思い違いをしていたからこういうことになってしまった。

彼らはビザの発給であるとか事故がある時は最低限の対応はするが、それ以外の日本人の名誉を護る、或は在外邦人の個々の安全と名誉を護るのは自分たちの仕事ではない、と勘違いしている。 
だからこういうことになっている。
あの71年前の関東軍の思い違いと全く同じ構図がが今の外務省に見られる。   
官僚とはこういう落とし穴に陥ることが往々にしてある。
本来なら政治家がそれを正さなければならないのにそれが全くできていない。(以上)

 ★ 三宅先生は最後まで「門脇先生ともう一度台湾に行きたい」と仰っていたと三宅夫人からお伺いしていました。
ああ感無量です。国士のおふたり天国でお話されていることでしょう・・・。

門脇先生は「残った者にはそれなりの使命があるのです。ただ歳をとって今日一日楽しくでは何の為に生き残ったのかわからない。
私の代わりに何百万という人が死んでいるのですから、その人たちに冥途に行ったら怒られます。
しかし私は「いや、あなた達の代わりに一生懸命やった」と言えるようにしたいのです」と語っていらっしゃいました。





「ブログのティールーム」は休みます。

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【戦後日本よ、今】西部邁大いに語る-ファシスタたらんとした者

2017年06月24日 | 政治

★ 西部邁先生ご出演、楽しみに待っていました。
西部先生の鋭く素晴らしいお話は私は「頭の体操状態」にもなっています。


2017/06/24 に公開
西部邁氏の新著『ファシスタたらんとした者』を引きながら、戦後日本と近代主義について語り合っていきます。

出演:
 上島嘉郎(元産経新聞社『月刊正論』編集長・ジャーナリスト)
 澤村修治(評伝作家・帝京大学非常勤講師)
 西部邁(評論家)
司会進行:水島総(日本文化チャンネル桜代表)

【戦後日本よ、今】西部邁大いに語る-ファシスタたらんとした者[桜H29/6/24]










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【クライン孝子氏】戦後ドイツの偉大な政治家、故ヘルムート・コール氏の事績を振り返る

2017年06月23日 | 政治

【言いたい放談】戦後ドイツの偉大な政治家、故ヘルムート・コール氏の事績を振り返る[桜H29/6/22]

ベルリンの壁崩壊は一滴の血も流さずだった。

この時のことをクライン孝子氏がお書きになった「ベルリンの壁:崩壊20年式典」の一部をご紹介します。


6月に入ってゴルバチョフがボンを訪問した時は、ソ連は食糧危機に見舞われ、コールに食料品を援助してくれないかと頼んでいる。

これを知ったコールは早速「ベルリンの壁」崩壊と同時にドイツ統一の話までゴルバチョフに仕掛けている。
どこまで本気なのか、ソ連がかなり深刻な経済危機に面していることは事実で、この時ゴルバチョフはライン川を見詰めながら「ライン川の水の流れは、せきとめられない」と暗示的なコールに話している。

早速コールはこのことをミッテランに伝えている。
そこでミッテランはゴルバチョフに電話をいれて、何があっても今回の件では武力を行使しないとの約束を取り付けている。
その後ゴルバチョフはをパリへ飛び、ミッテランと会い、さらにこれにミッテランは三項目の条件とつけている。

1.ドイツが東部旧ドイツ領土を放棄すること
2.ドイツが核兵器、細菌兵器、科学兵器製造を放棄すること
3.ドイツがドイツマルクを捨ててユーロ導入に賛成すること。

コールは最初の頃はこの条件を呑むのをためらっていた。
かくして1989年11月9日、真夜中「ベルリンの壁」は崩壊した。
そのドイツ人の歓喜はいかばかりであったか!

これは平成5年の天皇陛下のお歌にもある。ベルリン東西を隔てし壁の払はれて「歓喜の歌」は我を迎ふる

さても「ベルリンの壁」はゴルバチョフの約束どおり武力による鎮圧はなく、無事無血で終った。
経済破綻したソ連である。西側、特に西ドイツのヘルプを期待してソ連は、「ベルリンの壁」撤回との引き換えにカネとモノによる支援約束を、優先させたのだ。

このことに胸を撫で下ろしたものの、ミッテランは次の課題で悪夢にうなされることになる。

だがこの先、ドイツが「統一」という課題をオモテに出して来ることは、間違いのない事実で、コールも遭えば、この問題を取り上げていた。
そのため先の欧州議会で「統一」を口にしたこと、コールに促され記者会見をしたことも事実である。

しかし、「統一」を実現することには内心反対だったフランスの世論も反対が大勢を占めていた。
ドイツは東西に分断したままの方がいいというのだ。「ル・モンド」紙もこの問題に関しては、消極的なコメントしか出していない。

11月18日EU12カ国のトップ会談を行なわれた。
この時サッチャーなどは、ドイツ再統一など論外とばかり、「絶対反対!}をまくしたて一歩も譲らなかった。
多くの国もそれには同調しているようだった。

この模様を一部始終目撃していたコールは11月28日、ドイツ統一に関する10頭目を突如公表する。事前に何の相談も受けなかったミッテランは怒りをあらわにする。

12月15日 早速マルタで、ブッシュ+ゴルバチョフ会談が行なわれた。この際ミッテランは事前に彼らの意見を打診している。
その答えはこうだった。

ゴルバチョフ「21世紀の課題であり、ドイツ統一は百年かけて行なえばいい」
ブッシュ「ドイツの統一? 早くても20年くらい掛かる。心配することはない」

12月20日、ミッテランはボンのコールを訪ねたあと、東独へ出かけている。
西ドイツではすわっ、ミッテランが「統一」反対を唱えて東独を挑発するのではないかと、色めきたち、ドイツ国民は息を詰めて彼の行動を見詰めていたものだ。

結果はどうだったか。「統一するにしても民主的でなければならない」と暗に東独体制をちくりと皮肉りながら、統一に「ウイ」のサインを入れるものだったのだ。

これには理由がある。

1.東独国民の大半が「統一」に賛成していた、
2.「ベルリンの壁」崩壊とこの東独の動きを第二次世界大戦後、ソ連の隷下におかれ辛酸を嘗め尽くして
きたワルシャワ体制に組み込まれたいた東欧諸国が「ビロード革命」と称して、ドミノ現象を起こして、ソ連からの脱却を始めた。
ポーランド、チェコ、バルト三国・・・最後は何と12月25日、キリスト教の最大の行事であるクリスマスの12月25日に、ルーマニアの独裁者チャウシエスク夫妻が射殺されたことだ。

翌年1990年1月4日コールの姿はミッテランの家にあった。
二人は最終的に「ドイツ統一」にゴーサインをいれその条件として

先の
1.30%に及ぶ旧ドイツ領土の放棄
2.ABS兵器製造の放棄
3.マルクを放棄しユーロを導入

さらに独仏両国はソ連の窮状を救うために援助することで合意した。


90年2月10日、コールはモスクワに飛びゴルバチョフと会談し、ゴルバチョフのゴーサインを貰う。

ただしゴルバチョフの条件は

ドイツはNATO加盟から脱出することをも要求している。

最後にはゴルバチョフのドイツのNATO脱退条件は退けられた。
いうなれば、ドイツは当時のソ連事情を見透かして札束と物資で、ドイツ統一をソ連から買ったのである。
かくしてドイツ統一は「ベルリンの壁」崩壊の一年後1990年10月3日に達せ鵜することになった。

ミッテランはドイツ統一の半年前7月15日コールの招待を受けボンで演説をしている。
この際、「自分はふるさとをこよなく愛している。ふるさとを愛していることは国を愛していることである。
この思いは、かつて敵と味方に分かれて戦った戦士の思いとも共通する。

我々はその思いを大切にして、EUという立場で、今後世界に働き掛けていくこと。EUの思いは西欧・東欧諸国の、EUに結集するこれらの国々の、そしてそこに住むふるさとの一人一人の思いである」というニューアンスの演説を行なっている。(以上、クライン女史)

http://kajikablog.jugem.jp/?eid=995319より

★ 戦後ドイツの偉大な政治家はコールしかない、とクライン女史。
クライン女史が語る今回の「言いたい放談」を聴くにあたって、クライン女史がお書きになったかつての文を読んで基礎知識を得てからあらためて女史のお話をもう一度聴いている私である。
そうするとまるで手に取るように無知な私でもわかってくるような気がする。

そういえばソ連が経済的に追い詰められていた時、よくいわれる「北方領土」ももしかしたら何らかの進展があったのではないかと思われる。


                    

ブログのティールーム



ソ連の政権批判をして「人民の敵」として国外追放された世界的名チェリスト、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチはベルリンの壁の前でバッハを弾いた。
周囲の人たちはこの老人が世界最高のチェリストであることを知ってか知らずか・・・でも
ここでバッハを奏でる名演奏家の万感の思いを深く感じる。

Rostropovich cello performance in front of the Berlin Wall








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【三橋貴明】東芝半導体売却=日本終わり。「討論」明治維新とは何だったのか

2017年06月22日 | 政治

【三橋貴明】東芝半導体売却=日本終わり。


本来は日本が救うべき。日本はどうなるのか・・・。
市場原理によって潰されていく。東芝は安全保障もからんでいる。
これは大変なこと。

最近、政治のことを考えると嫌になってしまう。
動画を探しても「題名」が独特であまりUPしたいものが今のところない。
書くのも情けない状態だ。

また元気が出たら書くことにします。
それと「明治維新」について考えることが多くなりました。下記の「討論」は4月にUPされたもので西部邁・馬渕先生という論客が出演されています。

【討論】明治維新とは何だったのか?[桜H29/4/22]


明治維新とは何だったのか?

パネリスト:
 加瀬英明(外交評論家)
 上島嘉郎(元産経新聞社『月刊正論』編集長・ジャーナリスト)
 鈴木荘一(歴史家・「幕末史を見直す会」代表)
 西部邁(評論家)
 松浦光修(皇學館大学教授)
 馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)
司会:水島総

西部先生、面白すぎます。明治の偉人といわれる人を取り上げ、言いたい放題ですが聴いていて納得してしまいます。巧みな話術、教養、まさに最高の論客であり楽しくお話されるので、途中で聴くのをやめられなくなる・・・でも時間を区切って聴かなければ何もできなくなってしまうので。


 お知らせ・・・今週土曜日「討論」は西部邁先生が出演されます。おおいに期待しています!!

ブログのティールーム



前回の「ブログのティールーム」で「西部の娘」のミニーを素晴らしく歌ったジリオラ・フラッツオーニが歌うプッチーニ「トスカ」から~歌に生き愛に生き

Gigliola Frazzoni "Vissi d`arte" Tosca






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【安倍首相が内閣改造を検討】青山繁晴『もう一度謙虚な気持ちで人事を』 ・ 三宅博先生のこと

2017年06月20日 | 政治

★ 自民党議員となった青山繁晴氏のお話です。「走り書き」はありません。

【安倍首相が内閣改造を検討】青山繁晴『もう一度謙虚な気持ちで人事を』

安倍総理は国会での感情的な「支持率が、支持率が」と野党に向かって傲慢な言葉で平伏させようとしたことが支持者ではない人たちの反感を招いたと思う。
支持者は何が何でも「安倍をまもらなければ」と間違ったことでも忠告せず、「民進党が~」と繰り返し、民進党などもう支持もないだけに効果がなかったのだろう。それらが人々にあまりいい気を与えなかったのではないか。(民進党などには絶対に政権を渡してはならないが)

この「二者択一」の深みにはまって「お互いにハードルを下げ合う」結果としか思えない。
これでは本当に力になる人たちや理解して下さる方々を遠ざけてしまう。




「日本の為に」切々とお話された三宅博先生、
三宅先生のご活躍は私のブログに何年にもわたって書いてきた。
このブログは三宅先生の市議時代のご活躍の様子も「書ける範囲」でずっと書いてきた。
政治はもとより、先生の文化の教養の深さや人生観も・・・。

自分のことよりも三宅先生の応援に必死だった私、それが誇りだった。
自然と必然的に三宅先生のことが最優先だった。それが「日本の為」であり当然のことと思った。
そして三宅夫人は強くて優しい天使のような女性、三宅夫人の深い愛情と尽力・支えが三宅先生の英雄的な底知れぬ強さとなったように思う。


ところで私の以前からのブロ友で、時々暖かいコメントをくださる「ねこ庭の独り言」ブログのonecat01さまは私のことを「女戦士ベッラさん」とお書きになるが「女戦士」のように思われたのは敬愛する三宅先生をお護りするために「私の力以上の力で」武者震いしていた時のことで、ありがたいと感謝している。
自分の為に闘うのではない時、確かに強くなる。

今は静かに専門の音楽に軸足を戻していきつつある。
音楽についても三宅先生は「直感的に」理解されていた。
「あなたは音楽を通じて世界を見ている」と仰ってくださった。

三宅先生は日本のことを天国から案じていらっしゃると思う。
日本を愛し、拉致被害者やそのご家族のことをいつも考え、最後まで政治家として日本への思いを残してお亡くなりになった。
あんな潔い生き方など誰にもできるものではない。



ブログのティールーム
子供の時に海外のオペラをトランジスタラジオのFM放送で聴き入っていました。下記のオペラはそのうちの忘れられない歌唱です。



プッチーニ「西部の娘」
~往年の名ソプラノ、ジリオラ・フラッツオーニと偉大なバリトンのティト・ゴッビが歌っています。
酒場の女主人ミニー(本当は純情で潔癖な女性)は負傷した恋人の命を救うため、「海千山千」の悪徳保安官ラーンスをポーカー(カード)で打ち負かし退場させる名場面。(実はミニーはイカサマをしてやっと勝ったのだが)
ジリオラ・フラッツオーニの歌唱は大胆で力感に溢れている。それでいて女性らしい。
今、これほど歌えるソプラノはいない。


プッチーニの作品には「ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「トゥーランドット」などが有名ですが、この「西部の娘」はほとんど知られていないマイナーなオペラで名歌手が集まると不思議な魅力に輝きます。
今は亡きフラッツオーニは素晴らしいソプラノ、でも日本では無名です。
これはミラノ・スカラでの貴重なライヴ録音。


Gigliola Frazzoni & Tito Gobbi "Una partita poker" La Fanciulla del West

 (動画は6分24秒)

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