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北朝鮮、また「ミサイル」2発!!/1961年ベルリン危機、ケネディとフルシチョフの極秘連絡で一発触発を止めたこと

2022年10月29日 | 政治

★ 北発射は短距離弾道ミサイル2発、EEZ外へ落下 挑発激化の恐れも

産経ニュース / 2022年10月28日 13時29分

【ソウル=桜井紀雄】北朝鮮が28日に日本海に向けて発射した弾道ミサイルについて、韓国軍合同参謀本部は、2発の短距離弾道ミサイルだったとの分析を明らかにした。2発は午前11時59分から午後0時18分ごろ(日本時間同)にかけ、北朝鮮東部、江原道(カンウォンド)通川(トンチョン)付近から発射されたとしている。日本政府によると、日本の排他的経済水域(EEZ)外に落下したもようだ。

日米韓当局が、飛距離やミサイルの種類を分析している。北朝鮮による弾道ミサイル発射は今月14日以来で、今年に入って25回目。巡航ミサイルも3回発射するなど、北朝鮮は、前例のない頻度でミサイルの発射を繰り返し、核・ミサイル技術の高度化を誇示しようとしている。

韓国は17~28日に陸軍を中心にした大規模な機動訓練を実施。米韓両軍は31日から最新鋭の米ステルス戦闘機F35Bも動員した大規模な空軍訓練を予定しており、今回の発射はこれらに対する対抗措置の可能性がある。

北朝鮮は韓国との軍事合意に違反する形で黄海や日本海に向けた砲射撃も繰り返している。後ろ盾とする中国で最大の政治的行事である共産党大会が閉幕したこともあり、軍事的挑発の水準をより高めた上で、7回目の核実験に踏み切る事態もあるとみて、日米韓が警戒している。


1961年、ベルリン危機
手前の西側戦車と向こう側のソ連赤軍の戦車が1961年10月27日に緊張が高まり対峙した。
ケネディとフルシチョフは極秘で連絡をとり、一触即発の状態は20時間ほどで解消


写真の説明はありません。

ベルリンその後

1963年6月24日、ケネディはベルリンを訪れた。危機から2年を迎えようとしていた。市民は熱狂的に大統領を迎えた、大統領自身ベルリンの壁の間近かまで足を運んだ。その時シークレットサービスは万一、狙撃兵に狙われたら我々は防ぐ手段を持たないと強硬に反対したと伝えられている。そして2年前ベルリン市民が抗議の為に集まった同じ市庁舎前で数十万のベルリン市民にむかって大演説を行った。自由と平和の為に、最前線で戦い続けたベルリン市民をたたえ、最後に”私自身も、ベルリン市民である”と宣言したのである。現在この市庁舎前には、勇気と希望を与えたケネディ大統領をたたえて、一枚のレリーフが置かれている。
時代は流れ、1989年11月9日のベルリンの壁の崩壊、翌、1990年10月3日のドイツ民主共和国(東ドイツ)の崩壊による東西ドイツの統一までのドラマは、ソ連、ゴルバチョフ大統領の変革路線とともに、ソヴィエト社会主義連邦共和国の崩壊にまで進んでいったのである。

「ベルリンその後」の記事は ベルリン危機 (maedafamily.com)


ブログ主・・・今週月曜日にドイツ語のレッスンで先生がドイツで体験した東西ベルリンの実態の話をされ、それに関連したテキストを学んだところであった。
そしてフェイスブックの友達である「I氏」がベルリン危機の時の報道写真(上記の写真)を載せていらっしゃったので「ベルリン危機」について調べてみた。

前回のブログドイツが持つ「危機感」核で一番先にやられる(クライン女史)、英国のトラス首相が一か月で辞職した理由とは? - ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫ (goo.ne.jp)でフランクフルト在住のクライン孝子氏のお話や著書から、EUのトップであるドイツが「もし核を落とすのならドイツにだろう」とポーランド以上の危機感を持ってウクライナへの対処をしていることも理解できた。
クライン孝子氏に日本の保守側が「ドイツの事ばかり褒めて」という反発があった時期、なるほどこのような経過を知る中でベルリンの壁崩壊を実際に見たり、戦地への取材にも行かれたクライン孝子氏のことを理解できる。
(昨夜はクライン氏からお電話を頂いた)


私はイタリアオペラの勉強から「リッソルジメント~祖国統一運動」での作曲家ヴェルディのことに関心があり、日独伊三国同盟の中で「次に戦争する時はイタリアを外そう」という冗談・蔑視をいう日本の人たちは「イタ公は一番最初に降伏した・その後、日本に戦後賠償を求めてきた」という。
恥ずかしいイタリアへの概念を払拭するには、戦後賠償を求めてきたのは「リッソルジメント(祖国統一運動)」を進めてきた本来の筋ではなく「コミンテルン派」であったことを知らない、と思った。


私がヴェルディやロッシーニを尊敬を込めて勉強し歌ってきたのは、音楽の素晴らしいことの次にその「リッソルジメント」への誇りの共感が大きい。それと作家であり映画評論家の奥山篤信氏が祖国統一を成し遂げたガリバルディ将軍や詩人のダンヌンツイオなどの奥山氏の(奥山氏は8か国語以上の言語が堪能)和訳や解説でよりよく理解してきたことである。

またヴァーグナーをヒトラーが勝手に都合よく使っていたことで、私はかなりあとでそのことを理解し、マックス・ローレンツやフラグスタート、フルトヴェングラーらの世紀の名演奏家がアメリカや西欧でも仕事を失った時、こともあろうにイタリアのミラノスカラやローマ歌劇場が喜んで受け入れたことも、トスカニーニの理解がありその弟子でもあった名指揮者サバータのおかげでもあった。

もっとも、イタリアの聴衆は「歌が素晴らしければそれで熱狂」してしまうのだから(歌には一切の妥協がなく、ひとつでも違ったらステージに物を投げつけ、駅までその演奏家をかついで帰らせる、といった阪神タイガースファン以上の凄い聴衆だった。今はスカラも観光客でオペラのわからない客のブラーヴォの声援で満席だが、昔はコーヒー代のような安い天井桟敷の立見席の聴衆がオペラの歌詞をすべて覚えていたほどだった。
指揮者のムーティが言うには切符もぎりの係と懇意になって「おう!」と言ってそのまま入場、というツワモノもいたそうだ。
その聴衆がドイツ語がわからないのにヴァーグナーを演奏するフルトヴェングラーを、マックス・ローレンツを、そして「神のようなフラグスタート」を尊敬と熱狂で受け入れたのだ。
この事実を証明してあまりある戦前戦中の名演奏家の遺した素晴らしい演奏を時々「ブログのティールーム」でご紹介してきた。
遺されたその実演を聴くたびに「芸術」の大きさを思う。


フルトヴェングラー指揮、キルステン・フラグスタート(ソプラノ)によるヴァーグナー「神々のたそがれ」フィナーレ

Flagstad, Furtwangler: Brunnhilde's Immolation (3/3)






ブロ友rimrom789さまが作成してくださった絵。

コメント
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