教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

「変態という名の紳士」たちの人口密度

2009-10-09 00:00:20 | オタネタ全般
かつて45歳くらいの会社の課長が言った。
「最近は変なヤツが入ってこない」
と。

これは何かというと、
「最近の若者はみんなおしなべて良い子なんだけど、一癖も二癖もありそうな尖がった能力を秘めていそうな若者が入社してこなくなった」
という意味だそうな。

かくいうわたしは100歩譲っても間違いなく変なヤツの部類に入る。
あまり自覚は無かったのだが、会社の寮に住んでいたときには
「休みの日に部屋からドリルの音がした」
とか、
「自前のオシロスコープを持っているらしい」
とか、
「部屋に行ってみたら真空管が転がっていた」
とか、
「駐車場で車を解体しはじめていた」
とか、
数々の伝説を誇るベストオブ変なヤツとされていたらしい。
ちなみにコレすべて思い当たるフシがある。
先の課長に言わせれば、どうやらそういう波乱万丈ありそうな部下をかかえたいそうな。



さて、課長いわく近頃の若者はどうだろう。
課長に言わせれば、わたしより入社年度の若い後輩たちには、そういう変なヤツというか、愛すべき馬鹿的なヤツらがいないように見えるらしい。

会社はおいといて、さて世間を見渡してみよう。
ニコニコには愛すべき馬鹿的なヤツらはほとんど無尽蔵に跋扈している。
ニコニコを見るかぎりにおいては、日本はそうカンタンに世界に遅れを取るとは思い難いのも事実だ。

課長の判断とニコニコの有志諸君の多さでは明らかに矛盾が生じている。
どちらかが間違っているのは確実だ。



これはどちらが正しいのか?

わたしはこの問題を解くための1つの仮説を持っている。
思春期に既にPCとネットが普及していたかどうかに係ってくるのではなかろうかと思うのだ。

ネットの普及前、我々は自前の変態っぷりを遺憾なく発露するのは容易ではなかった。
(変態っぷりを発露している時点で既に遺憾なのかもしれないが、まあそれはおいといて・・・)

すなわち、自前の変態っぷりを普段から発露させているのがデファクトスタンダードで、そのセンサーに引っかかった身近にいるヤツらとコミュニティーを形成するのが普通だった。

ところが現在はそうではないかもしれない。
PCとネットが普及したことで変化が起きた。
ニコニコなどのネット上で変態っぷりを発露させることができるようになった。
そうなることで普段から日常生活において変態っぷりを発露させる必要がなくなった。
つまり会社などではおとなしく過ごすことになってしまったわけだ。
そして必然的に会社の上司視点からは変態という名の紳士には見えなくなる。

わたしの仮説が正しいならば・・・
羊の皮をかぶった狼のごとく隠れ紳士がそこら中に潜んでいて、日夜活動しているに違いないと、そう思うわけだ。



わたしはこの件に関しては「近頃の若者は・・・」などと言う気はない。
しかし、自分の流派をひた隠しにするのはもったいない。

北斗の拳でも戦うときは自分の流派を名乗るではないか。
あれと同じように、もっと身近に変態っぷりを発露させてほしいと思うのだ。

そうでなければ、中学校野球部の秘密兵器クンのように、兵器の性能を1度も発揮することもなくヒミツのまま卒業してしまう可能性を否定できない。
逆に、変態っぷりを発露させている凄腕の紳士が身近にいたとすれば、その変態っぷりに敬意を評しつつも自らもさらに切磋琢磨し、さらなるイタい変態へと登りつめるきっかけにもなるわけである。

わたしも身近にいる変態という名の紳士諸君にかなり影響されたクチだ。
だからわかる。
身近にいる変態は重要な強敵(友)だ。
でなければここまで悟りを開くことはなかったであろう(笑)。



これは自分だけの問題ではなく、社会全体の損失でもあると思うのだ。