教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

「愛こそ全て」な風潮に物申す

2009-10-06 00:00:35 | オタネタ全般
世の中には「愛こそ全て」的なストーリーは腐るほどある。
腐るほどあるにもかかわらずいつになっても陳腐化しないのは、あるいみ不思議でならないような気もしてくる。
そもそも恋愛モノのストーリーならば「愛こそ全て」が至上命題になるのも当然なわけで、人類が恋愛に飽きないかぎり未来永劫ありつづける気もする。

べつにここではそれを非難したいわけではない。
わたしも特に嫌いなわけではない。

しかし!

恋愛モノでもないくせして、
最初のほうは恋愛モノとは全く無関係なストーリーだったくせして、
最後のほうになって突然「愛こそ全て」になるものがある。

わたしは
「それはどうよ?」
と言いたいわけだ。
わたしの頭のなかで、とってもたくさんの疑問符が噴水のごとく湧き上がるように発生してしまうのだ。

これが特に目に付くのがSF作品。
最初のほうはガチなハードSFだったのに、最後のほうだけなぜか
「男と女の愛が地球(または人類)を救ったのです!」
みたいなストーリーになるのは特に疑問符がつく。

たとえばプラネテスとか。
たとえばガンダムダブルオーとか。

これら作品はSFとして大変おもしろい。
わたしとしても観賞推奨にしたい。
しかし、最後の最後のごく一部分だけちょっと疑問。



たとえばガンダムダブルオーの話をしよう。

まず最初の頃。
戦争根絶のためにあえて戦争に介入するという、矛盾しているのをわかってて矛盾した行動をとる主人公一味の葛藤が描かれる。

ここでは視聴者に
「なぜそこで撃てる!?」
と唸らせ考えさせる戦闘描写がかなり多い。
この辺は実によくできているなと見ていて感動した。

対して最後の頃。
登場する主人公一味の各々の最愛の人が敵陣にいて自分たちを攻撃しに来ることになり、どうやったって矛盾した行動になる主人公一味の葛藤が描かれる。

さっきと対応させるとすると
「なぜそこで撃てない!?」
いうような戦闘描写ばかりだった。
最初の頃のアレがかなり衝撃的かつ感動的だったのに比べたら、わたし的にはかなりシラけてしまうシーンだった。

自分が恋人だと思っていた女が実は敵のスパイで、いま武装してやって来て自分を殺そうとしていたとしたら、あなただったらどうするか?

考えてもみたまえ。
わたしだったら
「なんだスパイだったのかよ」
と3秒くらい落胆して、そのあと1秒も悩まずに引き金を引く。
それがフツーだろう、たぶん。

わたしだったら彼らみたいに
「俺だ! わからないのか? 戻ってこいよ!?」
みたいな取り乱しかたはまずしない。

ストーリーとしては、結果的に撃たなくて正解だったというシナリオに落ち着いている。
そうすると、ますます
「なぜそこで撃てない!?」
に対する説明を要求したくなるものだ。
少なくともわたしはアニメの描写では納得しない。

そして極めつけはグラハムだ。
グラハムは恋や愛などガン無視し、最初から最後まで自己の理想に殉じていた恐らく唯一の登場人物だ。
そのグラハムの最後がアレというのも、「愛こそ全て」的展開を正当化して補完するのに1役かっている。
グラハムの最後はアレであって欲しくはなかった。
わたしはグラハムが恋や愛を知らぬ残念な人あつかいされているように見えかねないあの結論にガマンならんのである。



この問題は、恐らくわたしが現物のねえちゃんに恋をしたことがないという、人生の致命的な経験不足によるものの可能性が高い。
これは普通の人だったら理解できるのだろうか。

少なくともハードSF作品では、特定の個人の主人公というものはいるものの、総体としては「人類」や「種」や「地球」というものが主人公相当として描かれることも多い。
ガンダムダブルオーもプラネテスもそうである。
だからこそ、恋とか愛とかいうインチキ臭い曖昧模糊とした結論に持っていくのではなく、テクノロジーとか進化とか理想とか正義とか、そういった崇高な使命の上に成り立っていて欲しい。
だからこそハードSFがハードSFたりうるのだとも言える。
でなければハードSFを冠するに値する結論ではない。

あの問題を理解できないわたしはそう思う。

わたしの意見に賛同できない人、反論大歓迎だ!