ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

82、ピルグリム・ファーザーズ

2007年12月21日 | Weblog
1620年12月21日、イギリス南西部プリマスから新天地アメリカに渡ったピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)がアメリカ北東端のプリマス港に上陸しました。
出発地と到着地が同じプリマスなので出航地プリマスに因んで、ニュー・プリマスと名づけられたと言われていますが、1614頃のニューイングランドの地図にその名があるので偶然同じ名の地に到着したことになります。

当初目指していたのは現在のニューヨーク付近でしたが、到着したのはずっと北のニューイングランド地方でした。
メイフラワー号( the Mayflower)は全長27.5m、180t、3本マストの小型の帆船です。
大西洋には秋から冬にかけて季節風が吹き荒れ、エンジンも無い小さな船は木の葉のように揺れ、波に飲まれそうになりました。
雨や風は船室にも容赦なく吹き込み人々を苦しめました。
それは死と隣り合わせの、命がけの航海でした。
同じように新大陸を目指した船の中には海に沈んだ船もあったことと思います。
当時スペイン人やフランス人、オランダ人なども新大陸を目指しました。

9月16日にイギリスのプリマス(Plymouth)を出港したメイフラワー号は、大西洋1,400kmを66日かけて航海し、11月21日にケープコッド(Cape Cod)(コッド岬)沖に到着し、錨を下ろしました。
船客102名の中に妊娠中の女性が3名いて、うち2名が下船前にそれぞれ男子を出産しています。
また航海中に乗員1名、船客1名が亡くなったことも記録されています。

彼らが北米大陸に最初に降り立ったのはプリマスにあるプリマス・ロック付近だと思われていますが、岬(ケープ・コッド)の先端プロビンスタウンでした。
新大陸への第一歩が印されたプロビンスタウンには「ピルグリム記念塔」(The Pilgrim Memorial Monument) が丘の上に建っています。
高さ77 メートル、一辺が9メートルの四角い柱状です。
丘の上にある塔の頂上は海抜167メートルになり東は大西洋の大海原を臨み、西はマサチューセッツ湾を挟んでプリマスを臨み、その先にはアメリカ大陸が続いています。
いかにも開拓の始祖たちに相応しいモニュメントと言ってよいでしょう。
 *イギリスから大西洋を西に向かってくると湾の内側にあるプリマスより湾の先端にあるプロビンスタウンに先に着きます。(地図を参照)



プロビンスタウンに到着したメイフラワー号は船の修理をしながら定住する場所を探しますが、辺りは荒涼とした砂丘が広がっていました。
プロビンスタウンへの入植を断念し、ケープコッド湾を渡って現在プリマス・ロックのある地点に上陸しました。
それはプロビンスタウンに到着した1ヶ月後の12月21日でした。

上陸に先立ち、政治の基礎は自由な個人の同意にあることを確認して、民主的な新社会の建設を誓約した「メイフラワー契約(Mayflower Compact)」が結ばれ、この宣誓書に全員が署名しました。
メイフラワー号の三つの約束(清教徒の実践)
1.自分の財の一部を、みんなのために使おう
2.自分の知恵と技術を、みんなのために使おう。
3.自分の時間を、みんなのために使おう。
これらはボランティア、寄付、助け合いなどの精神としてアメリカ人の中に育っていきました。
彼等の抱いた理想は米国精神の土台となって民主主義や自由主義思想として世界中に広がったのです。

入植の地として降り立ったプリマスの地も見渡す限りの荒野で、すぐに厳寒の冬を迎えることになります。
この辺りはアメリカ東海岸の最北端に位置しカナダ国境にも近く、冬は大西洋から冷たい風が吹きつけ、雪もかなり積ります。
寒さと病気に苦しんみ、さらに食糧不足も重なって春までに102人のうち半数以上が死亡し、生き残ったのはわずか50人ほどでした。
しかし、いかなる厳しい環境にあっても理想社会建設への情熱に燃え、彼らはひたすら働き努力しました。
苦難を乗り越えて、アメリカ建設の祖として歴史にその名を留めました。
互いに励ましあい病気の人を看病し、やがて春を迎えました。
苦しむ彼らを見て先住民(インディアン)が暖かい手をさしのべました。
トウモロコシの栽培や、タラ漁の方法、七面鳥の飼育などを学び入植地を広げていきました。
秋には神の恵と先住民に対して感謝の気持ちを表わし収穫祭を催しました。
これが、アメリカのサンクスギビング(感謝祭)の由来です。
今では、サンクスギビングはクリスマスと並ぶアメリカ最大の祝日です。(70、感謝祭を参照)
 *彼らが最初に到着したケープコッド(Cape Cod)は「コッド岬」と言い、その名の通りCod(鱈タラ)がたくさん獲れます。

プリマス・プランテーション(入植地)は今日「アメリカの故郷」(America's Hometown)と呼ばれ、歴史的遺産を数多く残す観光地となっています。
メイフラワー号の船員たちの上陸地点とされるプリマス・ロック。
入植当時の生活を再現したプリマス・プランテーション。
メイフラワー号のレプリカであるメイフラワー2世号(1957年製造)。
これらの場所はアメリカ人を始め、世界中からの観光客が絶えません。
プリマス(Plymouth)はアメリカ合衆国マサチューセッツ州東部に位置する町で、ボストンの南東約64kmに位置し、マサチューセッツ湾の一部プリマス湾に面しています。

写真は私が毎夏行っていたケープコッドのプロビンスタウン近郊で撮ったもので、荒涼とした砂丘が続いています。
メイフラワー号から降り立ったピルグリム・ファーザーズが見たのもこのような光景ではなかったかと思います。
左奥に見えるのはケープコッド湾で、その向こう側にプリマスがあります。

ケープコッドの先端にある繁華街プロビンスタウンは夏には観光客でにぎわいます。
プリマスからプロビンスタウンにかけては砂浜が続き、彼らを苦しめた砂浜は現在アメリカで有数のビーチとなっています。
プリマスやプロビンスタウンの港から沖釣りやヨットが出航し、夏の避暑地として人気があります。

私はニューヨーク→ボストン→プリマス→プロビンスタウンを何度も車で往復しました。
ニューヨークからボストンまで4時間、ボストンからプリマスまで1時間、プリマスから
プロビンスタウンまで2時間のドライブです。

*メイフラワー号とプリマス・ロックの写真は「32、メイフラワー2世号」
プリマス・プランテーションの写真は「33、プリマス植民地」を見てください。

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