ニューヨークの想い出

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138、燃え尽き症候群

2008年05月18日 | Weblog
女子テニス世界ランク1位のジュスティーヌ・エナンが突然引退を発表したニュースを聞いたとき「燃え尽き症候群」という言葉が浮かんできました。
本来の意味は一定の期間に過度の緊張とストレスの下に置かれた場合に発生し、意欲を無くして社会的に機能しなくなってしまう症状で、一種の外因性うつ病とも言われています。
しかし、私がアメリカでよく耳にしたのは、テニスの選手に対して使われていました。
特に天才少女たちに対して言われていました。

トレーシー・オースティンは早熟選手で、低年齢化の先駆けとなった選手です。
愛らしく人なつっこいキャラクターで人気がありました。
14歳のアマチュア時代にプロの大会で優勝するほどの天才少女でした。
1979年の全米オープンのシングルス決勝戦でエバートを 6-4, 6-3 で破り、同大会で「16歳9ヶ月」の最年少優勝記録を樹立しました。
1980年4月7日に「17歳3ヶ月26日」で当時の最年少世界ランキング1位に輝いています。
この記録は1991年3月11日にモニカ・セレシュが「17歳3ヶ月9日」で世界1位になり、オースチンの記録を17日更新するまで11年間破られずにいました。
エバート、ナブラチロワの全盛期にNO,1になったのはすごいことです。
しかし、1982年に入ると若いときに身体を酷使したのが原因で慢性的な背中の故障を抱えるようになり、21歳の誕生日を迎える前に競技生活が不可能になってしまいます。
彼女は「燃え尽き症候群」と言われようになった最初の選手です。
その後何度か現役復帰を試みますが、以前のような活躍はなりませんでした。

アンドレア・イェーガーは1980年1月に14歳でプロ転向し「14歳8ヶ月」の若さでプロ初優勝を飾っています。
同年のウィンブルドン選手権で大会史上最年少のシード選手になり、全米オープンでも史上最年少の15歳でベスト4に進出しています。
4大大会でも2度準優勝していて、どちらも決勝戦でマルチナ・ナブラチロワに敗れたものでした。
世界ランキングも3位に上り、すぐ1位になるだろうと思われていました。
しかし彼女も若すぎた身体の酷使により1984年に19歳で肩を故障し引退し「燃え尽き症候群」と言われました。
(引退後、大学で動物学や神学を学び慈善活動に携わり、現在はカトリック修道女として“シスター・アンドレア”になっているようです。)

ジェニファー・カプリアティも天才少女の名をほしいままにしました。
1990年3月、14歳の誕生日の2週間前にプロ転向を認められ、直後のデビュー戦でいきなり準優勝しています。
その後も天才ぶりを発揮し、1991年に15歳でウィンブルドンと全米オープンの2大会連続でベスト4に進出しています。
ウィンブルドンでは、前年に9度目の優勝を果たし同大会の最多優勝記録を樹立したナブラチロワを準々決勝で破っています。
1992年のバルセロナ五輪でグラフを 3-6, 6-3, 6-4 で破り、16歳の若さで金メダルを獲得しました。
しかし、1993年全米オープンの1回戦敗退を最後に長期間テニスから遠ざかり万引きなどの問題を起こし、1994年にマリファナ所持容疑で逮捕されています。
彼女も「燃え尽き症候群」と言われました。
一時はテニス選手としての再起を危ぶまれていましたが1996年に復帰します。
復帰後のカプリアティは精神的にも肉体的にもたくましくなり、2001年の全豪オープン決勝でヒンギスを 6-4, 6-3 で破り、少女時代に果たせなかった4大大会初優勝を実現しました。
続く全仏オープンでも決勝でクライシュテルスを 1-6, 6-4, 12-10 で破って、4大大会2連続優勝をしています。
さらに翌年2002年の全豪オープンではヒンギスにマッチ・ポイント4本を握られながらも、そこから逆転して大会2連覇を飾っています。
復帰したカプリアティを見たとき、たくましくなった肉体に目をみはりました。
復帰するために相当ハードなトレーニングを積んだことが感じられ、たくましくなった精神力に感銘しました。
2001年10月15日には念願の世界ランキング1位になっています。
「燃え尽き症候群」を克服した彼女のテニスは少女時代よりもプレイの幅も広がってレベルアップしていました。
苦難を乗りこえ復帰したその姿は多くの観客に感動を与えました。
 (女子プロゴルフの天才少女ミシェル・ウイーは第二のカプリアティーと呼ばれることがあります。
  今ちょっと低迷していますが、必ず復帰することと思います。)

このような少女たちの「燃え尽き症候群」は議論を呼び、プロの試合に出場できる年齢が制限されるようになりました。
エナンの場合はこれ等のケースとは違いますが、何年にも渡ってツアーに参加し、世界を転戦して世界のトップを維持してきたので相当ストレスがたまっていたのだと思います。
会見で語った「今は悲しいというよりホッとしている。」という言葉が心のうちを表しています。

私は15歳頃のイェーガーとカプリアティをUSオープン見ましたが、若さあふれる躍動感のあるプレーで、ストロークは力強くボレーもこなすオールラウンドな選手でした。

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