当ブログでは、空気系の定義を次の3つの条件を満たすものとしている。
1. 時間経過があること。
2. 中心の不在。
3. キャラクターの関係性がメインに描かれていること。
1は見たまま。空気系は、時間がループではなくちゃんと進行することが必須条件だと思っている。逆に言えば、「限られた時間」を描くための手法だということだ。
2は空気系の原点がハーレム系ラブコメであり、その中心に当たる男性主人公をその関係性ごと取り除いたものだからだ。つまり、空気系の主要キャラクターの恋愛対象はあらかじめ取り除かれている。従って、男女間の恋愛を描かないのが基本となる。
恋愛という強い物語要素をあえて排除することで、日常の空気感を描くという意味でもある。ただ恋愛への憧れなどを残すかどうかは作品によって異なる。残した場合、百合要素が強くなるのが最近の傾向だろう。
3は2とも関連するが、特定の主人公に依存しないで数人の中心キャラクターの関係性を描くことがメインとなるものが空気系だと言える。主人公の唯が卒業したあとの梓たちの高校生活を描いた『けいおん!High School編』が成り立つのが好例だろう。
『ゆゆ式』の場合、この3の部分が空気系らしくなかった。ゆいが中心になっていて、彼女が絡まない展開が極端に少なかった。ゆずことゆかりの二人だけで展開することが少なかったし、相川さんたちとの絡みもほとんどがゆいがいるケースだった。
結局は配分の問題とも言えるが、もう少しゆい以外の人間関係を描いていたら空気系らしくなっただろう。(空気系だから良いとか悪いとかじゃないけど)
定義に従えば、恋愛要素があったり、主人公度が強い『ARIA』なんて空気系と呼べないのだけれど、あれはあれで空気系と呼びたくなる作品だったりするので、決して定義がすべてというわけではない。
『ゆゆ式』も空気系っぽく楽しめた。だからこそ、もう少し周りのキャラクターを描いて欲しかったと感じる。後輩入れるなどキャラクターを増やして時間経過をより強調する展開でも良かったかも。
1. 時間経過があること。
2. 中心の不在。
3. キャラクターの関係性がメインに描かれていること。
1は見たまま。空気系は、時間がループではなくちゃんと進行することが必須条件だと思っている。逆に言えば、「限られた時間」を描くための手法だということだ。
2は空気系の原点がハーレム系ラブコメであり、その中心に当たる男性主人公をその関係性ごと取り除いたものだからだ。つまり、空気系の主要キャラクターの恋愛対象はあらかじめ取り除かれている。従って、男女間の恋愛を描かないのが基本となる。
恋愛という強い物語要素をあえて排除することで、日常の空気感を描くという意味でもある。ただ恋愛への憧れなどを残すかどうかは作品によって異なる。残した場合、百合要素が強くなるのが最近の傾向だろう。
3は2とも関連するが、特定の主人公に依存しないで数人の中心キャラクターの関係性を描くことがメインとなるものが空気系だと言える。主人公の唯が卒業したあとの梓たちの高校生活を描いた『けいおん!High School編』が成り立つのが好例だろう。
『ゆゆ式』の場合、この3の部分が空気系らしくなかった。ゆいが中心になっていて、彼女が絡まない展開が極端に少なかった。ゆずことゆかりの二人だけで展開することが少なかったし、相川さんたちとの絡みもほとんどがゆいがいるケースだった。
結局は配分の問題とも言えるが、もう少しゆい以外の人間関係を描いていたら空気系らしくなっただろう。(空気系だから良いとか悪いとかじゃないけど)
定義に従えば、恋愛要素があったり、主人公度が強い『ARIA』なんて空気系と呼べないのだけれど、あれはあれで空気系と呼びたくなる作品だったりするので、決して定義がすべてというわけではない。
『ゆゆ式』も空気系っぽく楽しめた。だからこそ、もう少し周りのキャラクターを描いて欲しかったと感じる。後輩入れるなどキャラクターを増やして時間経過をより強調する展開でも良かったかも。
卒業しても続く、という点は丁度これになるのかなーと。
中心の不在は「物語を牽引する意味」ではなく、物語そのものの中心となって機能する原理がない、という点で見ると、これも解り易いですね。
空気系はほぼフォーマットがキャラクター作品だからというのもありますけど、場面を構成する状況にどんなキャラが関わってるかの流れでそれを感じられますしねw
まあ、今回のエントリタイトルの作品は未見なんですけどね(苦笑)。
『あずまんが大王』は高校3年間を実際に3年かけて描きました。こうした手法は『翔んだカップル』などでも使われていますが、「時間」をかなり意識している作家なんだと思います。当時の電撃大王はマイナー誌でしたし、その効果のほどは分かりませんがw
『よつばと!』は私には実験作に感じられます。面白いですけど、独特でフォロアーは現れないかなと。
空気系も『あずまんが大王』以降少しずつ変化していると思います。おそらく完成系に近いと思われるのが『ひだまりスケッチ』ですが、どこまで続くのか非常に興味を持っています。
空気系ではありませんが、『げんしけん』のように場をメインにしたような構造こそ空気系らしいかもしれません。物語性を強く持たない群像劇的なものが私にとっての空気系だと思います。
濃密な時間、という点はしっくりきます。
「ただそこにある日常」としての日常系という点はあずまんが大王からそのままの感触で読んでますが、「空気系」として見ると違う、ということですね。
四コマじゃないのが大きいかもしれませんが、日常が描き続けられることで生まれる情感、みたいな、独特な物は感じますね。
げんしけんについてはちょっと読んだだけでイマイチ判らない面もあるのですが、読んだ当時、あれは人間関係と大学生活の変化を描いてるように見えたので、空気系という意識は持ちませんでした。
物語の不在性と日常は分かち難く繋がりますが、その上で「その作品の根幹(空気を作るものなので、これは必然的に存在する)」を描くもの、というのはなるほどなと。
>げんしけん
リアルな青春群像劇を描こうとすればどうしても恋愛は避けて通れません。『げんしけん』は恋愛をストーリーの軸に据えているため、空気系とは相容れませんが、時間経過やキャラクターの関係性がメインという点では近いものがあると思います。
恋愛が前面に出ると他が背景になってしまいがちですが、『げんしけん』の場合はバランスに腐心していたようには思います。それでも、初期のオタクの日常的な雰囲気は中盤以降かなり薄れてしまったと思いますが。