今朝の読売新聞3面に載った、自民党の憲法試案づくりから気になった点を。
「表現の自由」について「青少年の健全育成に悪影響を与える可能性のある有害情報や図書の出版・販売は規制できるようにすべきだ」とある。
これを見て真っ先に思ったことは、最も「青少年の健全育成に悪影響を与える可能性のある有害情報」は国民から選挙で選ばれた人たちが、国会という場で野次や怒号を繰り返す行為なんじゃないかと・・・。もちろん国民から選挙で選ばれた人たちが犯罪行為を犯すなんてもってのほか。こうした行為は青少年のためにならないから報道禁止にした方がいい(笑)。
これは冗談だが、「青少年の健全育成に悪影響を与える可能性のある有害情報や図書」が何を指すのかの線引きは結局のところ恣意的に行われるわけだ。100人中99人に感銘を与える小説でも、残る1人に悪影響を与えたとしたらそれは有害なのか?例えば、昔からマンガ(成人向けでないもの)は子供に悪影響を与えると親たちから言われてきた。現在では日本の誇る文化と呼べるほどの存在だ。ゲームやアニメも似たようなものだろう。
例えばアメリカと比較してみると、表現の自由が日本より緩いように思う人もいるかもしれないが、公の場での表現の自由は日本より遥かに厳しい。昨年のスーパーボウルのハーフタイムショーでジャネット・ジャクソンの胸が露出した事件は、日本では想像できないほどの大問題となった。アルコールの販売はもちろん広告などにも厳しい規制があるし、暴力表現にも敏感だ。これから分かることは、大人と子供の線引きがはっきりしていて、子供の目に触れる場や時間にそういった表現が行われることに厳しくする一方、大人のみが楽しむ分にはある程度寛容という社会理念が共有されている点だ。
日本はそういった線引きが非常にルーズだ。酒やタバコは自動販売機で簡単に買えるし、子供の飲酒・喫煙をあまり注意しない。ヌード写真が載った雑誌がコンビニで立ち読みでき、電車内で夕刊紙を広げる人も少なくない。TVも時間帯による配慮が最近はあまり感じられない。アダルトビデオなども子供たちから十分遠ざけられているかどうか微妙だ。
こうした中で有害図書とされるものの影響はどれほどのものか。一部の有害なものを禁止したところで、ほとんど変わらないのではないか。こうした規制化の動きは、青少年のために活動しているという政治家のポーズのようにしか見えない。むしろ自分たちの都合の悪い言説を封じるために表現の自由に制限を加えたい人々にとって、これは大きな一歩となるだろう。
「表現の自由」について「青少年の健全育成に悪影響を与える可能性のある有害情報や図書の出版・販売は規制できるようにすべきだ」とある。
これを見て真っ先に思ったことは、最も「青少年の健全育成に悪影響を与える可能性のある有害情報」は国民から選挙で選ばれた人たちが、国会という場で野次や怒号を繰り返す行為なんじゃないかと・・・。もちろん国民から選挙で選ばれた人たちが犯罪行為を犯すなんてもってのほか。こうした行為は青少年のためにならないから報道禁止にした方がいい(笑)。
これは冗談だが、「青少年の健全育成に悪影響を与える可能性のある有害情報や図書」が何を指すのかの線引きは結局のところ恣意的に行われるわけだ。100人中99人に感銘を与える小説でも、残る1人に悪影響を与えたとしたらそれは有害なのか?例えば、昔からマンガ(成人向けでないもの)は子供に悪影響を与えると親たちから言われてきた。現在では日本の誇る文化と呼べるほどの存在だ。ゲームやアニメも似たようなものだろう。
例えばアメリカと比較してみると、表現の自由が日本より緩いように思う人もいるかもしれないが、公の場での表現の自由は日本より遥かに厳しい。昨年のスーパーボウルのハーフタイムショーでジャネット・ジャクソンの胸が露出した事件は、日本では想像できないほどの大問題となった。アルコールの販売はもちろん広告などにも厳しい規制があるし、暴力表現にも敏感だ。これから分かることは、大人と子供の線引きがはっきりしていて、子供の目に触れる場や時間にそういった表現が行われることに厳しくする一方、大人のみが楽しむ分にはある程度寛容という社会理念が共有されている点だ。
日本はそういった線引きが非常にルーズだ。酒やタバコは自動販売機で簡単に買えるし、子供の飲酒・喫煙をあまり注意しない。ヌード写真が載った雑誌がコンビニで立ち読みでき、電車内で夕刊紙を広げる人も少なくない。TVも時間帯による配慮が最近はあまり感じられない。アダルトビデオなども子供たちから十分遠ざけられているかどうか微妙だ。
こうした中で有害図書とされるものの影響はどれほどのものか。一部の有害なものを禁止したところで、ほとんど変わらないのではないか。こうした規制化の動きは、青少年のために活動しているという政治家のポーズのようにしか見えない。むしろ自分たちの都合の悪い言説を封じるために表現の自由に制限を加えたい人々にとって、これは大きな一歩となるだろう。