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日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

生き残り日本兵の顔つきと日本サッカー陣

2010年06月18日 | 教育・文化

 

生き残り日本兵の顔つきと日本サッカー陣


pfaelzerweinさんが、ご自身のブログログの中に、サッカー日本チームの対カメルーン戦での、気の抜けたような試合を評されている中で、日本のサッカー選手たちのその気の抜けた表情を評して、アメリカ人監督ジョセフ・フォン・スタンバーグ脚本で、1953年制作になったかっての「日本映画」『アナタハン』(英語: The Saga of Anatahan)に登場する「生き残り日本兵の顔付き」のようだと述べられていた(『スカンポンなカメルーン西瓜』)。この記事読んでいて、pfaelzerweinさんが、映画『アナタハン』(英語: The Saga of Anatahan)の取り上げるにしても、あまりにもその「批判精神無さ」が気になって、コメントを差し上げようと思った。けれども、コメントとしては長くなりすぎたので、一つの記事として投稿することにしたものです。


pfaelzerweinさん、日本サッカーの根本的な弱点について以前に私も考察したことがあります。そして、この弱点は、オシムから岡田に代わっても、克服され改善されるどころか、さらに退化し悪化しつつあると言えます。選手たちの個人的な能力が同等であるとすれば、監督がサッカーチームの戦力の八割を構成します。それほどに監督に人材を得なければ、世界の強豪チームに伍してゆくのはむずかしいということです。

日本サッカー、対オーストラリア初戦敗退が示すもの

ジーコとオシム


それはさておき、この記事で私がとくに批評したいと思うのは、サッカーのことではなく、この記事の中に取り上げられている映画『アナタハン』(英語: The Saga of Anatahan)についてです。

太平洋戦争の日本の敗北を契機にそれ以降、旧大日本帝国軍人とその軍隊を貶め揶揄する映画が、数多く作られました。日本人の意識改造と民主化政策の名の下に、GHQの占領政策とそれに便乗する反日日本人たちによって、とくに共産主義勢力と、民政局などに所属して当時のアメリカ政府に一定の勢力を占めていた、「進歩的知識人」たちは、日本国憲法の制定など、日本人と日本国の改造に深く関与しました。

同時に彼らは、自分たちの太平洋戦争を正当化するために、旧大日本帝国軍人とその軍隊の「残虐さ」や「醜さ」「愚かさ」を、とくに映画などによるプロパガンダを通じて、日本国民を徹底的に洗脳しました。ここでpfaelzerweinさんが取り上げておられる映画『アナタハン』(英語: The Saga of Anatahan)もそうした目的で作られた数多くの映画の中の一つです。

その結果、戦後育ちのいわゆる「戦後民主主義」で教育された日本国民のほとんどが、そうした無自覚なバイアスをもって、旧日本帝国軍人とその軍隊を見るように仕組まれています。

だから事実として、戦後世代のほとんどの日本人は、―――よほど、自覚的に努力して自らの生きる時代と受けてきた教育を相対化して認識しようとしている者を例外として―――自覚的にせよ無自覚的にせよ、旧帝国軍とその軍人に対して否定的で拒絶的な悪感情を持っています。その教育の影響は、とくに戦後世代以降の日本女性に顕著に現れています。

英文学を専攻し英国に留学もしてイギリス人を夫にした元法政大教授の田嶋陽子女史や、フェミニストで社会学者の上野千鶴子女史などはそうした女性の典型的な存在だろうと思います。実際、彼女たちの旧日本帝国軍人に対する憎悪の背後には、何十万何百万の小「田嶋陽子」女史、小「上野千鶴子」女史が存在しています。そして、おそらくpfaelzerweinさんご自身もそうした戦後世代の人たちのお一人であろうと思います。この洗脳の徹底ぶりのために、未だに日本国民の大多数は旧帝国軍人や軍隊に対する深い嫌悪感と憎悪を克服できないでいるのです。それは当然に彼女らの父や祖父、夫や兄弟など男性に対する潜在的な忌避感情につながります。それに併行して国民の間に伝統的な倫理観も破壊されてしまいました。そのために、国民として自らのアイデンティティーを彼ら自身の多くが確立することができないでいます。そして、そのことを彼ら戦後世代は自覚していません。現代日本の退廃と堕落とエゴイズムの深い根もここにあります。

もしそうでないとすれば、アメリカ人が日本人を揶揄しからかうために作った反日プロパガンダ映画『アナタハン』(英語: The Saga of Anatahan)を取り上げ引用するにしても、ここまで徹底的に「批判精神無し」に、日本人と旧帝国軍人を揶揄しからかい貶めることなど考えることができません。さもなければ、大日本帝国憲法国家体制に対して、憎悪と反感を持つ確信犯的な反日日本人か、あるいは、帰化日本人たちの行う意図的な引用としか考えられません。その場合にはもはや議論の余地もないでしょうが。

映画『アナタハン』(英語: The Saga of Anatahan)はもともとアメリカ人監督、脚本制作による反日プロパガンダ映画なのですが、アメリカ映画とするにはあまりにも露骨なので、日本映画として配給されたものです。そこまで日本人がこけにされていることにさえ、ほとんどの日本人は気づかずに、今回のpfaelzerweinさんのように、まったくに「批判精神無しに」、この映画のことを引用したり、語ったりするのです。

太平洋戦争の敗戦以降、戦後世代の精神構造から、さらに幾世代にわたってますます浸透し深刻化しつつある、こうしたGHQの占領政策による洗脳から、日本人が解かれない限り、pfaelzerweinさんのおっしゃるように、「「君が代」を口ずさむ日本人サッカー選手たちの顔付や日本人サポーターの顔付きから、「島で一人の女を争そう「あなたはん」物語の生き残り日本兵のような情けなさ」は消えてなくならないだろうと思います。



 

 


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1 コメント

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結果が全てです (pfaelzerwein)
2010-06-19 00:24:24
改めてリンクも含めて拝読しました。反日プロパガンダ映画かどうかは、私は米国映画として此方ではじめて観て、更に録画して観ただけなので判断がつき兼ねますが、大日本国陸軍一兵卒や下士官に対して大変好意的な映画と思います。そこで描かれているのは、大日本帝国の建て前と現実の大きな落差だったかと記憶しています。実際に、そうした状況は、奥崎さん、横井さん、小野田さんの各々に異なった形で共通した事実が見え隠れするのではないでしょうか?

要するに、パールハーバーを攻め切れなかったように、大日本帝国軍は初めから負け戦の軍隊でしかありません。補給路もなく南方へと戦線を延ばしたことだけでも如何に軍事的に勝機の無い戦いを展開したかが証明されるでしょう。戦略の専門家で無くとも、それぐらいは分かります。

先日の岡田采配を観れば、まるで南方の島で玉砕まで死守するための負け戦を展開しているだけで、まさに当時の日本人を髣髴させる「一矢を報いる」と言う情けない戦略でしかないでしょう。こうした根性から、 ― もし必要と言うならば ― 誇りとか品位とかが感じられるでしょうか?結果が全てです。

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