作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第二節[哲学における知識]

2023年03月27日 | 哲学一般

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第二節[哲学における知識]

§2

In der Philosophie werden die Bestimmungen des Wissens (※1)nicht einseitig nur als Bestimmungen der Dinge(※2) betrachtet, sondern zugleich mit dem Wissen, welchem sie wenigstens gemeinschaft­lich mit den Dingen zukommen; oder sie werden genommen nicht bloß als objektive, sondern auch als subjektive Bestimmun­gen, oder vielmehr als bestimmte Arten der Beziehung des Objekts und Subjekts auf einander.

 

第二節[哲学における知識]

哲学においては、知識の規定は物の規定としてただ一面的にのみ見なされるのではなく、むしろ同時に、知識の規定とは、少なくとも物と共同してもたらされるところの知識と見なされる。あるいは、知識の規定は、たんに客観的に だけではなくまた主観的な 規定として、あるいは、むしろ客観と主観との相互の関係によって規定された性質のものと見なされる。

※1

die Bestimmungen des Wissens  

知識の規定

自我、すなわち「私」が目の前に、対象にある物を見て、たとえば「これは桜の花である」とか、「彼は野球選手である」とか規定することであるが、そのように規定するのは、 「私」があってこそであり、「私」の、主観なくしてそのような知識の規定もありえない。とくに哲学における知識の規定は、「私」と対象との関係において規定される。

※2

Bestimmungen der Dinge

物の規定

「私」が「私」を意識することなく、つまり主観的な反省なくして、対象としての物について直接的に感覚的に、「これは桜の花である」とか「彼は野球選手だ」とか規定するような「ふつうの意識」、常識的な段階での知識はたんなる「物の規定」である。

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第二節[哲学における知識] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/bYElJd

 

 

 

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山に行き

2023年03月25日 | 日記・紀行

 

山に行き 谷に咲ける 山さくら 

     手折り来たりて 部屋にかざりぬ

 

 

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』第一篇 精神の現象学、あるいは、意識の学

2023年03月23日 | 哲学一般

G.W.F. Hegel
Philosophische Propädeutik

ヘーゲル『哲学入門』


Zweiter Kursus. Mittelklasse. Phänomenologie des Geistes und Logik

第二教程    中級クラス  精神の現象学と論理学

Erste Abteilung. Phänomenologie des Geistes, oder Wissenschaft des Bewusstseins

第一篇  精神の現象学、あるいは、意識の学

Einleitung

序論 

§1[ふつうの知識と意識]

Unser gewöhnliches Wissen (※1)stellt sich nur den Gegenstand  vor,(※2) den es weiß, nicht aber zugleich sich, nämlich das Wissen selbst. Das Ganze aber, was im Wissen vorhanden ist, ist nicht nur der Gegenstand, sondern auch  Ich,  der weiß und die Beziehung mei­ner und des Gegenstandes auf einander: das Bewusstsein.(※3)

私たちのふつうの知識は、ただ 対象  について考える(思い浮かべる)だけだが、それは、しかし同時に自分については、すなわち、知識それ自体については考えようとはしない。しかし、知識のうちに存在する全体とは、ただに対象だけではなく、「私」と「私」と対象との相互の関係をも知っているところの「私」、すなわち、意識である。

※1

Unser gewöhnliches Wissen

私たちのふつうの知識、私たちの常識。

※2
vorstellen
前に置く、想像する、思い浮かべる

※3
人間の意識についてはすでに、序論 五[衝動と反省]や、序論についての説明の三[意識について]の考察の中でも説明されている。

人間の意識が自己内分裂を遂げ、二つに別れることによって、相互に映し合うようになり、自己を自己として「意識」するようになる。これによって人間は真偽を自己検証する。

 

参考

ヘーゲル『哲学入門』序論 二[意識と知識] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/I543LJ

ヘーゲル『哲学入門』序論についての説明 三[意識について] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/LbIryu

ヘーゲル『哲学入門』序論 五[衝動と反省] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/PlTuZQ

 

ヘーゲル『哲学入門』第一篇 精神の現象学、あるいは、意識の学 - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/IiVR16

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第八十節[「祈り」と典礼]

2023年03月09日 | 哲学一般
 
ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第八十節[「祈り」と典礼]

§80

Der Gottesdienst (※1)ist die bestimmte Beschäftigung des Gedankens und der Empfindung mit Gott, wodurch das Individuum seine Einigkeit mit demselben zu bewirken und sich das Bewusstsein und die Versicherung dieser Einigkeit zu geben strebt, welche Übereinstimmung seines Willens mit dem göttlichen Willen (※2 )es durch die Gesinnung und Handlungsweise seines wirklichen Lebens beweisen soll.(※3)



第八十節[「祈り」と典礼]

「祈り」とは、思考と感情をもって神に仕えるための仕事である。「祈り」によって、個人は神と自己との一体性をもたらし、この一体化の意識と確信を自身に与えようとする。神の意思と個人の意思とのこのような合致は、個人の現実の生活における精神と行為の様式によって実証されなければならない。

※1
Der Gottesdienst
原義は「神に雇われし者」くらいの意か。 
「祈り」と訳した。教会などの他者との公同の場においては「典礼」「礼拝」「祭祀」「ミサ」などと訳せる。「礼拝(典礼)とは、思考と感情をもって、神に仕えるために定められた儀式である」

※2
dem göttlichen Willen 神の意思
神の意思の探究は、哲学研究の目的の一つでもある。

※3
ヘーゲル自身はルター主義者をもって任じていた。彼の哲学がプロテスタンティズムを母胎としているのは疑いのないところである。ここからキリスト者の使命  die Bestimmung、die Mission が出てくる。

五つのソラ - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/oDz9pv
 
「第一教程(下級) 法、義務、宗教論」はここで終わり、次の「第二教程(中級) 精神の現象学と論理学」へと進む。
 
 
 
 
 
 
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桃の節句、三人の歌姫

2023年03月03日 | 日記・紀行

 

2023(令和5)年3月03日(金)曇りのち晴れ。桃の節句。

 

今日は桃の節句。世界に「女性の日」があるのかどうか、知らないし調べる気もありませんが、端午の節句の子供の日が男の子の日であるのに対して、わが国に伝統的な「桃の節句」の今日の三月三日はまぎれもなく、女の子の日です。

私もまた、母をはじめ、妻、連れ合い、娘たち、幼い頃から今に至る女ともだちなど、さまざまな女性たちとの関わりの中で生きてきました。

日本の女の子たち、やまと撫子という言葉もすでに死語になりつつあるかもしれませんが、また本当に美しい日本女性も少なくなりつつあるようですが、それでも、世界と比較すれば、まだまだ、有名無名を問わず健気できれいな日本女性も少なくないようです。

また三組のうち一組が離婚するとも言われる今日でも、婚姻の破綻のその不幸を多く背負わなければならないのは、女性と子供たちです。

しかし現代の日本には、離婚の罪悪を諭して、女性や子供たちを不幸から救おうとするものは誰もいません。政治家、宗教家、教育者たちも堕落して、子どもや女性たちのために自らの責任を果たす能力もありません。

それでもせめて桃の節句の今日は、三人の日本の歌姫の歌を取り上げて、日本の女性たちへの思いを新たにしました。とはいえ、私の世代から見て、どうしても過去の追想になりがちなのはやむをえません。

 

松任谷由実 - ひこうき雲 (Yumi Arai The Concert with old Friends)

 

駅  竹内まりや・岩崎宏美

 

時代 -ライヴ2010~11- (東京国際フォーラムAより)

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第七十九節[恵みと和解]

2023年03月02日 | 哲学一般

ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第七十九節[恵みと和解]

§79

Aber die Freiheit des einzelnen Wesens ist zugleich (※1)an sich (※2)eine Gleichheit des Wesens mit sich selbst, oder sie ist an sich gött­licher Natur. Diese Erkenntnis, dass die menschliche Natur der göttlichen Natur nicht wahrhaft ein Fremdes ist, vergewissert den Menschen der göttlichen Gnade  (※3)und lässt ihn dieselbe er­greifen, wodurch die Versöhnung  Gottes(※4) mit der Welt oder das Entschwinden ihrer Entfremdung von Gott zu Stande kommt.(※5)

 

第七十九節

しかし、同時に個人の存在の自由は、本来は自己自身と存在との同一性にあり、あるいは、個人の存在の自由は本来は神的な性質のものである。人間の本性と神の本性は本当は疎遠なものではないのだというこうした認識は、人間に神の 恵み を保証するものであり、そうして人間に恵みを捉えさせることによって、世界と神との和解  が実現し、あるいは、人間の神からの離反が解消するに至る。

 


※1
前節§78で人間が自己を普遍から分離させる自由をもつこと、神から離反する自由をもつ点において、人間の本来性が悪であることが説明されたが、本節の§79においては、同時に人間の個別が本来的に普遍と同質であることが説明される。「人間は神の子である」とも言われるのはこのことである。しかし悟性は、人間の個別と普遍を両立しえぬものとしてしか理解しない。

§ 280b[概念から存在への移行] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/j9SLmx

※2
an sich    
潜在的に、本来的に、即自

※3
Gnade
慈悲、哀れみ、 慈心、 仁恵、恩寵、 恩恵、 祝福、 恵み、至福、仕合わせ

※4
Versöhnung
和解、仲直り、和睦、宥和、償い、慰め

※5
恵みを確信させるのは人間性と神性が無縁なものではないという認識である。この神の恵みを捉えることにおいて、人間と神との和解、宥和を実現する。ここにキリスト教の核心が説明されている。ヘーゲル哲学は神学でもある。

 

ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第七十九節[恵みと和解] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/KqFH65

 

 

 

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